ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

お蔭様 遠い夢

2008年09月24日 | 千伝。
高野山 弘法大師さんのお蔭様でしょうか・・体重が、ぐ~んと減りました。

さらには、目の錯覚かもしれませんが、頭の毛が増えたような気もします。(笑)

「お蔭様」の語源としては、神仏の「御影(みかげ)・神霊」や「御魂(みたま)」の庇護を受けるご利益や恩恵から生じたものでした。

「お蔭様で無病息災・・」という言葉もあります。

(息災とは・・災いや厄を無くすという仏教用語です)

20代後半の頃、仕事で「伊勢神宮」を取材した体験があります。

当時は、ほとんど無休、1日20時間ほど働いていたような状態でした。

何度となく東京と伊勢を往復する「お蔭様参り」をしていると、何か善いことが起きる兆しがあるのではないかと思ったことがありました。

いや、何かいい事が起きて欲しいという期待であり希望です。

ただ、神や仏に何かを祈願しても何もしてくれないのが普通です。

一心不乱に祈願したとしても、神や仏は、なかなか奇蹟を与えてはくれません。

それに、どの宗教や神が一番正しいのかも未だにわかりません。

結局、凡夫の小生が考えた結論は、現状脱皮という考え方です。

そうなると、数百年、数千年も続く歴史もあり、世界的な規模で熱心な信者がいるアーメン、南無・・・・の智恵や啓示の世界ではないかという次元に辿り着くのです。

国宝級、世界遺産級の神社寺院仏閣、拝殿宮殿の建物、聖地ではありません。

悲願を請う祈りの姿と調和しますが、単純に、人間としての智恵の伝達です。

神や仏の一番の功徳は、生きる安心や勇気・・その智恵や啓示を与えてくださるということです。

個人的な捉え方ですが、転々と地球上を歩いていると、幸運も不運も善い事も悪い事も、人間の挫折や成功、逆境や順境は、1年1日に何度もあるということに気がつきました。

イエス・キリストさまの愛染振りまく長髪ならば夏は暑く、お釈迦さんの光を溢れる坊主頭ならば冬は寒いのです。

そして、個人的な思い込みです。

愛も光も、希望も夢も、善も良も、すべて生きることに好ましい楽しい栄養源だと言うことです。

希望を語り、夢を見るのは、楽しいはずです。

そうでないと、それを希望や夢とは言えないはずです。

さて、ますます目の錯覚なのでしょうか、近いものが見づらくなりました。

逆に、遠くのものがよく見えるようになりました・・老眼とも呼ぶらしいです。

お蔭様で、遠い夢さえも見させて頂くことができるようになりました。

明日も、さわやかな陽射しと風を受けて、沢山の好い事がありますように。