OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

アイドル&アダルトな南陽子

2011-11-20 16:07:53 | 歌謡曲

噂の天使 c/w 二十歳の恋 / 南陽子 (RCA)

今日は南陽子です。

もちろん「南野陽子」じゃないんですねぇ~~。

南陽子は昭和48(1973)年にデビューしたアイドル歌手で、しかもテレビオーディション番組の「スター誕生!(日本テレビ)」の優勝者ですから、その実力も最高だったんですが、結果的に大きなヒットは出せずに引退しています。

しかし当時を知るアイドルマニアはもちろんの事、昭和歌謡曲が好きな皆様にとっても、なかなか強い印象を与えられているんじゃないでしょうか。

中でも、おそらくは3枚目のシングル盤であろう、本日ご紹介の1枚は、収録の2曲共が何れも素晴らしい傑作だと思います。

ちなみに「アイドル歌手」と書きましたが、当時の彼女は既に二十歳の大人の女性でしたから、必然的にアダルトな方向性も含んだ楽曲を歌うことはデビュー盤「赤い花まつり」からの既定路線だったようですが、それでもナチュラルなアイドル性は絶対の持ち味だったところが、南陽子の魅力のひとつでした。

それはA面「噂の天使」から全開で、森田公一の書いた中華風メロディのニューソウル的な展開を見事なアレンジで実践したのは高田弘という、まさに当時のヒットメーカー! そこに吉田旺の作詞が激ヤバなんですねぇ~♪

 蜜を求めて 集まる蝶々に
 あゝ 薔薇はいつだって、いやといわない

 あたなにあげましょう 噂の恋を
 あたながよければ 私もしあわせ

なぁ~んていう、実に思わせぶりな勘繰りが働いてしまう歌詞をジワ~っとした節回しで表現する南陽子は、アブナイですよねぇ~♪

まあ、このあたりはサイケおやじが稚拙な文章を弄するよりも、実際に聴いていただく他はないんですが、それでいて未だ大人になりきれていない女性アイドルとしてのフィーリングも濃厚なんですから、このアンバランスな魅力は今日でも充分に通用するはずです。

ただし当時は山本リンダ安西マリア夏木マリ等々のイケイケセクシー路線の歌謡曲が大きなブームになっていましたから、そういう「儚い危うさ」はイマイチのインパクトに欠けていたのも、また事実……。

そこでB面「二十歳の恋」は、そうした激しく熱い分かり易さを狙ったのでしょうか、A面と同じ作家陣によるファンキーなブラスロック歌謡がど真ん中! もちろんキャッチーなイントロからチャカポコのパーカッションとワウワウ使用のリズムギター、流麗なストリングをバックに歌う南陽子は、微妙に粘っこい情熱のコブシ回しが絶品ですよっ!

う~ん、こっちがA面でも良かったんじゃないですかねぇ~~~♪

ちょいとアルトボイス系の低いキーの声質を彩るヘヴィなビート感も良い感じ♪♪~♪

そして、この「赤」のイメージを貫き通したジャケットも素晴らしいでしょう。

当然ながら、当時の彼女は衣装も「赤」をメインにしていましたし、確か早乙女愛の主演映画「愛と誠(松竹・昭和49年・山根成之監督)」にちょい役で出た時も、赤いパンタロンかワンピース姿だったと記憶しています。

ということで、既に述べたように、残念ながら南陽子はブレイクすることなく、引退していますが、風の噂では所属していた事務所の社長(?)と結婚されたらしいですよ。

そのあたりも含めて、もう少し長く活動して欲しかった事もありますが、きっと今日ならばコンプリートの音源集が復刻可能かもしれませんし、そうなればアイドルらしからぬ変幻自在な歌唱力も評価されると思います。

そして、またまたそんな願いを込めて、この文章を綴っているのでした。

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大当たり♪ 河野みどり

2011-11-19 14:59:43 | 歌謡曲

切ない恋のブルース / 河野みどり (ポリドール)

