百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

カンボジアからの便り

2008年05月18日 | 千伝。
パソコンのメールを整理していると、とても印象に残るメールがでてきた。

Yさんからのメールだ。

カンボジアのネットカフェから送ってきたものである。

当時、Yさんは、カンボジアの孤児院でボランティア活動をしていた。

そこの子供たちは、びっくりするほど勤勉だそうだ。

「熱心に勉強する。朝は毎日5時に起きて、床の雑巾掛け、洗濯機がないので、手で洗濯をする。お手伝いもよくする。彼らの姿を見ると、かつての日本の姿もこんな風だったかもしれない」と・・Yさんは書いていた。

「このカンボジアという国の目指す発展国というのが今のアメリカだったり日本だったりするのならば、彼らの幸せに繋がるのかどうかは自信がない」と・・締めくくってあった。

豊さの享受というものを考えさせられてしまう。

そして、ぼくたちは、ほんとうに真摯に生きているのだろうか・・と考えてしまった。

一読の価値

2008年05月16日 | 千伝。
徹夜での英文でのコラム書きのあと、ウトウトと寝ていたら・・
昼前に、近所の書店から「ご注文の本が入りました」という電話で目が覚めました。

早速、午後から「英国人になった大和撫子」岡崎ウォード伊佐子著(発行:東京キララ社 発売:三一書房)を読み始め、夕方には読み終えました。

英国国内での地理的な距離感覚、階級社会や教育制度の背景、異国人に対する寛大な偏見・・
これらは、英国に長く滞在しなければ分からない部分があります。

昭和29年(1954年)に渡英後、最初に日本人と会い、日本語を久しぶりに話したのは、昭和43年(1968年)だとのこと。

その14年間・・日本語と隔絶された世界で生きたというのは凄いです。
その間、うつ病状態にもなったみたいですが、英国人になった岡崎さんが、いかに奮闘努力したのか、心が痛いほどよく判ります。

昭和50年・・21年ぶりに帰国。

英国での教育制度、大学進学ですが、半端な勉学意欲だけでは太刀打ちできません。
小生・・恥ずかしながらギブアップした経験があります。

さて、岡崎さんは、子育てを終え、なんと44歳(昭和49年)から大学・大学院へ。
その後の岡崎さんのキャリアアップは、目を見張るものがあります。
自らの人生を切り開くことができて本当に良かったです。

華々しいキャリアアップした先駆者の軌跡です。
個人的に興味深いのは、住友ゴムの英国ダンロップ社買収のヨーロッパプロジェクトへの参加、現地での通訳、調整役、また日本ビジネス政策研究所や英国の大学と日本の大学との交流提携の責任者として、さらには日本経済同友会会員のリーダー(経営者)との関わり合い、インタビュー等々、日英間のビジネス、文化交流での大きな足跡を残されています。

幼い頃、我が祖先の眠るお墓の隣地に、真っ白な優しい大きなお墓が建ってありました。
罰があたるかもしれませんが、その珍しくて優しい・・真っ白なお墓の周りを走り回って遊んでいた記憶があります・・岡崎ウォード伊佐子さんのご両親が眠られるお墓です。(合掌)

岡崎ウォード伊佐子さん・・小生の母と同年代で遠縁の関係になりますが、同じ風景を見た大先輩の方が英国で活躍されていることを知ると、懐かしさがこみ上げてきます。と同時に、生きる勇気が湧いてきます。

小生の生き方は、間違っているのではないかと・・母の代わりに顔をひぱっ叩かれたような読後感(気持ち)になっています。(笑)

ただ、母は、キャリアとは無縁の専業主婦として生きてきました。

「大切なことは、よそ様と比較しないこと」

人生は、50代から楽しいはずです。

キャリアアップの形成を人生の主軸にする方には「一読の価値あり」です。

Simple is Best !?

