パソコンのメールを整理していると、とても印象に残るメールがでてきた。
Yさんからのメールだ。
カンボジアのネットカフェから送ってきたものである。
当時、Yさんは、カンボジアの孤児院でボランティア活動をしていた。
そこの子供たちは、びっくりするほど勤勉だそうだ。
「熱心に勉強する。朝は毎日5時に起きて、床の雑巾掛け、洗濯機がないので、手で洗濯をする。お手伝いもよくする。彼らの姿を見ると、かつての日本の姿もこんな風だったかもしれない」と・・Yさんは書いていた。
「このカンボジアという国の目指す発展国というのが今のアメリカだったり日本だったりするのならば、彼らの幸せに繋がるのかどうかは自信がない」と・・締めくくってあった。
豊さの享受というものを考えさせられてしまう。
そして、ぼくたちは、ほんとうに真摯に生きているのだろうか・・と考えてしまった。
Yさんからのメールだ。
カンボジアのネットカフェから送ってきたものである。
当時、Yさんは、カンボジアの孤児院でボランティア活動をしていた。
そこの子供たちは、びっくりするほど勤勉だそうだ。
「熱心に勉強する。朝は毎日5時に起きて、床の雑巾掛け、洗濯機がないので、手で洗濯をする。お手伝いもよくする。彼らの姿を見ると、かつての日本の姿もこんな風だったかもしれない」と・・Yさんは書いていた。
「このカンボジアという国の目指す発展国というのが今のアメリカだったり日本だったりするのならば、彼らの幸せに繋がるのかどうかは自信がない」と・・締めくくってあった。
豊さの享受というものを考えさせられてしまう。
そして、ぼくたちは、ほんとうに真摯に生きているのだろうか・・と考えてしまった。