休日には、多くの工員達は街に出て、食べて買い物等をして映画を観ていた。
その後、彼らは、街を歩きながら女性を求めて慰安所に行って遊んで、一日を過ごす事が楽しみだったらしい。
以前、私が、船に乗り始めた頃の日本の港町の遊郭や公娼街の話も述べたが、戦地でも何処へ行っても、多くの慰安所があった。
安慶にも多くの慰安所があり、一般の場所や日本人女性だけの将校や商社相手の料理風で高級な場所もあったのである。
その頃の私は、軍属のなかでも最年少者であり、そんな場所には行ったことがなかった。
ところが、ある日、加藤班長のお供で、そんな高級な場所に連れて行かれた。
加藤班長のいつも行く処のようで馴染みの女性もいて、私を連れて行ったのである。
「今日は、俺の子と一緒に来た」と班長が言ったので驚いた。
彼女が「本当にあんたの子なの?」と言って、私の顔をじっと見つめていた。
「あんた、歳は、いくつなの?」と聞かれた。
正直に「私は、十六です」と言うと、今度は頷いて「何しに、こんな支那まで来たの?」と聞いてきた。
私も負けずに「お国の為に働きにまいりました」と言うと、「感心だね」と言いながら笑ってくれて、沢山の菓子を出してくれたのである。
それから後にも、何度か連れて行ってもらい、いつも色々な菓子を出してくれて、ご馳走になっていた。
お国の為にである。
その後、彼らは、街を歩きながら女性を求めて慰安所に行って遊んで、一日を過ごす事が楽しみだったらしい。
以前、私が、船に乗り始めた頃の日本の港町の遊郭や公娼街の話も述べたが、戦地でも何処へ行っても、多くの慰安所があった。
安慶にも多くの慰安所があり、一般の場所や日本人女性だけの将校や商社相手の料理風で高級な場所もあったのである。
その頃の私は、軍属のなかでも最年少者であり、そんな場所には行ったことがなかった。
ところが、ある日、加藤班長のお供で、そんな高級な場所に連れて行かれた。
加藤班長のいつも行く処のようで馴染みの女性もいて、私を連れて行ったのである。
「今日は、俺の子と一緒に来た」と班長が言ったので驚いた。
彼女が「本当にあんたの子なの?」と言って、私の顔をじっと見つめていた。
「あんた、歳は、いくつなの?」と聞かれた。
正直に「私は、十六です」と言うと、今度は頷いて「何しに、こんな支那まで来たの?」と聞いてきた。
私も負けずに「お国の為に働きにまいりました」と言うと、「感心だね」と言いながら笑ってくれて、沢山の菓子を出してくれたのである。
それから後にも、何度か連れて行ってもらい、いつも色々な菓子を出してくれて、ご馳走になっていた。
お国の為にである。