ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

ボルネオ編 2 ~バンジェルマシン~

2010年08月05日 | 人生航海
その大時化の為、止むなく支那大陸の沿岸伝いの航路を余儀なくされた。

随分と遠廻りする事になったが、それ以後、あれほどの大きな時化に遭う事も無かった。

毎日、平穏な海を、ベトナムの沿岸を南下して、サイゴンにも寄港した。

サイゴンは、珍しい鰐皮製品や象牙細工した品等が豊富にあって、皆多少の買い物をしたのを思い出す。

サイゴンを出てから、シンガポールまでは少し長い航海であったが、海上は穏やかで、無事にシンガポールに入港できた。

当時のシンガポールは、日本の占領下であり、その名も昭南島と改められて南方随一の大都会だった。

入港後、機関のパイプの修理を頼んだり、ジョホール水道の海軍工作部に溶接を依頼した。

ジョホール水道には、当時世界一を誇る浮きドッグがあり、それを見て驚いたものである。

この機帆船(灘吉丸)なら何隻ぐらい入るか?と誰かが言ったので、計算すると、横列六隻、縦列五隻並び、計三十隻が入る計算になると言って笑ったが、当時としては、それ程に大きな浮きドッグだった。

英国の植民地だったシンガポールは、高層ビルも多く建ち並ぶ大都会であったが、その時は、上陸して市街地見学をする事は出来なかった。

いずれ又来る事もあるだろうと思いながら、いよいよ最終港に向けて、シンガポールを出港したのである。

そして、数日後には、やっと全ての航海を終えて、最終港のボルネオ島南部に位置するバンジェルマシンに到着することが出来たのである。

野村殖産ボルネオ支社のあるバンジェルマシンは、川港であった。

両側にマングローブの木が生い茂り、その間を通り抜けて出入りする珍しい港街であった。

野村殖産での初めての社船であったので、我々は、到着後は大変な歓迎を受けた。

船長機関長は、ホテル住まいで、船員の宿舎も既に用意されていた。

船の仕事も、一切現地人に任せて、灘吉丸も、ドッグ入りした。

当分の間は、長い航海の疲れを癒すように、船も船員も、ゆっくり休養するようにと云われたのである。