若い頃、自分の誕生日が祭日になっている国はあるのだろうかと調べたことがある。
世界のナントカ資料という分厚い本で、国の祭日と自分の誕生日が一致しているのを調べると、世界広しと言えども、ひとつだけあった。
その国は、ヒマラヤ山脈にあるブータンである。
先日の東京新聞のコラムに、ブータンのことが取り上げられていた。
「ブータンは、GNH(国民総幸福)を国の指針にしていることで知られている。人間は物質的な豊かさだけでは幸福になれない。だから経済的発展のために心の豊かさを犠牲にしてはいけないという考え方である」「毎日が半日勤務、午後が半日休日・・」
・・つまり、ブータンは、幸福大国なのだそうである。
日本では、ゴールデンウィークも終わり、出社や登校拒否症にもなる五月病に陥いる方々も多いのではないかと思う。
若い世代だけの話ではない・・
同年代の50代のほとんどが、ほんとうは組織の中での自分のポジションや将来の予測も判断もできているのにもかかわらず、しがみついてまで働く姿に、愛おしいものさえ感じてくる。
何という表現をしたらよいものか・・
頭の薄げや禿げを隠すのに都合のよかった「ちょんまげ」という江戸時代のヘアスタイルが浮かんでくる。
たとえば、会社命令や仕事ならば、スキンヘッドにもちょんまげにもなれるはずである。
役者ならば、当然のことである。
だが、自ら進んで、50歳を過ぎて、いざという時に「ちょんまげ」または「スキンヘッド」のヘアスタイルができるか・・という気構えの問いかけである。
笑いの表現、怒りの表現・・自己表現を、どこにぶつければよいかという気構えの問いかけなのである。
ブータンの国民のように半日働いて、半日休日・・
ほんとうに、幸せになれるのだろうか?
心の豊かさは、心構え、気構えでしかないと思うのである。
自分らしくなること以外に、自分が幸運になれる道はないと思うのである。
昨日の東京新聞のコラムに、詩人の工藤直子さんの「あいたくて」が紹介されていた。
だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた そんな気がするのだけれど
ほんとう・・そんな気がする今宵です。
福となるような気構え心構え・・大切です♪
世界のナントカ資料という分厚い本で、国の祭日と自分の誕生日が一致しているのを調べると、世界広しと言えども、ひとつだけあった。
その国は、ヒマラヤ山脈にあるブータンである。
先日の東京新聞のコラムに、ブータンのことが取り上げられていた。
「ブータンは、GNH(国民総幸福)を国の指針にしていることで知られている。人間は物質的な豊かさだけでは幸福になれない。だから経済的発展のために心の豊かさを犠牲にしてはいけないという考え方である」「毎日が半日勤務、午後が半日休日・・」
・・つまり、ブータンは、幸福大国なのだそうである。
日本では、ゴールデンウィークも終わり、出社や登校拒否症にもなる五月病に陥いる方々も多いのではないかと思う。
若い世代だけの話ではない・・
同年代の50代のほとんどが、ほんとうは組織の中での自分のポジションや将来の予測も判断もできているのにもかかわらず、しがみついてまで働く姿に、愛おしいものさえ感じてくる。
何という表現をしたらよいものか・・
頭の薄げや禿げを隠すのに都合のよかった「ちょんまげ」という江戸時代のヘアスタイルが浮かんでくる。
たとえば、会社命令や仕事ならば、スキンヘッドにもちょんまげにもなれるはずである。
役者ならば、当然のことである。
だが、自ら進んで、50歳を過ぎて、いざという時に「ちょんまげ」または「スキンヘッド」のヘアスタイルができるか・・という気構えの問いかけである。
笑いの表現、怒りの表現・・自己表現を、どこにぶつければよいかという気構えの問いかけなのである。
ブータンの国民のように半日働いて、半日休日・・
ほんとうに、幸せになれるのだろうか?
心の豊かさは、心構え、気構えでしかないと思うのである。
自分らしくなること以外に、自分が幸運になれる道はないと思うのである。
昨日の東京新聞のコラムに、詩人の工藤直子さんの「あいたくて」が紹介されていた。
だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた そんな気がするのだけれど
ほんとう・・そんな気がする今宵です。
福となるような気構え心構え・・大切です♪