本日のご紹介も所謂「ジャケ買い」させられた1枚とくれば、もう、サイケおやじの趣味性は隠しようもありません。

主役の河野みどり、というよりも、ジャケットに写る彼女のルックスが大好きな志麻いづみにクリソツだったんで、思わずゲットしてしまったのが真相です。

しかし、そうは言ったものの、河野みどり本人の熟女系エロキューションも実に強烈な印象ですよねぇ~♪ 高級クラブのママという雰囲気もありますし、また如何にも昭和40年代的な美人歌手&女優としての佇まいは、特にあの時代を知らなくとも、充分に伝わってくるんじゃないでしょうか。

まさに「ジャケ買い」趣味の急所を直撃してくるポートレート&デザインは、発売された昭和44(1969)年から時を越えて今日まで、本当に不滅の輝きを放っていると思います。

そして肝心の中身は、殊更A面の「切ない恋のブルース」が作詞:水木かおる、作曲:米沢武士、編曲:伊部晴美による典型的な夜の歌謡曲♪♪~♪

 わたしが燃えれば、燃えるほど
 冷たくなって ゆくあなた
 からだのどこかに のこってる
 あなたの匂いを さがす夜
 
 泪でうたう 切つない恋のブル~ス

これほど濃厚な歌詞を歌い回す河野みどりは、本当にジャケ写のムードそのまんまの声なんですから、たまりません♪♪~♪

もちろん、ためいき系の悶え節も要所で用いながら、全体としてはじっくりと刹那の情感を歌ってくれますよ。

ちなみに「ジャケ買い」の標的にされるジャンルとしては洋楽、特にジャズ~ポピュラー系の女性ボーカル物が一番だと思いますが、これが本当に曲者で、ジャケットの美女ぶりがレコードの溝に収められた声と全然違うことが少なくありません。

当然ながら、歌の上手い・下手も極北的にあるわけなんですが、そこに取り憑かれると地獄を見ますよ……。なにしろハズレを引いてしまう確立が圧倒的に多い世界ですし、ハズレるほどに次はきっと!?! なぁ~んて、意地を貫き通すギャンブル性と射幸心に繋がり、ドツボですから……。

これは実際に地獄に落ちていたサイケおやじが言うのですから、間違いありません。

そして、やっぱり大当たりが出たりすると、止められないのが本音です。

この河野みどりにしても、いったにどんな履歴や作品があるのが、ほとんど知らない女性歌手ではありますが、そこにレコードがあれば、絶対に買わずにはいられないと思うばかりっ!

これを確信犯と烙印されても、一切の反論をするつもりはありませんです。

失礼致しました。

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お詫び

2011-11-18 14:54:21 | Weblog

出張中のため、本日の1枚は休載、ご了解下さい。

というか、この国のネット環境は相変わらず最悪……。

ほとんど繋がらないのねぇ~~。

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ミリタリールックが流行っていた頃

2011-11-17 15:34:38 | Pops

Woman, Woman / The Union Gap (Columbia / 日本コロムビア)

1967年頃から突発的なブームになったのが所謂ミリタリーファッションで、これは軍服や軍装を日常的に着用する若者の服装感覚だったんですが、その発端はビートルズの「サージェント・ペパーズ」だったという説も確かにあります。

しかし同時にアメリカが関わっていたベトナム戦争への反対運動、あるいは極右的な愛国主義に傾斜する相対作用だった面も強くあったと思います。

ですから反権力の象徴のひとつだったロックをやっていた連中が意図的にそういう格好をつけるのも、また反動的愛国精神を発露するが如き懐古趣味を貫くのも、全てが時代の許すところだったのでしょう。

例えば本日ご紹介のシングル曲「Woman, Woman」を大ヒットさせたユニオン・ギャップは、掲載ジャケ写でもご覧になれるとおり、アメリカ南北戦争時の軍服を衣装にしていたバンドという印象の強さは、今も薄れていないはずです。

しかも御丁寧にというか、メンバーはゲイリー・パケット=将軍(vo,g)、ドゥワイト・ビーメント=軍曹(key,ts,g)、ケリー・チェイター=伍長(b)、ゲイリー・ウイゼム=兵卒(p)、ポール・ウィートブレッド=兵卒(ds,per) という階級までも決められていたのですから、キワモノ主義も徹底している潔さ!?

