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奈良県吉野郡川上村の伯母谷集落へ行ってきました。
国道169号線の伯母谷口バス停から1Kmほど山の中へ入って行くと道がなくなり、山の斜面に10数軒の家が建っている。
最奥、道の行き止まりに5~6軒、ちょっと下がって10軒程度の集落である。
ここへは 何回か訪ねているが住んでいる家は少なく、小学校跡もあるが 廃校になって数十年・・・
向こうに見えるのは国道169号線の伯母谷トンネル、手前右側に伯母谷口バス停
ここから右折して伯母谷集落へ向かう
少し上って下を見れば美しい色の吉野川、大迫ダムの上流です、周りは山また山の景色
道路は行き止まりになる、車を停めて集落の中を歩く
小さな集落で山の斜面だから、集落内は階段だ
ここが最奥の家、小ぎれいにしてあるが住んでる気配は無い
この家の宅地は、隣の家の屋根より高い
山の斜面に細い道 ~ 細長い墓地を見ながら ~ 少し歩いたら10件程度の集落
以前 来た時には、男性が一人住んでいたが、
今日は、玄関も雨戸も全部閉まっていて、誰も住んでる様子はなかった、この集落は無人になってしまったのだろうか
手前の大きな建物は寺、左の小さいのは公民館
公民館の奥は、モト小学校分校があったらしい、今に残ってるのは プランコと教職員住宅のみ
教職員住宅の屋根は植物に覆われてゆく
風呂の焚口だろう、昔の風呂は薪を炊いて湯を沸かしていたのである
教職員住宅の隣には遥拝所
神武天皇、天照皇大神、明治天皇、立派な石積の遥拝所である
「 日本林業の父 」と言われる土倉庄三郎氏が造った東熊野街道も、今ではこんな状態になっている
そして、山の斜面に建つ集落の家々も住む人は無く、山に飲み込まれて、人々の記憶から忘れられてゆくのだろう
以前、訪れた時には戸が閉まっていたが、今は朽ちて倒れて中が覗けた
この建物の右奥の家は、既に木々に飲み込まれてる状態だ
こんな寂しく誰もいない集落の中で、
イチョウの大木が大きく伸びて、青々とした葉をつけて枝を伸ばしている
伯母谷口バス停には、ややピークは過ぎているが鮮やかなつつじか咲いていた
奈良県吉野郡川上村の伯母谷集落へ行ってきました。
国道169号線の伯母谷口バス停から1Kmほど山の中へ入って行くと道がなくなり、山の斜面に10数軒の家が建っている。
最奥、道の行き止まりに5~6軒、ちょっと下がって10軒程度の集落である。
ここへは 何回か訪ねているが住んでいる家は少なく、小学校跡もあるが 廃校になって数十年・・・
向こうに見えるのは国道169号線の伯母谷トンネル、手前右側に伯母谷口バス停
ここから右折して伯母谷集落へ向かう
少し上って下を見れば美しい色の吉野川、大迫ダムの上流です、周りは山また山の景色
道路は行き止まりになる、車を停めて集落の中を歩く
小さな集落で山の斜面だから、集落内は階段だ
ここが最奥の家、小ぎれいにしてあるが住んでる気配は無い
この家の宅地は、隣の家の屋根より高い
山の斜面に細い道 ~ 細長い墓地を見ながら ~ 少し歩いたら10件程度の集落
以前 来た時には、男性が一人住んでいたが、
今日は、玄関も雨戸も全部閉まっていて、誰も住んでる様子はなかった、この集落は無人になってしまったのだろうか
手前の大きな建物は寺、左の小さいのは公民館
公民館の奥は、モト小学校分校があったらしい、今に残ってるのは プランコと教職員住宅のみ
教職員住宅の屋根は植物に覆われてゆく
風呂の焚口だろう、昔の風呂は薪を炊いて湯を沸かしていたのである
教職員住宅の隣には遥拝所
神武天皇、天照皇大神、明治天皇、立派な石積の遥拝所である
「 日本林業の父 」と言われる土倉庄三郎氏が造った東熊野街道も、今ではこんな状態になっている
そして、山の斜面に建つ集落の家々も住む人は無く、山に飲み込まれて、人々の記憶から忘れられてゆくのだろう
以前、訪れた時には戸が閉まっていたが、今は朽ちて倒れて中が覗けた
この建物の右奥の家は、既に木々に飲み込まれてる状態だ
こんな寂しく誰もいない集落の中で、
イチョウの大木が大きく伸びて、青々とした葉をつけて枝を伸ばしている
伯母谷口バス停には、ややピークは過ぎているが鮮やかなつつじか咲いていた