ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

軍属時代 13 ~当番兵~

2010年06月04日 | 人生航海
そして、昭和15年4月、私は、安慶の停泊場に転属となった。

船長も機関長も帰国して頼る人もなく、そのうえ両親を亡くした寂しさもあって、心機一転の積りであった。

安慶の停泊場での作業は、陸の仕事が主であった。

責任者は、元海軍の兵曹長で、退役後に陸軍の嘱託軍属になったらしい。

その班長は、加藤さんと言って人柄も良く立派な人格者だった。

横浜出身との事だったが、此処の責任者であり、総て班長に責任が持たされていた。

その為、何事も班長の指図で決めることになっていた様である。

班長は、何故か最初から私には親切で、いつも楽な仕事を選んでくれた。

どこでも班長と一緒であり、私は、他の皆から当番兵と言われたぐらいであった。

そんな或る日、班長は、陸の仕事より、それまで船員だったので、私に「将校専用の高速艇に乗れ」と薦めたのである。

早速、司令部の承認を受けて、高速艇の乗組員になったが、乗員が艇長と私の二人だけで、艇内は狭い為、その日の夕方から陸の宿舎に移った。

仕事は、主に艇の手入れであって、いつでも動けるように準備しておくほかに別になく、それが役目で航走する事は余りなかった。

時々、遊び半分の将校が乗って来て、近辺の中隊や分隊に連絡に行くぐらいだった。

加藤班長のお陰で、宿舎も班長と艇長と私と三人だけが個室部屋であり、特別待遇を受けているように皆から思われていた。