今日、封切りした映画「天気の子」を観て参りました。
希望という未来の光を求めて、離島から大都会の東京へと家出した高校生の少年が、雨ばかり降る天気を晴れた空に変える晴れ女100%の少女と出会うストーリーでした。
街並みの彩りを一変させる光の世界は美しく、大雨を降らす鉛色した天候は心を鈍くする地上の世界界・・・果たして、それが人間の理想社会なのか?
地球規模で考える時間の営みの中で、人間力、人類愛まで考えさせられたアニメ映画です。
今、民放テレビから「サマーウォーズ」という10年程昔、話題になったアニメ映画が放映されています。
近未来の仮想都市オズネットを管理する人工知能が、現代社会を崩壊の危機に陥れるというストーリー。
それから、10年後の今。
文学も映画も、妄想力の時代です。
ある意味において、人間が創造する想像力は、その社会、国家、科学、文化、民度のレベル(尺度)かもしれません。
その想像力の源泉が、妄想力かもしれません。
宇宙の果ての先を想像するのには、妄想力が必要です。
限り無い妄想力、それを生かすも殺すも、人間の希望と絶望です。
昨日の京都アニメーションへの放火事件。
心が傷むほど憎むべき犯行に言葉も見つかりません。
多くの犠牲者の方々へ、心からの哀悼の意を表します。
黙祷。
一人の一滴の涙が、百人集まれば、百滴になります。
万人の涙は、雨です。
明日、元気に、天気にナァレ。