2008年05月16日 | 千伝。
この頃の産経新聞のコラム欄「産経抄」を読んでいると、朝日新聞の「天声人語」を読んでいるのかという錯覚に襲われる。

それほど、両紙の思考視点基準の段差境界差異が縮んでいると考えるのは・・
小生だけだとは思えない。

取材原稿(日本語)もビジネス英語の文章もそうであるが、短く正確にシンプルに書くのがベストだと・・若い頃から教わった。

それと似た現代の感覚が、携帯電話によるメール文章かもしれない。

ほとんど使わない携帯電話でのメールであるが、もし、30年昔いや20年昔に、携帯電話やインターネットが今の時代のように一般に普及していたならば・・多くの人間の人生が大幅に変わっていたのかもしれない。

文章で伝えるエネルギーは、短い長い、単純さ複雑さ・・質量の問題なのである。

昔は、よく手紙や葉書を書いた。
その同じ文章量を、携帯電話でのメールに書くとすると、おそらく受け取った本人は、嫌気を覚えるのではないだろうか、という心配がある。

同じく携帯電話でのメールは、会話答弁という形で何度も往復しながらメッセージが伝わる思考回路になるのではないか、これでは直ちに返信がないと不満足な気持ちになるはずである。

それでも、携帯電話のメールは、便利であり、シンプルなのである。
ただ、便利かつシンプルさは、確かな不満を生み出すのである。
手紙や葉書を書いていた時代は、届かぬメッセージは、確かな不安だった。

不安と不満の垣根は、精神と肉体の関係に似ている。
思考が、シンプルになるほど欲望のままに太る。
かと言って、思考回路が複雑になるにつれて神経が痩せ細るのである。

携帯思考の画一化が、新聞のコラムの内容にも如実に表れているような気もする昨今である。


Simple is Best・・とは、ものごとに単純に向き合えという意味なのであろうと解釈します。

今、外もだんだんと明るくなり、夜明けの状態です。
もうすぐ陽が昇り、今日一日が始まります。

よいことがたくさんある一日でありますように。

分散への集中

2008年05月15日 | 千伝。
小生・・家庭内別居状態の中で、家内に小生の資産財産一切の権限委譲をして以来・・

自分なりの「集中投資」という側面(プラス方向)を模索しています。

ものごとを成就するには、集中力という力を使うしかないのです。

目的以外のことは気にしない・・集中力。
あとは注意散漫となる・・分散力。

例えば、基本的には子供が受験勉強をして大学に進学するのは、学歴とか職歴とは関係のないリスクのある個人業の自由業や低収入の仕事を回避するため安全対策です。

どうも、社会全体が少しでもリスク回避の分散投資に集中しています。

だからこそ、安心安全な快適な人生がつまらなくなるのかもしれません。

あいたくて

2008年05月14日 | 千伝。
若い頃、自分の誕生日が祭日になっている国はあるのだろうかと調べたことがある。

世界のナントカ資料という分厚い本で、国の祭日と自分の誕生日が一致しているのを調べると、世界広しと言えども、ひとつだけあった。

その国は、ヒマラヤ山脈にあるブータンである。

先日の東京新聞のコラムに、ブータンのことが取り上げられていた。

「ブータンは、GNH(国民総幸福)を国の指針にしていることで知られている。人間は物質的な豊かさだけでは幸福になれない。だから経済的発展のために心の豊かさを犠牲にしてはいけないという考え方である」「毎日が半日勤務、午後が半日休日・・」

・・つまり、ブータンは、幸福大国なのだそうである。

日本では、ゴールデンウィークも終わり、出社や登校拒否症にもなる五月病に陥いる方々も多いのではないかと思う。

若い世代だけの話ではない・・
同年代の50代のほとんどが、ほんとうは組織の中での自分のポジションや将来の予測も判断もできているのにもかかわらず、しがみついてまで働く姿に、愛おしいものさえ感じてくる。

何という表現をしたらよいものか・・
頭の薄げや禿げを隠すのに都合のよかった「ちょんまげ」という江戸時代のヘアスタイルが浮かんでくる。
たとえば、会社命令や仕事ならば、スキンヘッドにもちょんまげにもなれるはずである。
役者ならば、当然のことである。

だが、自ら進んで、50歳を過ぎて、いざという時に「ちょんまげ」または「スキンヘッド」のヘアスタイルができるか・・という気構えの問いかけである。
笑いの表現、怒りの表現・・自己表現を、どこにぶつければよいかという気構えの問いかけなのである。

