艇長は、それ以後も試運転は何回も行い、その度ごとに、循環水の出が悪いとか、エンジンの熱が高いとか言い、難癖をつけていたのである。
特に、クラッチの調子は悪かったので、艇長は、完全になるまで絶対に良しと言わず、受け取りを拒み続けて、本隊には帰ろうとはしなかった。
今になって、あの当時の事を考えてみると、如何に私達は無知であったのかと思う。
唯、軍部の大きな権力に操られていたに過ぎない。
特殊艇と言っても出来損ないの船であって、もし実戦で敵艦に遭遇していたならば、戦わずして撃破されたのは明らかであった。
艇長は、その事もよく知ってのうえで、本隊に帰る事を拒んだのだろう。
そうしている間にも、何処となく周囲の雰囲気も変わり始めていたのも確かだった。
広島に新型爆弾が投下されて可也の被害があった模様だとも知らされたり、ラジオニュースでも放送したとか・・。
日本は、既に降伏したとか、嘘か誠か分からぬデマが飛んだのである。
ある部隊は、もし戦争に負けて降伏する事になれば、日本軍は皆殺されるので、「最後の一兵になるまで戦い続ける」というような話も出た事も事実であった。
それも無理からぬ事で、軍人勅語や戦陣訓に「死すとも敵の捕虜になる事は決して許されず」・・そのような事は知り尽くしていた。
そして、突然、ポートセッテンハムの本隊に急遽帰ることが決まった。
シンガポールをあとにして、時速25ノットの全速力で本隊に向かったのである。
特に、クラッチの調子は悪かったので、艇長は、完全になるまで絶対に良しと言わず、受け取りを拒み続けて、本隊には帰ろうとはしなかった。
今になって、あの当時の事を考えてみると、如何に私達は無知であったのかと思う。
唯、軍部の大きな権力に操られていたに過ぎない。
特殊艇と言っても出来損ないの船であって、もし実戦で敵艦に遭遇していたならば、戦わずして撃破されたのは明らかであった。
艇長は、その事もよく知ってのうえで、本隊に帰る事を拒んだのだろう。
そうしている間にも、何処となく周囲の雰囲気も変わり始めていたのも確かだった。
広島に新型爆弾が投下されて可也の被害があった模様だとも知らされたり、ラジオニュースでも放送したとか・・。
日本は、既に降伏したとか、嘘か誠か分からぬデマが飛んだのである。
ある部隊は、もし戦争に負けて降伏する事になれば、日本軍は皆殺されるので、「最後の一兵になるまで戦い続ける」というような話も出た事も事実であった。
それも無理からぬ事で、軍人勅語や戦陣訓に「死すとも敵の捕虜になる事は決して許されず」・・そのような事は知り尽くしていた。
そして、突然、ポートセッテンハムの本隊に急遽帰ることが決まった。
シンガポールをあとにして、時速25ノットの全速力で本隊に向かったのである。