その頃も、海軍の浮流機雷の掃海作業は続いていた。
私が退院して間もない頃である。
灘吉丸は、掃海中に機雷に触れる事故が起こり、火災を起こして、まもなく沈没した。
その際、水兵二人が負傷したが、他に死者が出なかったのは不幸中の幸いだった。
しかし、日本を離れて生死を共にして、そこまで一緒だった灘吉丸との別れは、仕方なく諦めても辛く悲しかった。
そして、皆、自分の希望を述べて、其々がまた別の仕事を選んで、当分は働く事になったのである。
時勢は、既に日本軍の戦況も大きく変っていた頃である。
私が退院して間もない頃である。
灘吉丸は、掃海中に機雷に触れる事故が起こり、火災を起こして、まもなく沈没した。
その際、水兵二人が負傷したが、他に死者が出なかったのは不幸中の幸いだった。
しかし、日本を離れて生死を共にして、そこまで一緒だった灘吉丸との別れは、仕方なく諦めても辛く悲しかった。
そして、皆、自分の希望を述べて、其々がまた別の仕事を選んで、当分は働く事になったのである。
時勢は、既に日本軍の戦況も大きく変っていた頃である。