ブータンの国民のように半日働いて、半日休日・・
ほんとうに、幸せになれるのだろうか?
心の豊かさは、心構え、気構えでしかないと思うのである。

自分らしくなること以外に、自分が幸運になれる道はないと思うのである。

昨日の東京新聞のコラムに、詩人の工藤直子さんの「あいたくて」が紹介されていた。

だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた そんな気がするのだけれど

ほんとう・・そんな気がする今宵です。
福となるような気構え心構え・・大切です♪

英国人になった大和撫子

2008年05月13日 | 百伝。
先月末「英国人になった大和撫子」という本が、東京キララ社から出版されました。

著者の岡崎ウォード伊佐子さん(77歳)は、小生の母方の遠縁親戚にあたる方です。

以前「マネジメントの日英比較」等の論文なども発表もしています。

すでに結婚して渡英50年以上・・子供の頃から「今は何をしているのやら・・英国に渡った親戚にあたる女性がいる」という話は、何気なく聞いていましたが、小生の英国滞在時にも一度も会うこともありませんでした。

母は、「二歳下の伊佐子ちゃんは、利発で目鼻立ちのはっきりした別嬪さんだった」と懐かしそうに話していました。

機会があれば、岡崎ウォード伊佐子さんの自叙伝を買って読んでみようと思っています。

そう言えば、英国滞在時に、大和撫子とは思えぬ(程遠い)二人の友人から各々のデビュー著作物(出版本)を、わざわざ日本から贈られてきたことがありました。


大和撫子(やまとなでしこ)・・日本女性の美称。
か弱いながらも、凛々しく、清楚で凛とし、慎ましやかで・・

幸せになってほしいものです。

素晴らしい一日

2008年05月12日 | 千伝。
今日は、素晴らしい一日でした。

誰かに話すと、この幸せな気持ちが飛んで行きそうで・・。

そっと胸に秘めておきます。(笑)

ほんとうに・・嬉しい一日でした。

人生、こうでないと・・

これが、生きがいというものかもしれません。

ありがとうございます。


汝の敵を知れ

2008年05月12日 | 千伝。
昨晩のNHKスペシャル「緊急報告・社会保障が危ない」というテレビ番組・・。
日本全国でどれぐらいの方が観たのであろう。

身の周りを見渡すだけでも「貧困と孤独」の影が、じわじわと覆い忍び寄る日本の近い将来である。

二年前から、アルバイト気分、趣味の要素もなくもないが・・病院で肉体労働に励んでいる。
要介護5レベルまでの、とりわけ老人介護に従事する3Kとも呼ぶべき介護パートとしての肉体労働である。

老人花盛りの時代・・その行く末は、どうなるのだろうという気持ちで向き合っている。
その日常報告は、個人情報等の秘匿の義務もあり、明らかにできないが海外にコラムという形で書き送っては残しておきたいと考えている。

もう20年以上昔、まだ若い時にロンドン郊外にある高級老人ホームで、三ヶ月間、住み込みでボランティア体験したこともある。

そこでの下の排泄処理など・・俗に汚い仕事に従事する者は、ほとんど黒人が行っていた。
要介護の方々の入浴は、何故か夜間にされているのだが、その現場は、酷いものだった。
黒人が、老いた痴呆白人に対しての暴言、暴力行為が、頻繁に行われるのである。
・・その現状をホーム側に報告すると、人手不足の労働実態なのかどうかしらないが、正直に報告した小生の方が、職員のなかで孤立した・・。

そこを出る時、ホームに暮らす老人達が、口々に「おまえは正し過ぎた。悪くない」と言ってくれたのが救いだった。

とりわけ、小生の英語をよく注意して個人的にも多々教えてくれた元バレリーナのマドンナでコラムニストだったKさんが、杖で小生のお尻を叩いて「この国は、レディファーストの国なんだよ。私より先にエレベータに乗るな。それがジェントルマンの基本だよ」
「この世の命は、いろんな差別のうえに生まれてくる。憎悪も良心もある。喜びも悲しみもある。ただ、あの世に逝くことだけは、人間も動物も生き物も皆平等なんだよ」
・・小生の忘れられない言葉である。