もちろんバンド名そのものが、南北戦争時代の古戦場に因んだものらしい、という情報は日本でも洋楽マスコミで伝えられていましたから、現地アメリカでは尚更に強いインパクトがあったんじゃないでしょうか。

それゆえに大らかな歌いっぷりのゲイリー・パケットが、幾分前時代的な香りと流行最先端のサウンドを希釈したプロデュースでスタアになった後、直ぐに俳優へと転身したのも当然だったと思います。

しかし1968年だけでも、「Woman, Woman」に続けて「Young Girl」や「Lady Willpower」等々の大ヒットを放った実績は不滅であり、それらは今もオールディズの定番として和みを提供してくれるんですから、逆に流行物の典型として侮れません。

つまり時代がサイケデリックだとか、前衛だとかが先端とされていた中にあって、ゲイリー・パケットの歌には、王道公式的な安心感があったんじゃないかなぁ~、と思うんですよ。

それは実際、同じ年の我国でもラジオから流れるユニオン・ギャップのヒット曲に、なにかホッとするものを覚えたサイケおやじ自らの素直な思い出気分♪♪~♪

ちなみに欧米ではポール・リヴィアーとレイダース、また日本のGSでもスパイダースジャガーズ等々の人気グループが同時期にミリタリールックでキメていたのも、懐かしいところです。

ということで、ヒット曲は時代と共にあり、また思い出の種として蒔かれるものかもしれませんねぇ~♪ それはゲイリー・パケットに限らず、ロック史的に云々される事もない歌手やグループであればこその責務だとしたら、リスナーやファンはリアルタイムで聴いていた頃を思い出したり、後追いで当時の情景を想像したりする我儘も許されるはず!?

いや、流行歌=ヒットポップスは、それがあっての世界なんでしょうねぇ~~♪

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ジョン・レノンのあの日、あの時…

2011-11-16 15:47:53 | Beatles

Lennonyc / ジョン・レノン、ニューヨーク (A&E / キング = DVD)

誰しも、そう長くない人生の日常は楽しいほうが良いに決まっているでしょうが、人はまた、誰しもが目を背けることが出来ない、避けて通れない悲しみや辛い出来事を通過しつつ、生きていくのだと思います。

それはサイケおやじにとって、例えばジョン・レノンの突然の悲報にしても、あの日、あの時から、毎年この季節になると尚更に拭いきれない気持が高まるのですが、そんなところへ本日ご紹介の映像作品が出たとあっては、端坐して鑑賞する他はありません。

タイトルどおり、ジョンの魂が蘇り、置き去りにされた街のニューヨークをメインの舞台に編集された後半生のドキュメント映像で、もちろんヨーコの全面協力と関係者の鋭意努力によって、これは生々しくも鮮やかな悲喜こもごもの記録!?

というか、そうした制作者側の企画以上に、サイケおやじは鑑賞後の湧き上がる感慨に逆説的な虚脱を感じるほどでした。

もちろん1971年9月~1980年12月までの間にジョン本人から発せられたインタビューでの言葉、あるいはヨーコやジャック・ダグラス、エルトン・ジョン等々の関係者への取材や証言は上手く纏められていますが、虚実も含めて、なにかリアルすぎて怖い感じは否めません。

なにしろ悲劇的な最期を我々は知っているだけに、そうした辛辣な現実を必要以上に意識させんとしたプロデュースは如何なものでしょうか……。

ただし驚愕せずにはいられない未発表の映像と音源の数々は、やはり圧巻!

