百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

広島宇品編 3 ~祖父と孫~

2010年06月12日 | 人生航海
祖父は、人に道を尋ねがら、横川の病院に一人で急いで来たとの事であった。

交通の不便な島から、船に乗り、そして汽車や電車を乗り継いで、知らない処を何度も人に尋ねながら此処まで来たかと思うと、私は嬉しくもあり、申し訳ない思いがした。

昭和16年だったので、祖父の歳は、やはり80歳過ぎていた。

当時の人達は皆老けていたが、祖父は、余計にさらに老けてみえた。

何年振りかに逢った為か、それとも気苦労したのか・・そして言葉遣いも変わっていた。

あんなに頑固な祖父だったのに、孫である私に丁寧な言葉で話すのも考えられない事だと思った。

そして、祖父は、家の様子を少し話して、祖母と兄弟達の事を聞くと、「婆さんも歳をとったが、元気で子供達と達者でいるから安心しておくれ」と言った。

それから「早よう治して、墓参りに戻って来ねぇ」と言うと、老いの目に涙が滲んでいた。

百島の様子なども少し聞いて、帰りが遅くなると、船に乗り遅れるから、早く帰るようにと言って、「お爺さんは、お金を持っているのか?」を訊いてみると、「毎月充分送って貰うのである」と言った。

「それより滋養になるものを食べて元気になんねぇ」と私に言って、帰る事になった。

病院の門まで送って、別れ際に、そっと懐にお金を幾らか入れて汽車賃や弟妹たちに土産を買って帰るようにと頼んだ。

祖父は、孫である私が子供の時に百島を離れて、それからは家族の為に働いたお金を仕送りをしてくれる感謝の気持ちからだろうか・・少し歩いては振り返り、また歩き何度も振り向きながら帰った。

あの後ろ姿が何故か寂しく思われて、手術が終わり良くなれば、一度百島の実家へ帰らねばと考えた。