高速艇の繋留場所の岸辺に、いつも姑娘(クーニャン)達が洗濯に来ていた。
前にも述べたが、あの時に知った娘といつしか会話が弾み、慣れるに従い自然と親しくなっていた。
そのうちに気安くなって、石鹸や缶詰等を内緒にして渡していたが、彼女もまた何かを持って来るようになったのである。
そんな時期が当分続いて、気安さも増して、当時は珍しい羊羹や練乳等をそっと隠してあげると大変喜んで、次に会う時は、「シェシェ」と言って、また、何かを持って来てくれたのである。
彼女は、いつも銀細工の装飾品を身につけて、美しく清潔であった。
そんな楽しい日々の中で、いつしか誰が言うとなく噂されたが、勿論、私達の間には何もなかったのは当然であった。
戦時中のことでもあり、そんな事は、到底許されるものではなかったのである。
今思えば、あれが、早春時代に異国で咲いた一輪の可憐な清らかな花で、仄かに芽生えた初恋と言えたかもしれない。
そんな想いを残して、まもなく安慶を去る日が近づいたのである。
前にも述べたが、あの時に知った娘といつしか会話が弾み、慣れるに従い自然と親しくなっていた。
そのうちに気安くなって、石鹸や缶詰等を内緒にして渡していたが、彼女もまた何かを持って来るようになったのである。
そんな時期が当分続いて、気安さも増して、当時は珍しい羊羹や練乳等をそっと隠してあげると大変喜んで、次に会う時は、「シェシェ」と言って、また、何かを持って来てくれたのである。
彼女は、いつも銀細工の装飾品を身につけて、美しく清潔であった。
そんな楽しい日々の中で、いつしか誰が言うとなく噂されたが、勿論、私達の間には何もなかったのは当然であった。
戦時中のことでもあり、そんな事は、到底許されるものではなかったのである。
今思えば、あれが、早春時代に異国で咲いた一輪の可憐な清らかな花で、仄かに芽生えた初恋と言えたかもしれない。
そんな想いを残して、まもなく安慶を去る日が近づいたのである。