そういうものから、絶対に逃げてはならないでしょう。

少なくともサイケおやじは、これまでジョンの歌や演奏や言葉から、どれだけの勇気と慰めを与えられたか!? またドロドロしたものまでも真摯な生き様としていたに違いないジョンの人間的なところは、その弱さも含めて、良くも悪くも凄いと思う他はありません。

リアルタイムでジョンと一緒に生きた皆様も、またジョンが生きた時代を体験されなかった皆様も、これは今だからこそ鑑賞していただきたい作品です。

世界的な不況と停滞、貧困や内乱や大災害に直面し続ける現代において、もしもジョンが生きていたら、こんな時にどんな言葉を発するだろう……。

そうした繰り言は、もう止めようと何度も思ってきたサイケおやじは、不覚にもこのDVDを鑑賞しつつ、落涙してしまいました。

街はすっかりクリスマス気分で、そこには故人の歌う「Happy Xmas」が流れてきたりもしますが、それを流す者をサイケおやじは信用しません。

そして今こそ、「ジョン・レノン、ニューヨーク」を観ましょうよっ!

もう、あの日が近づくにつれ、それは出来なくなるのですから……。

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ジョーディのから騒ぎロック

2011-11-15 15:54:41 | Rock

朝日のあたる家 / Geordie (EMI / 東芝)

この世の真実のひとつである、二番煎じの魅力は言うまでもありませんが、本日ご紹介のジョーディというバンドは、その路線を極めた事が人気の秘密だったように思います。

メンバーはブライアン・ジョンソン(vo)、ヴィック・マルコム(g)、トム・ヒル(b)、ブライアン・ギブソン(ds) という4人組で、イギリスはニューキャッスルの出身ということは、同郷の大先輩として世界中にその名を轟かせたアニマルズの影響下にある、ど根性のロック魂が基本的な持ち味だと思います。

ところがジョーディがいよいよメジャーデビューの1972年春は、ロンドンを震源地とするグラムロックのブームが真っ盛りとあって、T.レックスやデヴィッド・ボウイ等々に代表される「化粧」ミュージシャンが主流でしたから、本来が泥臭い音楽性と野暮天ルックスがジャストミートの魅力になっていた彼等にしても、当時はミョウチキリンなメイクを施されていたのですから、いやはやなんとも……。

実際、サイケおやじはリアルタイムの洋楽雑誌に掲載されていたジョーディの化粧スチールに思わず失笑しましたし、日本での最初のヒットシングル「君にすべてを / All Because Of You」のピクチャースリーヴも、また然りだったんですねぇ。

まあ、このあたりはブームに乗っかる勢いの大切さという業界の掟かもしれませんが、実際にジョーディの音を聴いてみれば、とてもグラム&グリッターロックの範疇に収まる連中ではありません。

むしろスレイドに近い、パワーポップなハードロックがウリであり、さらに共通するのがバカノリ系の騒乱バンドだったように思います。

しかし一方、残されたアルバムを聴き込むにつれ、カントリー風味のホワイトソウルやR&Bのブリティッシュロック的解釈、またブルースロックのお子様ランチ等々、なかなかウケ狙いが憎めない音楽性は、逆に侮れません。

そしてなんと言っても激しい印象を残すのが、ブライアン・ジョンソンの突き抜けたハイトーンのシャウトが垂直落下式のブレーンバスター如くリスナーを圧倒するという、バンド固有の必殺技があるのは絶対の強みでしょう。

さて、そうした中で1974年に発売されたのが本日掲載したシングル曲「朝日のあたる家 / The House Of The Rising Sun」で、これはご存じ! アニマルズ畢生の歴史的大ヒットのリバイバル狙いなんですが、今日まで数多残された同曲のカバーバージョンの中にあっては、如何にも疑似なプログレ風味とワザとらしいグリッター系の音作りがイナタイ!

このあたりはアマチュアバンドでもコピーしようが無いほどの個性であって、はっきり言えば、イモ寸前の仕上がりだと思います。しかし前述したブライアン・ジョンソンの空騒ぎっぽいボーカルがある限り、これは名演名唱という逆説も成り立つんですから、ヤバイですねぇ~♪

また本家アニマルズと同郷の強みというか、ジョーディのバージョンには、何か免罪符を得たかのような開き直りがあるようにも感じます。

そしてジャケ写からも一目瞭然、ジョーディの面々のルックスのダサダサな雰囲気は、もちろんバンド名がイギリスのニューキャッスル地域特有の方言を意味するところから、あえて田舎者をドロドロに演じようした意図があるんでしょうか? ちょうど似たようなウリを展開していたスレイドが低能やウスノロをやっていたように、自らバカをやりながら観客やファンを熱狂させる、ある意味ではイロモノ系のグループだったのかもしれません。

しかし、決してキワモノでは無い!