5年ほど前、父の身体が弱くなり介護が必要になった頃から、いやずっと前から日常の会社員稼業に疑問が生じてきた。
組織に属して40代を過ぎて50代が近づくと、誰だって組織の中の自分の未来ポジションを予測できるはずである。
人生一度のはずなのに・・ほとんどの者が、一定収入の安全、家族生活維持の安心が欲しいだけで、しがみつく仕事稼業に息苦しさ覚えるはずである。

今でも、時々、悪夢を見ることがある。
決まってドイツ人の上司が現れて、彼から毎日のようにドイツ訛りの英語で強烈に罵倒されて書類を床にばら撒かれるシーンである。
それを拾い集める惨めな自分の姿である・・嗚呼、嫌だ、嫌だ。(笑)

でも、あのドイツ人は、感情論を抜きにすれば、部下である小生に正論をストレートに主張していたのかもしれない。
感情を押し殺して、人を見て風見鶏のように対応する日本人と・・どっちが陰険だったのだろう?

辞めて・・清々することも、懐かしく思うこともあるのである。

話を戻すと、今の日本の介護や医療の現場は、人手不足である。

とりわけ、介護の仕事は、3Kの低賃金で、家族があれば、生活は大変である。

これからの30年間・・ボランティア有志や医療や介護の職員だけに頼るだけでは、増え続ける日本の老人問題は、解決もしないし幸福にはなれない。

一日で、介護の職員の月給分(10万円代)を稼ぐことも可能な社会層に居るレベルの人間から「どうして、そんな仕事に興味を持つのか」と問われる。
理解できないかもしれないが、誰かが、しなければならないのが実態なのである。

来年から日本の裁判員制度に国民が参加する義務を伴うが、日本の社会福祉制度にも国民が参加する義務を伴うものが制定できればよいと思う。



小生、少しの時間でしたが、自分の父親の介護を自らの手で出来て幸せでした。

老人になるまえに、老人の現状実態を知るのが、人生を幸福にする覚悟の一つの手段となるかもしれません。

「汝の敵を知れ」とは、老いゆく自分自身のことなのでしょう。

母の日

2008年05月11日 | 千伝。
毎年やってくるツバメが、今年もまた実家の上にある空を何度も舞うように飛び回る。

だが・・今年のツバメは、降りてこない。


「ツバメは、喪中の家には来ぬそうな」

・・ 燕の巣を見ながら、母は、ポツリと言う。

「父さんが、ツバメになって、見守っているんだよ」 

・・ 母を見ながら、兄は、ポツリと言う。

プレゼント

2008年05月11日 | 千伝。
思い出すと、案外いろんなものを頂戴していることに気がつきます。

その中でも、印象深いものをあげると・・

小生、音符も読めない音楽音痴ですが、バイオリンを持っています。
いつか弾いてみたいものですが・・どこかでお稽古事でもしないと難しいのかなぁ。
このバイオリン・・かなり値打ちのあるものらしいですが・・
英国の貴族から頂いたものですが、もう埃を被った状態になっています。

学生の頃、近所の煙草屋さんのお爺さんから、写真現像一式も頂いたことがあります。
申し訳ないのですが、とうとう一度も使うこともありませんでした。

社会人になりたての頃、ある方から新古車を貰ったこともあります。
東京では、車が必要ないので、自動二輪バイクと交換しました。

一番困ったのは、取引先の大事なお客様の義理妹さん(奥さんの妹さん)を貰ってもらえないかと縁談を勧められたことでした。
勿論、丁重にお断り致しました。

最近・・よく貰い物があります。
お中元やお歳暮の次元レベルの話ではありません。

生涯の宝物として、貰えるという事は、そうなる道理、決まり事があるのです。
笑顔の多い方には、プレゼントが多いはずです。

笑顔という宝の持ち腐れになるないようにしないと・・(笑)。

プレゼントとは、「現在生きている」という天から恵みです。

福となれ♪

シンガー・ソング・ライター

2008年05月10日 | 千伝。
今日は、大学生の甥っ子の誕生日である。おめでとう!

彼は、学業よりも、ナントカと言う音楽サークルに入って、そちらの方ばかりに専念しながら、自分でも作曲作詞してギターを弾きながらボーカルとして歌っているらしい。
アマチュアなのに、一部固定ファンもいるらしいが、ほんとうだろうか・・?!

