名優・宝田明の突然の悲報……。
高齢とはいえ、最近まで元気な姿を我々に見せていただけに、驚きと悲しみは言葉にならないほどです。
故人の業績については、正統派の二枚目俳優というだけでなく、歌手やミュージカルスタアとしての活動、さらにはトークショウにおける穏やかにして熱の入った語り口のハートウォームな雰囲気の良さは、華やかなスタア街道に入る前の幼少期、その戦中戦後の混乱した時代を過ごした悲痛な体験があってこそかもしれません。
そのあたりは故人が平成30(2018)年に出版した本日掲載の著作「銀幕に愛をこめて(筑摩書房)」に詳しいわけですが、サイケおやじが殊更に胸に染みたのが、少年期を過ごした満州国(現・中国東北部)における日本の敗戦から新潟県へ親戚を頼って引き上げる前後の経緯で、そこには侵攻して来たソ連軍兵士の乱暴狼藉から自らも銃撃されての大怪我、実兄との生き別れ、そして帰国後に再会した諸々……。
正しく、これが戦争という愚行の悲劇の一端であり、サイケおやじは以前に宝田明が登場したトークショウに参加した時、最初は東宝映画関連の逸話を期待していたんですが、実際には前述した悲惨な体験を静かな熱気と共に語られ、感動とも、動揺とも、あるいは…、せつなさの極みを覚えたましたですねぇ……。
中でも、前述した実兄との生き別れ~雪の降る北国の街での再会、そして再びの別れという現実の非情さは、それを実体験した故人が俳優として演じるものではない、真実の出来事だからこその静かな迫力があり、どんな映画のワンシーンよりも胸に残るものがありました。
また、故人を語り継ぐ場合に必ずや引き合いに出されるのが初主演作にして、永遠の名作「ゴジラ」だと思いますから、もしも関連してのドキュメント的映画が作られるとしたら、宝田明の戦争に対する悲痛な思いが実兄との別れや再会の場面を映像化する事により、尚更に強い印象となるのは必至でありましょう。
というよりも、「宝田明物語」を制作すれば、「戦争」や「ゴジラ」を包括した悲しみと希望が混然一体となった作品になるんじゃ~ないでしょうか。
相変わらず「金の亡者」に先導された無益な殺し合いをやっている現在の地球上から離れ、彼岸から愚行を見なければならない故人の胸中は、如何許りか……。
サイケおやじは、そんなこんなを再び考えさせられております。
宝田明、永遠なれっ!
合掌。