サイケおやじは、そう確信しています。

何故ならば、皆様ご存じのとおり、ブライアン・ジョンソンは音のデカさは世界一と言われるハードロックの人気バンドとなっていたAC/DCに、一座のスターだったボン・スコットの後任として加入し、見事に成功を継続させ、実質的に世界最高峰のバンドに導く働きをしたのですから!

またジョーディとしての活動でも、バンドの面々はそれぞれに堅実な実力派でした。

今日ではAC/DC云々でしか語られなくなったジョーディではありますが、1972年からの3年間ほどに聞かせてくれた歌と演奏は永遠のハードロックであり、今でも忘れられないというリアルタイムからのファンにとっては、懐かしさ以上の存在になっているはずです。

もちろん、その根源的魅力は冒頭に述べたとおり、二番煎じならではの分かっている楽しみをガブ飲み出来るところにあると思いますので、一緒に楽しんでいただければ幸いでございます。

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アニマルズに聴く、結果が全て!?

2011-11-14 15:33:45 | Rock

朝日のない街 c/w I Can't Believe It / The Animals (EMI / 東芝)

対立の構図を好んで報道する最近のマスコミにしても、同じ穴のなんとやらという読売ジャイアンツの内紛を大袈裟に騒ぐのは、どうなんですかねぇ……。

ここでサイケおやじが、あえて「読売」と書いたのは、ジャイアンツというプロ野球チームのゴタゴタではないという意味でのことです。

つまり、同じグループ内の人事や経営を権力闘争の具に使っているような感じがするんですが、それは如何なもんでしょう。

もちろん当事者達には、それぞれのバックがあっての行動発言でしょうから、決して短慮では無いはずというあたりが、尚更にスッキリしません。

もう、ど~せ、ここまでやっちまったのなら、ジャイアンツファンのためにも分かり易く決着させる義務が読売グループにはあるでしょうし、マスコミ仲間も揚げ足取りは止めるべきだと思うのですが……。

さて、そこで思い出されるのが本日ご紹介するアニマルズのシングル盤で、結論から言えば、これは所謂「新生」という新しき旅立ちの記録です。

というのも、ご存じのとおり、アニマルズのリーダーであり、音楽面の中心でもあったアラン・プライスがバンド内の諸問題から追い出される形で脱退した後の再出発は如何に!? その答えを明確に打ち出す事こそが、1965年夏のアニマルズには求められていたと思われるんですねぇ。

まさに人気バンドの宿命っていうやつでしょう。

そしてアラン・プライスに代わって入ったデイヴ・ロウベリーの実力はっ!?

そんなこんなが見事に結実した名演が、このシングル盤両面できっちりと楽しめるというわけです。

それはまずA面の「朝日のない街 / We've Gotta Get Out Of This Place」からして見事な成功という他は無く、強烈にグルーヴしまくったベースが凄いイントロから、自然体でエグ味を強調していくエリック・バートンのボーカルは真っ黒!

実はこの曲、アメリカのヒットメーカーとして歴史に名を刻すバリー・マン&シンシア・ワイルが本来はライチャス・ブラザース用に書いたと言われるだけあって、完全にブルーアイドソウルの御用達なんですが、それにしてもアニマルズの解釈による歌と演奏は本気度が高過ぎますっ!

