OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

高田恭子のフォークロック演歌

2011-11-10 15:22:07 | 歌謡曲

みんな夢の中 / 高田恭子 (キング)

二次元の世界から濃厚なフェロモンを滲ませてしまう美女は大勢存在していますが、本日ご紹介の高田恭子も、掲載したジャケ写がモロにそれでしょう♪♪~♪

しかし現実での彼女はさらに素晴らしく、ハートウォームで清涼感のある声質と幾分ハードにドライヴするとしかサイケおやじには表現出来ない、特有のコブシ回しが実に個性的な歌手でありました。

そしてもちろん、ジャケ写に偽り無しのフェロモン過剰な佇まいと歌の上手さが絶妙のコントラストを描いていた事は、あらためて言うまでもないでしょう。

それは本日ご紹介の「みんな夢の中」が昭和44(1969)年に発売されるや、忽ちの大ヒットになった歴史にも明らかなんですが、実は高田恭子はこれ以前、マイク真木が率いていたマイクスのメンバーとして、既にシングル曲「星空のマサチューセッツ」を小ヒットさせていた実績がありました。

つまり彼女は本来、フォークソング系のシンガーだったんですねぇ~♪

また、後に知ったところによれば生まれ育った関西でも、そうした活動をやっていたところをマイク真木にスカウトされ、上京したと言われています。

しかし前述のマイクスが解散した事からソロ歌手に転向したわけですが、そのデビュー曲として、まさに昭和歌謡の名曲となった「みんな夢の中」を書いたのは浜口庫之助だったのですから、これは素晴らしき邂逅♪♪~♪

ちょいと沖縄音階も入ったような、妙にチャイニーズなメロディ展開を活かしたフォークロック調の楽曲を演歌保守本流のコブシで歌う高田恭子は、正真正銘のフォークロック演歌ですよねぇ~~♪

もちろん既に述べたようなイイ女っぷりも最高の極みですから、たまりません。

少年期から素敵なお姉さまが大好きだったサイケおやじが一発でファンになったのは言わずもがな、実は前述のマイクスで歌っていた高田恭子も実演のステージで接していたはずなのに、歌謡曲での彼女からは、また別の魅力が発散されていたと思います。

ご存じのとおり、高田恭子は以降も素晴らしい歌を出し続け、個人的には全ての音源に絶大な価値があると断言するほどなんですが、残念ながらコンプリートな蒐集は未だ叶っておりません……。

う~ん、CDを買おうかなぁ~~~♪

彼女もまた、お宝音源が入ったアンソロジー的な復刻を望まれる歌手だと思うばかりです。

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渡るり子の異常な落差

2011-11-09 15:12:30 | 歌謡曲

二人ぼっちになりたいの / 渡るり子 (日本ビクター)

サイケおやじの青少年期には「文通」なんていうブームがありました。

今なら「メールの交換」っていうことなんですが、それは遠隔地の友人を作る事でもあり、とりあえずは顔の見えない相手と交友する作業ということで、当時の雑誌には「ペンパル募集コーナー」という読者のページが人気を集めていましたですね。

残念ながらサイケおやじは、そういう事はやった経験が無いんですが、中学の頃はクラスの中でちょっとした流行になっていましたし、大人になってからも何かの機会で「文通」の話題が出たりすると、「自分も実は……」なぁ~んていう告白(?)を聞いたことが数回あります。

で、「文通」の一番の利点は、おそらくは最初に「お互いの顔」が見えないという事じゃないでしょうか。

ですから文章力があれば、相手との心の交流も可能なわけですが……。

それが相手との写真の交換をしたりすると、その後から急速に筆が鈍ったりする例も多いそうですから、難しいものですねぇ。

さて、そんな書き出しになったのは、本日ご紹介のシングル曲「二人ぼっちになりたいの」とジャケ写のイメージがあまりにも違い過ぎる事に尽きます!

