無明の橋を渡れば、「弘法大師はいまだおわしますなる」奥の院です。
撮影禁止でした。
消えずの火として「貧女の一燈」。(心打つ伝説話です。内容省略)
また「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ朕が心にままならぬもの」と言った白河法皇が、高野山に献上した白河燈。
この二燈は、千年近く燃え続けているそうです。
当時、怖れられはじめていた比叡山の山法師(僧兵)に対して、高野山からは、勧進(寺院の建立や修繕などのために浄財)という募金集めに全国各地へと出向き多くの僧が歩き周っていました。
西行もしかり・・その高野聖たちの足跡が、諸国に残る弘法大師の伝説と高野山信仰、納骨を多く広めたことは間違いないようです。
そして、今尚、弘法大師と歩む四国八十八ヶ所のお遍路巡りです。
奥の院を出て、中の橋に向かって歩きました。
途中に大石順教という尼僧さんの「腕塚」という供養塔があります。
障害者の母と呼ばれた方であります。
両腕を切り落とされて始まる過酷な人生を生き抜き苦難に耐えて、障害者の母と呼ばれた方です。
さらに進むと、親鸞聖人の供養塔があります。
なぜ浄土真宗の開祖の供養塔が、ここにあるのか不思議なのですが、実は、高野聖は、念仏を唱えて浄土教に近い教義を広めていました。法然(浄土宗開祖)しかり・・です。
もっと中の橋に近くに行くと、現代の宣伝効果もあるような供養塔を見かけます。
シロアリ退治の「しろあり供養」の塔、ロケットを建てた新明和工業さんの供養塔、福助さんがお辞儀をしている感謝の碑・・等々です。
考えてみれば、高野山への納骨や墓碑は、いまだに増大されているのでしょう。
小生、霊魂やお化けという存在の類は、一切信じていません。
スピリチュアル霊視や霊感占いもしかりで、戯言に聞こえます。
ただ・・「念という力」は、あるだろうと感じています。
鳩やツバメの帰巣感覚に近いテレパシーにも似た感覚です。
武者震いという感覚もあります。
奥の院に通じる表参道のある場所の供養塔のまえで体験しました。
そういう場合には、溜息ひとつします。
中の橋に到着。
その出入り口で、「もとの表参道に通って一の橋の戻る近道はありませんか?」とそこに居た地元の方に尋ねました。
「ないですね。この車の通る前の道を右に折れて歩けば、一の橋に戻れますよ」
「ありがとうございます」
そのまま数分歩いていると、後ろから車が追いかけて、目の前でUターンして小生の前に停まりました。
降りてこられた方は、先程尋ねた同年代の女性の方で、「すぐ、そこから戻れますよ。それと、これ奥の院の墓碑地図です。差し上げます」と言って風のように立ち去って行かれました。
その親切な行為に目が丸くなりました。
とても感謝・・朗らかな気持ちになれました。
嬉しい気持ちになって、高野山のお土産店で、高野豆腐、魔除けの鐘、開運厄除の鐘、金剛杖・・等々、沢山の御みやげ物を買ってしまいました。(笑)
弘法大師の「実ちて帰る」に通じるものがあります。
帰り途、九度山の道中で柿を買って、橋本の街でロト6の宝くじを買いました。
柿・・とても美味でした。
ロト6・・当たりました。(笑)
さて、空海と最澄を語る時、二人は袂を分けた密教の理趣経という存在があります。
「煩悩即菩提・・煩悩は、即ち浄化された菩薩の悟り」という人間の欲望や男女関係の情感を積極的に承認しています。
同行二人という考え方は、どんな辛い時にも、弘法大師さんと寝食共に歩き続けるお遍路さんの巡礼の姿、生き方なのでしょう。
煩悩とか悟りとか、恋だの愛だの、理だとか趣だとか、情だの業だの・・複雑で細やかで微かな心の動きです。
仏教が伝わる以前の心の境地や情感は、もっと単純だったのかもしれません。
万葉の時代・・飛鳥時代に残る沢山の男女の単純な陰陽なチンコ石を作りながら大笑いをしていたかもしれません。
猿や犬の動物に近いと言えば・・そんな風なのかもしれません。
明日香に残る石舞台を眺めながら、そんな想いを感じました。
因みに飛鳥時代に建立された寺院は個人の病気平癒を祈願しており、国家鎮護のものは存在しません。
そして、当時の大和の国は、巨石文化です。
仏教が伝来して盛んになり国家鎮護の寺院が建立存在するにつれて、木の文化に移り変わりました。
巨石文化の残存する文化が、皮肉なことに高野山の奥の院にある数十万の墓碑、供養塔かもしれません。
麓に流れる紀ノ川から標高900Mの高野山まで、あの夥しい巨石群を人力で引き上げたかと想像すると、エジプトのピラミッドやイングランドのストーンヘンジサークルを連想しますが、その注ぎ込んだ労力と財力は、天文学的な数値にもなるのでしょう。
話は変わりますが・・
中世キリスト教の教えでは、金を貸して金利を取るというのは、汚い仕事でした。
だから、ユダヤ商人が嫌われた根本的な原因があります。
キリストを殺したのがユダヤ人だからという理由ではありません。
キリストもユダヤ人だったからです。
その金利を取る商売が、金融業というビジネスの原点です。
日本においても、戦後間もない頃は、証券会社などの金融機関に就職する国立大生などは、ほとんどいなかったそうです。
鎌倉時代から室町時代にかけて徳政令という借金帳消しという滅茶苦茶な政令が何度か施行されました。
これは、天人相関思想に基づいており「天地の気は自らは秩序を乱さず、乱れるのは人が乱すからある」というものらしいです。
今、世界を揺るがす金融不安は、まさしく人間が執り行う貨幣紙幣の問題になります。
お金が、人間の心を操る時代は、悲しいものです。
不安は心です。その不安を取り消すのも、人間の智恵が求められます。
もうひとつ、万葉の時代から現代に続く言霊信仰というものがあります。
縁起を担ぎ、不吉な言葉は避けます。
たとえば、閉会宣言に「お開きにします」とか、結婚式に「去る」「切る」は、使いません。
八は末広がりですが、病院では、四や九を忌み嫌い、「なくなる」と使います。
たとえば、「平和、平和・・」と念仏のように唱える平和主義者です。
「お金、お金、お金が欲しい・・」と念仏のように唱える拝金主義者です。
「仏作って魂入れず」という言葉もあります。
弘法大師は、言います。
「生きながらにして幸せになりなさい」
「生きながらにして仏になるのです」
でも、仏頂面は嫌いです。
笑顔が大事です。
和顔施とも眼施とも言います。
同行二人の人生・・我々は、何処に行くのでしょうね。
弘法大師さんもいいですが、愛する人とならば尚いいです。
悟りの境地とは、案外近くにあるのかもしれません。
そろそろ、これで、お開きにします。
さて、秋のお彼岸入り・・お墓参りです。
合掌