シンガーソングライター・・と言うよりも何て呼ぶ方がいいのだろう?
ミュージシャン? アーティスト? 音楽家?

小生の学生時代の頃も、ギターを抱えて音楽の道を目指している者も多かったが、実際、ほとんどが夢だけ見ていたのか、夢破れたのか、同期の身の周りを見渡してみると・・
よく調べないと判らないが・・
・・文学の業界でプロの作家になった者はいるが、音楽の業界では残念ながらプロになった者はいないはずである。

食べてゆけないだろうという不安な要素もあるだろうが、失敗して後悔する方が、トライもせずに一生を後悔するよりも、余程に・・人生楽しいはずである。

甥っ子は、音楽が駄目でも、もともと何をしても生きてゆける柔軟性もあるから、きっと大丈夫だと思うが、出来ればシンガー・ソング・ライターのプロを目指して欲しい。

叔父としては、甥が、ほんとうにプロの音楽家を目指すならば、真剣に挑んでほしいと思うし、全面的にサポートもしたいと考えている。

小生、全く音楽音痴だけども、音楽好きである。
・・できるものならば、一緒にデビューしたいぐらいである。(笑)

音楽とは、音学なり。
文学とは、文楽なり。

今日も一日、福となりますように♪

こどもの日

2008年05月05日 | 千伝。
人は、誰だって、老いても・・
いつも、いつまでも、子供のようなものかもしれません。

笑顔が、戻りますように。
元気が、戻りますように。
朗らかに!

いつも、笑顔でありますように。
いつも、元気でありますように。
いつも、朗らかに!

いつまでも、笑顔でありますように。
いつまでも、元気でありますように。
いつまでも、朗らかに!

小さな福が、届きますように。
大いなる福となりますように。

福という一文字が加わり・・
辛が、幸となりますように。

大黒天さん


マノン・レスコー

2008年05月04日 | 千伝。
今日の福井地方・・30度を超えた真夏日でした。

午前中、肉体労働。
午後から、パソコンの前に座って、ずっと検索作業に没頭していました。

「されど われらが日々」(柴田翔 著)という青春小説が、60~70年代の大ベストセラーになりました。
多分、我々の世代が、最後の読者層だったのではないかと思います。

何故、そんなことを思い出したかというと、小説の登場人物である若い男女の恋愛の挫折が軸になっており、二人は、すでに老年期に達しているからです。
彼らが今の時代に再び出会うと・・どうなるのだろうという想像です。

あと5年ぐらい先から・・東京をはじめとする都会は、介護難民の扱いが深刻になるようです。
老年期の孤独死があふれて、もう新聞記事やニュースにならないぐらい日常茶飯事となる可能性が高いです。

今、ニュースで話題となる迷惑千万の硫化水素による自殺者の比ではありません。
(ところで、硫化水素の作り方は、中学校の理科の教科書に載っているようです。)

時代は移り変わり、老後の介護や医療制度も国家責任であるという社会意識が、日本国民に目覚めたような21世紀、平成の時代です。

一方で、老後の生活を有意義にするための第二、第三の人生のあり方も考えさせられます。

元気な男性老人のなかには、年金を貰う受給日に、そのままソープランドのような類の場所に足を運ぶ方も多くいらっしゃるようです。

生きるための最低限必要な力は、愛情という優しさです。
これが、不足して壊れかけているのが日本社会の現状かもしれません。

だから、恋がうつつに、触れあうものとして浮上します。

「「「「「「「「「「「「「「「

恋は、富よりもはるかに強い。
恋は、財宝や富裕よりもはるかに強い。
されど 恋は「それらの力」を借りなければならないのだ。
<マノン・レスコー:より一部抜粋>

」」」」」」」」」」」」」」」」


ふと、思うこと・・。

恋は、「老い」よりもはるかに強いのだろうか?

「老い」は、恋よりもはるかに強いのだろうか?

