今宵は、中秋の名月です。
明夜は、十五夜の満月です。
本居宣長の随筆集「玉勝間~兼好法師が詞のあげつらひ~ 四の巻231段」を熟読していると、夜明け近くになってしまいました。
吉田兼好の徒然草 137段 「花は盛りに 月は隈なきをのみ 見るものかは 雨に対ひて月を恋ひ 垂れこめて春の行衛知らぬも なほ あはれに情深し 咲きぬべきほどの梢 散り萎れたる庭などこそ見所多けれ・・」
~兼好法師が詞のあげつらひ~ 下記抜粋。
大変興味深い随筆です。
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「・・とかいへるは、いかにぞや」
いにしへの歌どもに、花はさかりなる、月はくまなきを見たるよりも、花のもとには、風をかこち、月の夜は、雲をいとひ、あるはまちをしむ心づくしをよめるぞ多くて、こゝろ深きも、ことにさる歌におほかるは、みな花はさかりをのどかに見まほしく、月はくまなからむことをおもふ心のせちなるからこそ、さもえあらぬ を歎きたるなれ、いづこの歌にかは、花に風をまち、月に雲をねがひたるはあらん、さるをかのほうしがいへるごとくなるは、人の心にさかひたる、後の世のさかしら心の、つくり風流(ミヤビ)にして、まことのみやびごゝろにはあらず、かのほうしがいへる言ども、此たぐひ多し、皆同じ事也、すべてなべての人のねがふ心にたがへるを、雅(ミヤビ)とするは、つくりことぞおほかりける、戀に、あへるをよろこぶ歌は、こゝろふかゝらで、あはぬ をなげく歌のみおほくして、こゝろ深きも、逢見むことをねがふから也、人の心は、うれしき事は、さしもふかくはおぼえぬ ものにて、たゞ心にかなはぬことぞ、深く身にしみてはおぼゆるわざなるは多きぞかし、然りとて、わびしくかなしきを、みやびたりとてねがはむは、人のまことの情(ココロ)ならめや、又同じほうしの、人はよそぢにたらでしなむこそ、めやすかるべけれといへるなどは、中ごろよりこなたの人の、みな歌にもよみ、つねにもいふすぢにて、いのち長からんことをねがふをば、心ぎたなきこととし、早く死ぬ るを、めやすきことにいひ、此世をいとひすつるを、いさぎよきこととするは、これみな佛の道にへつらへるものにて、おほくはいつはり也、言にこそさもいへ、心のうちには、たれかはさは思はむ、たとひまれまれには、まことに然思ふ人のあらんも、もとよりのまごゝろにはあらず、佛のをしへにまどへる也、人のまごゝろは、いかにわびしき身も、はやくしなばやとはおもはず、命をしまぬ ものはなし、されば萬葉などのころまでの歌には、たゞ長くいきたらん事をこそねがひたれ、中ごろよりこなたの歌とは、そのこゝろうらうへなり、すべて何事も、なべての世の人のま心にさかひて、ことなるをよきことにするは、外國(トツクニ)のならひのうつれるにて、心をつくりかざれる物としるべし」
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
要は、吉田兼好は、花は散り際、月であれば雲のかかる朧月のような状態も趣きがあってよいという考え方です。
一方、本居宣長は、花は満開、陰りの雲がない月を思う情心が優先するという考え方です。
「もののあわれ」という言葉があります。
古事記を読破した江戸時代の国文学者の本居宣長が、源氏物語を高く評価して言い表した平安時代の美意識を指したものです。
鎌倉時代の吉田兼好が書いた「徒然草」は、室町時代に注目されて江戸時代には町民文化にも大きな影響を与えるぐらい読まれたようです。
「滑稽さと無常感」の魅力が溢れているのが、「つれづれなるまま 日暮らし・・あやしうこそものぐるほしけれ」の世界観かもしれません。
中秋の名月の夜に、過去からの人生訓、処世術を投げかけられたような気持ちです。
今日か明日は、弘法大師 空海に会いたくて、高野山へ出かけてみようかと思うような夜明け前です。
月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月。(詠み人知らず)
今日一日が、たくさん善いことがありますように。