■春 / 北原ミレイ (ワーナーパイオニア)
いよいよ年度の変わり目にとなったわけですが……。
それにしても、これほど気が滅入った春を迎えるのは、なんとも……、せつないです…… (>_<)
それは私事ではありますが、仕事の諸々で、ど~しても自分が悪者になる道が最善(?)とは、「頭」では分かっているつもりでも、「心」が納得していないというか、これまでに幾度も首吊りの足を引っ張るが如き所業を繰り返し、それでも居直って来た自分が、今回ばかりは、ど~しても…… (-_-)
う~ん、心が弱くなっているんでしょうねぇ……。
ということで、本日のご紹介は、北原ミレイが昭和51(1976)年3月に出した掲載のシングル盤A面曲「春」であります。
ご存じのとおり、北原ミレイの十八番は、卓越した歌唱力で自虐的とも思える歌詞の世界を表現するという、それは「ざんげの値打ちもない」「棄てるものがあるうちはいい」「何も死ぬことはないだろうに」等々の初期のヒット曲から既に完成の域に達していたというのが大方の評価だと思いますが、そこから尚更に踏み込んだ心象風景を歌い込んでいく進化の過程(?)において、今ではスタンダード化している「石狩挽歌」のロングセラーを出したのが昭和50(1975)年でしたから、作詞:なかにし礼&作曲:浜圭介、そして編曲:馬飼野俊一という、それと同じ製作スタッフから提供された「春」が、その曲タイトルとは裏腹の凄絶な、やるせない情景を湛えているのも、ムベなるかなっ!
とにかく、その歌謡世界は酒に溺れる父親を憎みつつ、その心情を理解したつもりになっていても、やっぱり逃れられない一家の悲惨に、お構いなしにやってくる「春」の残酷さ……。
そんなこんなを芯の強い節回しで聴かせてしまう北原ミレイは、やはり唯一無二の女性ボーカリストだと思うばかりです。
なにしろ、それは恨歌フォークとでも申しましょうか、確かに歌謡曲にはなっているんですが、やはり独特のメロディと曲想があり、こんな陰惨な楽曲を聴いているうちに、なんとも説明不可能な、もしかしたら反骨のエネルギーかもしれませんが、グッと心に力は入ってしまうんですよ、サイケおやじは。
冒頭に述べたとおり、本日のサイケおやじは、仕事という大義名分で「人でなし」の所業に踏み切ったんですが、それだって朝イチで、この北原ミレイが歌う「春」を聴いていたからこそ、出来た様な気がするほどです。
何よりも、今、こ~して戯言を綴っていられる精神状態だって、決して正常とは言い難いながらも、居直りだけは意識している次第です。
あぁ……、明日は希望が、あればいい……。