現実的には、老いも、また「それらの力あるいは愛情」を借りなければならないのでしょう。

スラバヤ

2008年05月04日 | 千伝。
随分昔、シンガポールとマレーシアに行く機会があった時、父に「一緒に行くか?」と聞いたことがある。

「あのあたりは、生き地獄のような思い出ばかりで・・。スラバヤなら行きたいな」と漏らした記憶がある。

「スラバヤ? それ、どこ?」と訊いたまま、あの時、この旅行話は終わった。

因みに、スラバヤは、インドネシア第二の街(東ジャワ州州都)で、インドネシア最大の国際貿易港、軍港でもある。

今になって父の足跡を追って調べると、父は、18歳の頃、スラバヤ港にある中央埠頭の突端の信号所で勤務して手旗信号や港内の見廻り、船舶への伝達係をしたのち炊事班へ。

マレー語も中国語も喋れるということで現地での食料調達、献立作りをしていた。

ラバウルへ移動するまでの・・父の1年半ほどのスラバヤでの生活が、いちばん人生で充実していて人種を超えた人情や心の温かさや親切さを知った・・と記してある。

その後の人生の指針ともなった・・とも記している。

Quality of Life という言葉がある。

父には、子供の頃、よく叱られては殴られた。

だが「勉強しろ。いい学校へ進学しろ。いい会社へ就職しろ」とか一度も言われたことがない。

21歳の時、学生レポーターとして選抜されて、サイパン島へ取材に行ったことがある。

サイパンには、太平洋戦争末期、米軍が上陸して現地の日本人が逃げ惑い、多くの邦人が飛び降り自殺したバンザイクリフという悲しい呼び名の絶壁の崖がある。

その時に書いた紀行文を読んだ父が言った「おまえ、満更馬鹿じゃないのう」という言葉を思い出す。

あとは、ほとんど褒められたことがない。
「仕事? おまえを雇ってくれているだけでも会社に感謝しろ」
「海外? 行ってこい。人生勉強してこい」
「結婚? おまえには、もったいない女房じゃ」
「孫? 嫁さん似になればよい」

「おまえは馬鹿なんだから、身体を張って、丈夫に正直に働け」とよく言われ続けた。
最近、この意味が解る。

そう、「身を滅ぼすな」という父からのメッセージだったと確信している。

でも、もっと「褒めてくれたら・・」、もっと、ましな大人人間になっていたかもしれないと思うこともある。

さて、こんな人生の教訓があります。
魚を与えると、その人は、その都度、食事をすることができます。
魚の釣り方を教えれば、その人は、残りの生涯は、ずっと食べてゆけます。

父が愛した街・・スラバヤ。
スラバヤへ行ってみたいような感傷と・・行ってみたくないような暑い今日一日です。

スラバヤ通りの妹へ♪

2008年05月02日 | 千伝。
昨日は、いろいろあったので箇条書き。

午前中、個人的な質問に、静岡県から観光案内のパンフ、日程表等々一式が宅急便で届く。
凄いなぁ・・静岡県!

午後から、滋賀県大津市へ。

わが国の俳諧第一の聖地だとも言われている義仲寺(ぎちゅうじ)へ。
街中にある小さな寺で、余りにも狭いお寺で、びっくり。拝観料200円。
旧東海道に面していました。

義仲寺

中にはいると、巴御前が弔った木曾義仲の墓、そのお隣に松尾芭蕉の墓。
ちょうど、NHKの若い女性記者が事務方の責任者に事前取材の雰囲気だったので、図々しく割り込んで気になっている事項だけ質問攻め。申し訳ない。(笑)

芭蕉の墓

石山寺へ。
余りに広大な敷地なので、びっくり。
今の時季、藤棚咲き誇る石山寺界隈である。
ほんとうに庭園も美しく、高地から瀬田川、琵琶湖も眺められる風光明媚な世界が広がる。
紫式部が「源氏物語」を執筆した文学の聖地だが、天然記念物の珪灰石の威容のうえにたつ日本最古の多宝塔(国宝)のに魅了される。

多宝塔

夕方、琵琶湖周回道路(さざなみ街道)を通って、福井へ。

昨日のガソリン価格アップ・・。
滋賀県のガソリン・レギュラー価格、もう155円平均@1L。
福井県のガソリン・レギュラー価格、まだ125円平均@1L。

昨日聴いた気にかかる曲・・スラバヤ通りの妹へ♪

帰宅すると、某企業からのプレゼン一式資料が宅急便で届いていた。

・・読まないと!
やる気満々です♪