タテノリ中心主義のドラムス&ギターに絡んでいくキーボードは、もちろん新参のデイヴ・ロウベリーで、そのソウルフルな味わいはアラン・プライスのジャズっぽさとは別のベクトルでバンドを熱くリードしていると思います。

ちなみにアメリカやフランスでは別テイクも流通していて、ボーカルの勿体ぶったところは個人的に大減点なんですが、オルガンがさらに全面に出た演奏パートはなかなか琴線に触れまくりという困り物ですから、要注意ですよ。

そうしたソウルフルな感覚はB面収録の「I Can't Believe It」でますます強くなり、どうやらエリック・バートンのオリジナルという説もありますが、その実態はソロモン・パークあたりが歌ってくれそうなディープな黒人R&Bのブルースロック的な解釈とでも申しましょうか、聴くほどにサイケおやじはシビれが止まりません♪♪~♪

なによりも粘っこい歌と演奏の一体感は当時の世界最高水準として、ストーンズ以上と言いきって後悔しないものがありますし、サウンドの要はソウルフル一本独鈷なデイヴ・ロウベリーのオルガンでしょう。特に山場でのエリック・バートンのボーカルとユニゾンでキメるパートは、何度聴いてもゾクゾクする他はありません!

ですから「朝日のない街 / We've Gotta Get Out Of This Place」は欧米でも期待どおりに大ヒットしていますし、我国でも昭和40(1965)年晩秋から年末年始にかけて、ラジオから流れまくっていましたですねぇ~♪

またB面の「I Can't Believe It」も、独立後のエリック・バートンがライプの重要演目にしていた事に加え、再結成&分裂アニマルズが演じたブートテープも残されていますから、これはバンドメンバー全員にとっても納得の仕上がりだったんじゃないでしょうか。

ということで、内部のゴタゴタが表沙汰になっても、その後に結果を出してしまえば全てが帳消しになり、むしろ所謂「雨降って地固まる」という事です。

ご存じのとおり、アニマルズはこのシングル盤を出した直後、売り出してくれたプロデューサーのミッキー・モストと別れ、レコード会社も移籍するわけですが、そうした流れの中でグループはエリック・バートン主導によるサイケデリックロックへの接近と迷走、それゆえのメンバーチェンジ等々を繰り返し、解散しています。

ところが残された楽曲と「アニマルズというバンド名」は絶対に消滅せず、むしろ時が経つほどに評価が高くなっている感さえあるんですねぇ。

ですから現実的には3~4組のアニマルズが同時並行的に存在していた頃もありましたし、離散集合の過程で内部のゴタゴタがミエミエになっていたとしても、周囲はそれを許していたように思います。

そこで現在の読売ジャイアンツを鑑みれば、既に「過去の栄光」に縋っている時では無く、「新しい出発」を目指すべき段階での主導権争いが見苦しいですよ……。

また、それを他のマスコミに面白がられているようでは、尚更にファンはせつないでしょうねぇ……。

まあ、幸いにしてサイケおやじはジャイアンツはど~でもいい立場なんで、そんな戯言も書けるんでしょうが、アニマルズに関しては、一生ついていく覚悟がありますので、そのあたりをご理解願いたく、暴言ご容赦下さい。

結局、世の中は結果が全てという真実も大切なんでしょうねぇ。

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真夜中にギターがあればこそ

2011-11-13 15:29:16 | 歌謡曲

真夜中のギター / 千賀かほる (日本コロムビア)

昭和44(1969)年のちょうど年末にかけて、日本中で大ヒットしていたのが本日ご紹介のシングル曲「真夜中のギター」でした。

これは所謂歌謡フォークの代表曲として、今日まで多くのカバーバージョンがリバイバルの如くヒットしていますが、本家本元は千賀かほる♪♪~♪

毎度恒例のサイケおやじの告白としては、歌謡フォークを嫌いではないくせに、それを否定する事ばかり口に出していた自分ですから、リアルタイムのテレビで見た千賀かほるに一目惚れしていたなんて、当時は絶対に悟られてはならない秘め事でした。

まあ、今となっては笑い話ではありますが、実は高校の時に入れてもらっていた同好会のバンドでフォーク組といっしょにやる時は、この「真夜中のギター」が定番例題として新入生には必修演目ということで、サイケおやじもエレキで間奏を弾かせてもらいましたが、その時には当然ながら嫌々の態度を作っていた事が恥ずかしいばかり……。

