ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

広島宇品編 7 ~墓参り~

2010年06月16日 | 人生航海
以前も述べたが、当時の広島の宇品港は、日本軍の玄関口として大きな役割を果たしていた。

多くの兵隊や物資を戦地に送り出す移動拠点で先端基地として日本でも最も重要な港のひとつであった。

その為に、どこの港よりも船舶の出入りは激しく移動があった。

また、その頃は、広島の街全体が正に軍事一色に染まっていた。

国民一丸となって、一生懸命、お国の為に働いた事は、言うまでもなく当然のことであった。

そんな時期、私は、帰国後、初めて両親の墓参りをすることができた。

久しぶりに、百島の我が家に帰ってみると、以前とは何も変わらなかった。

狭苦しい家で、祖父母と弟妹達三人の五人暮らしの生活をしていた。

祖父の小漁師の僅かな収入と毎月の私の送金をあてにしての、その日暮らしの生活のようにも映った。

でも、毎日暮らせている事がわかっただけでも、何よりも私には安心が出来たのである。

僅かな短い間であったが、念願の両親の墓参りもすませて、心の重荷を下ろすことが出来たのである。

私は、祖母に妹と弟達のことを頼んで、好きな物を買う様にと、貯金通帳を渡して置いた。

親戚の叔父叔母にも留守のことを頼み、短い休暇を惜しんで、また宇品に戻ったのである。

時は、昭和16年秋、冬が間近かに迫っていた。

運輸部に戻ると、僅かな間に急に宇品の雰囲気が変わり、近日中に何処かに移動する準備をしている様子であって落ち着く暇もなかった。

そして、私達軍属にも既に移動命令が出ていたのである。