ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

受けてみたい授業。

2013年09月21日 | 百伝。
先日、全国学力調査の小学6年国語Aで最下位だった静岡県の川勝平太知事が、下位ワースト100校の校長名を公表すると発言した問題がありました。

取り止めたものと思っていましたが、今度は、一転して、川勝知事は、全国平均点を上回った小学校86校の校長名を50音順で県ホームページに発表したようです。

知事は「下位でも上位でもどっちでもよかった。教員の責任の所在を明確にするために公表した」とのコメント。

地元、静岡への郷土愛、教育愛と言うべきか・・でも、・・ほんとうに、校長先生の責任なのかな?

僕らが、百島中学校に入学した時、同じく広島大学附属三原中学校教頭から百島中学校校長として、大原先生が赴任されました。

初めての校長職だったのか、あれこれと教育方針を考えられていたかもしれません。

普通、校長先生は教壇には立ちませんが、僕ら同級生は、卒業するまで三年間、大原校長先生自らの社会科を教えて頂きました。

授業中に、丑寅の浜辺まで行って、校外授業として遊んだ思い出も残っています。

中学三年生の時、一斉模擬試験があり、当時、尾道市内の全中学校の成績順位のランクが出たみたいです。

あの時、大原校長先生も困ったかのような言い方をしていたのを憶えています。

前年、その前年、一学年上も二学年上も・・尾道市内ではトップクラスだったようですが、我々の同級生の成績は、どうも最下位クラスだったようです。

大原先生は、我々を三年間、物凄い情熱をもって、教えてくださいました。

だから、他の学年とは違って「いじめ」とか「暴力」とか・・そういった類の問題は、ぼくらの同級生の間では、ほとんど無かったのです。

ただ、ある先生の授業をボイコットしたことは、ありました。

今、思うと、知らないうちに、大原先生の社会学の影響を受けていたのかもしれません。

もう一度、受けてみたい授業・・大原校長先生の社会科です。

きっと、日本一の授業だったはずです。