いゃ~、この年齢になって思い出しても、全く素直でなかった自分が情けないです。

ちなみにこの時にメインでリードを歌ったのは別なクラスの女子だったんですが、この人は歌もギターもなかなか上手くて、森山良子を目標にしていたというほどの才媛でした。しかし失礼ながらルックスが良く無かったのは本人も自覚していたらしく、それゆえに爽やかな思い出になっています。

で、楽曲そのものとしての「真夜中のギター」は、作詞が歌謡界の大御所として幾多の名作を書いた吉岡治! というだけで胸キュンの歌詞は納得する他はありませんが、親しみ易く、また万人が歌い易いメロディをつけた河村利夫の作編曲も流石だと思います。

そして歌っている千賀かほる♪♪~♪

今日では、この「真夜中のギター」だけが突出した大ヒットということで、穏やかなイメージばかりが先入観念にされていますが、既に述べたように、お姉さま系が大好き少年だったサイケおやじが一目惚れした前科が証明しているように、秘められたエロキューションの素晴らしさは唯一無二!

今回はその証左として、当時は当たり前に折り込まれていたB面曲用のジャケ写を掲載しておきますが、ご覧になれば余計な説明は無用かと思います。

ということで、千賀かほるは「真夜中のギター」以外にも素敵な歌はいっぱい出しているんですが、それはさっぱり評価されません。

またテレビも含めて、今日でも公の場に登場すれば、ほとんど「真夜中のギター」しか歌ってくれないのは残念……。

ただし復刻音源も含めたベスト盤的なCDが常にカタログに残されているのは、「真夜中のギター」という特大のヒットがあればこそなんですから、無碍に扱うことは許されません。

なによりも、素直に素敵な歌という真実と千賀かほるという歌手の存在は、絶対に不滅でしょうねぇ~~♪

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大好きな津々井まり

2011-11-12 15:07:29 | 歌謡曲

首ったけ / 津々井まり (RCA)

今や公然の趣味となった「ジャケ買い」というレコード蒐集道において、その基本とも言うべき「美女ジャケ」は、時として「エロジャケ」優先主義が罷り通ります。

もちろん昭和歌謡曲の世界では、そうした楽曲と歌手の存在感を両立させる狙いの企画が堂々とありましたから、これは嬉しい奥の細道♪♪~♪

例えば本日ご紹介の津々井まりは昭和45(1970)年にデビューし、結果的に大きなヒットも出せないまま、3年ほど活動した後に引退したようですが、ポップスから正統派演歌までも包括して歌うスタイルは、なかなかの実力派だったと思います。

しかし正直に告白すれば、なによりも素敵なのは彼女のエロい肢体とルックスの男好きのする感じが、もう、最高なんですねぇ~♪

それは掲載したシングル盤のジャケ写からも存分に賛同いただけるものと独り確信しておりますが、この「ア~パ~」な雰囲気の良さは、言葉そのものは「死語」になっているかもしれませんが、こうして眺めているだけで昭和元禄真っ盛りのムードが楽しめるはずです♪♪~♪

また肝心の楽曲「首ったけ」は作詞が山上路夫、作曲に村井邦彦、そしてアレンジは馬飼野俊一という凄い顔ぶれのトリオが揃っていますから、悪いはずもありません。

ただしメンバー的にお洒落なソフトロック歌謡を期待すると肩すかし!?

なんとっ! 全く正統派の歌謡曲で、当然ながら昭和45(1970)年という時代のポップス色も入った作りは、奥村チヨのセクシー路線を狙ったものでしょう。

そして何よりもサイケおやじを狂喜させるのは、好きな男に夢中になって、自分の心身を持て余してしまう状況をリアルに歌ってくれる津々井まりの節回しの上手さで、そのコブシのフィーリングやキワドイ言葉を息遣いも生々しく表現するボーカリストとしての実力は半端では無いと思います。

あぁ、このジャケ写にして、この歌あり!!

