■September Rainに消されて / つちやかおり (東芝)
あまりにも天変地異、自然災害が頻発するので、どうにも「雨の歌」は憚られるとはいえ、それでもご紹介したいのが本日掲載のシングル盤A面曲「September Rainに消されて」です。
まあ、なにやらジャケ写だけを見ると、ほとんどジュニアアイドルのイメージビデオみたいですが、中身はきっちりアイドル歌謡の王道ソングが刻まれた、これが昭和58(1983)年9月に出されたつちやかおりの人気作だと思うんですよねぇ~~♪
それは、作詞:竜真知子&作曲:松尾一彦の提供する、曲タイトルどうりに哀愁の秋の歌の決定版♪♪~♪
しかも、つちやかおり持ち前の内向的な節回しとナチュラルな哀しみが滲む声質が存分に活かされた山田秀俊のアレンジも秀逸でしょう。
当時のアイドル歌手の中では、そうしたマイナーな感性をウリといっては語弊もありますが、所謂明るく・楽しく・ぶりっ子で♪ みたいな「お約束」の定番路線ではなかったところが、つちやかおりを忘れられないアイドルにしているとしたら、この「September Rainに消されて」は今こそもっと聴かれるべき歌じゃ~ないでしょうか。
ちなみに作曲を担当した松尾一彦は全盛期オフコースのギタリストとして知られているのが一般的かもしれませんが、派手さも程好いフィーリングの気の利いたメロディを書けるソングライターとしても流石の才能があって、昭和50年代後半から当時のアイドルやニューミュージック系のシンガー等々に多くの楽曲を提供していますので、気になる皆様はチェックしてみて下さいませ。
それと松尾一彦のもうひとつのキャリアとしてサイケおやじが記憶しているのは、オフコース加入前にやっていたジャネットというバンドの話で、なにがど~なったのかは知る由もありませんが、長髪からの断髪式をテレビのバラエティでやってしまった、つまりは所謂ツッパリバンドへのイメチェン企画だったんですが、持ちネタは歌謡ロックというか、むしろベタベタの歌謡曲とフォークの不自然な結婚みたない楽曲だったという、そんな笑えない話も昭和40年代後半~昭和50年代前半における日本のロックの現状……。
ですから、そんなせつないプロモーションをやらされていたバンドのメンバーが後にオフコースという超売れっ子グループに入って、爆発的な人気を得たという立志伝中の人物が松尾一彦かもしれず、実は正直、前述した断髪式ばっかりを覚えていたサイケおやじにしてみれば、松尾一彦がそんなこんなの艱難辛苦を乗り越え、大成功したと知った時には、妙な共感と羨ましさを覚えてしまいましたですねぇ~~。
緩和休題。
ということで、話は変わりますが、先日来の豊洲新市場騒動のあれやこれやは、マスコミによって連日多方面から関係者や識者が引っ張り出されながら、事態の真相や経緯の輪郭がますます薄くなるばかりの印象で、特に石原都政での副知事からそのまんま横流れして次の知事になった猪瀬直樹のトンチンカンな責任転嫁論は噴飯物!
東京オリンピックの招致から各関連施設の建設等々に密接に繋がっている築地市場の移転について、あんたが一番知っているなんてこたぁ~、トボケようのない事実でしょう。
だから豊洲新市場の工事落札率についても、99パーセント以上の驚異的な数字が出たり、それらを落札した企業体とオリンピック関連施設を作っているところが重なっているというのも、なにか解せないわけですよ。
おそらくは今頃、誰を生贄にして逃れようか等々を画策中の都庁職員の首には、冷たい風が……。
お役人様の世界も厳しい……、なぁ~んて同情はする気にもなりませんが、せめて冷たい雨の中で汚染された土砂でも片付けてからにして欲しいもんです。