11時前から松阪市の白米城跡へ行ってきた
今日は1月にしては穏やかな気候、R165号線の青山トンネル付近は7℃の表示が出ていた。
目指すは 松阪市大阿坂町=伊勢自動車道・松阪ICの近くである
近くに庭園の美しい瑞巌寺と言う寺があるらしいので寄ってみる
大きな池に面して、山側に庭園が造られている
次に今日の目的地 阿坂城跡(白米城跡)へ向かう
標高300m余りの山頂に築かれた山城で、南北300m、東西150mの範囲に及ぶ。南北2つの郭からなり、北郭を椎ノ木城、南郭を白米城とも呼び、台状地を中心に堀切り、土塁等が配されている。
阿坂城は、文和元年(1352)の南北朝の争乱を伝える資料に初めて登場するが、もっともよく知られているのは応永22年(1415)に北畠満雅が足利幕府軍を迎え撃った戦いである。
蘢城する満雅は、馬の背に白米を流して水があるように見せて、水断ち作戦に出た幕府軍を欺き撃退したと『南方紀伝』(江戸時代初めに成立)は伝える。→→松阪市の資料より
なるほど それで「白米城」と呼ばれているのか … 納得
県道のバス停「大阿坂」の傍から西へ=山の方へ進む
途中で舗装路は終り、 「登山口まで350m」の表示があった
ここへパイクを置いて歩く
登山口には 、こんな看板もあった
360度の絶景 を期待して
こんな階段を頂上に向かって進む
最初は足取りも軽くだったが すぐに足取りも重くなってくる
延々と続く階段を ゆっくり ヨタヨタ ・ ユックリ よたよた と登る
40分ほどかかった、やっと頂上が見えた、もうすぐだ
頂上だ、かなり古い大きな石碑があるだけ、3m程だろうか?
何か文字は書いてあるが、長年の風雪にさらされてほとんど読めない
ほかに何もない
しかし360度の絶景があった
頂上は思ったより広い、素晴らしい景色だ
西は奈良県側の山々、東は伊勢湾、
しかし、モヤがかかってボヤー~としている
松阪方面
津方面
麓に住んでいる80歳のおじいさんも登ってきてた、あの山は○○山、その隣の山が△△山とかいろいろ説明してくれたがほとんど忘れた
でも、360度 絶景 絶景
天候がスッキリして、360度ハッキリ展望できる時に、是非もう一度登りたいと思いながら白米城跡を後にした
今日は1月にしては穏やかな気候、R165号線の青山トンネル付近は7℃の表示が出ていた。
目指すは 松阪市大阿坂町=伊勢自動車道・松阪ICの近くである
近くに庭園の美しい瑞巌寺と言う寺があるらしいので寄ってみる
大きな池に面して、山側に庭園が造られている
次に今日の目的地 阿坂城跡(白米城跡)へ向かう
標高300m余りの山頂に築かれた山城で、南北300m、東西150mの範囲に及ぶ。南北2つの郭からなり、北郭を椎ノ木城、南郭を白米城とも呼び、台状地を中心に堀切り、土塁等が配されている。
阿坂城は、文和元年(1352)の南北朝の争乱を伝える資料に初めて登場するが、もっともよく知られているのは応永22年(1415)に北畠満雅が足利幕府軍を迎え撃った戦いである。
蘢城する満雅は、馬の背に白米を流して水があるように見せて、水断ち作戦に出た幕府軍を欺き撃退したと『南方紀伝』(江戸時代初めに成立)は伝える。→→松阪市の資料より
なるほど それで「白米城」と呼ばれているのか … 納得
県道のバス停「大阿坂」の傍から西へ=山の方へ進む
途中で舗装路は終り、 「登山口まで350m」の表示があった
ここへパイクを置いて歩く
登山口には 、こんな看板もあった
360度の絶景 を期待して
こんな階段を頂上に向かって進む
最初は足取りも軽くだったが すぐに足取りも重くなってくる
延々と続く階段を ゆっくり ヨタヨタ ・ ユックリ よたよた と登る
40分ほどかかった、やっと頂上が見えた、もうすぐだ
頂上だ、かなり古い大きな石碑があるだけ、3m程だろうか?
何か文字は書いてあるが、長年の風雪にさらされてほとんど読めない
ほかに何もない
しかし360度の絶景があった
頂上は思ったより広い、素晴らしい景色だ
西は奈良県側の山々、東は伊勢湾、
しかし、モヤがかかってボヤー~としている
松阪方面
津方面
麓に住んでいる80歳のおじいさんも登ってきてた、あの山は○○山、その隣の山が△△山とかいろいろ説明してくれたがほとんど忘れた
でも、360度 絶景 絶景
天候がスッキリして、360度ハッキリ展望できる時に、是非もう一度登りたいと思いながら白米城跡を後にした