山上路夫と村井邦彦のコンビが、こんなに演歌チックな楽曲を書いていたという事実も重大じゃないでしょうか!?

しかも、完全にジャストミートする昭和歌謡曲の王道が見事ですよっ!

ということで、津々井まりもサイケおやじの蒐集の対象となって幾年月……。

ようやく先般、アナログ盤のシングルコレクションも完遂し、後はアルバムを狙うだけという境遇になりましたが、どうやら最近は、そのアルバム収録曲をメインにしたCD復刻も成されているようですから、ぜひっ、皆様にもお楽しみしいただきたいのが津々井まりという素晴らしい歌手なのです。

ちなみに彼女は当然ながら巨乳系グラマーアイドルとしての存在感も強烈だったようですが、残念ながらサイケおやじは実演はもちろん、テレビでも彼女を見た記憶がありません。

あぁ、動く彼女が歌う姿も見たいですねぇ~~~~。

何時の日か、そうした映像の復刻も強く望んでいるのでした。

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?とザ・ミステリアンズの確信

2011-11-11 15:34:04 | Rock

96つぶの涙 / ? & The Mysterians (Cameo / 日本ビクター)

度々書いてきましたが、楽曲が先にあっての「実態の無いバンド」による狙い撃ちのヒットは業界の常套手段であったのが、ひとつのロケンロール!?!

しかし、それを逆手に活かしたのが本日ご紹介の覆面バンド(?)が如き、クェスチョンマークとザ・ミステリアンズでした。

なにしろ件のシングルヒット曲「96粒の涙 / 96 Tears」は、日本盤ジャケットに代表されるピクチャースリーヴからして、美女を登場させたムード系イージーリスニングの趣ながら、中身はパンキッシュなオルガンをキャッチーなキメに使ったサイケデリックロックなんですから、これほどの確信犯は無いでしょう!

もちろんサイケおやじは昭和42(1967)年のリアルタイムにラジオで聴いて、それこそハートを鷲掴みにされ、さらにレコード屋でシングル盤を見た瞬間、その落差の大きさに唖然とさせられた記憶が今も鮮烈です。

実はクェスチョンマークとザ・ミステリアンズは当時の洋楽雑誌でも、それほどはっきりした写真が無かったようで、一応はリードボーカルが「?」という人だったんでしょうが、確かサングラス姿だったような……。

そしてバンドは5人組ながら、その詳細もわからず、これはきっとスタジオミュージシャンによる「実態の無いバンド」だと、1970年代までのサイケおやじは思い込んでいました。

ところがクェスチョンマークとザ・ミステリアンズは、最初っから立派にオリジナルのバンドが存在しており、メンバーはルディ・マルチネス(vo)、ボビー・ボールダマラ(g)、フランク・ロドリゲス(org)、フランク・ルーゴウ(b)、エディ・セラート(ds) の面々が堂々と全てをやっていた事実を後に知ってみれば、自らの不明を恥じいるばかりです。

というよりも、この「96粒の涙 / 96 Tears」の作者でもあるルディ・マルチネスが匿名性を打ち出すという手法に拘り、自らを「?」と名乗っているところに幾分の「あざとさ」があったにせよ、結果的に大ヒットとなれば、それは所謂「勝てば官軍」ってやつでしょうか。

また楽曲のキャッチーさ、そして演奏そのもののシンプルな構成はアマチュアバンドの御用達でもあり、それはジョン・ロードやキース・エマーソンは無理でも、それなりにキーボードの見せ場が作れるというポイントも嬉しいところでした。

ということで、クェスチョンマークとザ・ミステリアンズは、まあ、これだけで終わってしまった感があるものの、それでも「96粒の涙 / 96 Tears」はロックの古典曲になっていると思います。

個人的にも絶対に忘れられる事の無い名曲名演と信じておりますし、なによりも相当に頭の良いバンドだったんじゃないかと思う事も、疑惑というにはあまりにも凄いと感じている次第です。

それもこれも、結局はひとつのロケンロール!?!

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