結論から言えば、「二人ぼっちになりたいの」は昭和43(1968)年に発売された所謂「スベ公系エレキ歌謡」の大傑作なんですが、歌っている渡るり子はジャケ写からも一目瞭然! なにか優しい小学校の先生という感じでしょうか。エグイ歌詞の要所でグッと力んだ歌い方を聞かせてくれるなんて、とても想像も出来ません。

しかし現実は初っ端から激ヤバ!?

 あなたの あなたの あなたの胸に
 わたしは わたしは 抱かれてみたい

 ひとりぼっちが 嫌になって
 ふたりぼっちに なりたいの

なぁ~んていう歌詞を必要以上に気張って歌い回すのですから、楽曲だけ聴いてジャケ写に接したら、絶対別人だと思いますよねぇ~~~!?!?

実はサイケおやじが「二人ぼっちになりたいの」を聴いたのは昭和50年代のラジオの懐メロ番組で、という事はリアルタイムではそれほどヒットしていたとは思えないんですが、いかがなものでしょう。

もちろん渡るり子という歌手についても、未だに何も知りません。

それでも楽曲と彼女の歌い回しの魅力は絶大で、必死で探してゲットしたシングル盤のジャケ写を見た瞬間のイメージの落差は、それこそ死んでも忘れられないと思うばかり!?

う~ん、当然ながら渡るり子という女性がどういう喋り方をするとか、その実際の佇まいは知る由もありませんが、これほどズレまくった商品が出回っていた昭和40年代って、やっぱり「元禄」と称されたのも無理からんですよねぇ~♪

そしてサイケおやじは、その「落差」の強烈さを忘れ難く、他にも彼女のレコードを探索しているのですが、全く良い巡り合わせがありません。

ということで、顔の見えない世界を楽しむ事もレコード鑑賞のひとつの方法論ではありますが、「文通」だって何れは手紙を書いてくれた本人に会いたくなるのと同じく、ジャケ写と溝に刻まれた歌声や歌そのものの魅力が収められたレコード盤という存在!?

その罪作りなものから全く抜け出せないサイケおやじは、「文通」もやってみたかったなぁ~、と思う事がしばしばなのでした。

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深夜に流れる素敵なメロディ

2011-11-08 14:15:33 | Pops

Bitter Sweet Samba / Herb Alpert & The Tijuana Brass (A&M / キング)

自分に刷り込まれて行くメロディは耳から入るわけですから、それがサイケおやじの場合は圧倒的にラジオが中心でした。

特に小学生の時、福引で自分だけのトランジスタラジオを手に入れてからは、ますます中毒(?)も進行し、中学時代には深夜放送にどっぷりの生活になっていた事もあり、その頃に親しんだメロディが今ではパブロフの犬状態!?

例えば本日ご紹介の「Bitter Sweet Samba」は知っている人には知り過ぎてしまったというか、ラジオ深夜番組「オールナイトニッポン(ニッポン放送)」のテーマソングになっていましたから、真夜中の1時になると流れてくる軽快なメロディにウキウキしてしまった気分は、当時から慣れ親しんだ皆様にとっても懐かしさ以上のものがあるんじゃないでしょうか。

ですから今でも巷で「Bitter Sweet Samba」を耳にすると、妙に気分が高揚するサイケおやじは今朝もそれを体感し、ハッとさせられました。

つまりこの素敵なメロディは「オールナイトニッポン」以外のところでも頻繁に使用されている事実!

う~ん、良いものは良い♪♪~♪

そんな真実は何時の世もひとつなんですねぇ~♪

ちなみに演じているのは所謂イージーリスニングの世界ではジャズもソフトロックもエスニックも包括して活躍した元祖フュージョントランペッターのハーブ・アルパートで、オリジナルのリリースは1965年に出した通算4作目アルバム「蜜の味」に収録されていたわけですが、それがどういう経緯か、前述「オールナイトニッポン」のテーマ曲に選ばれた事から、日本ではロングヒットになったのです。

そして当然ながら我国独自にシングルカットされての発売から常にカタログに残り続け、おそらくは今日でもCDやネット配信で入手は容易のはずなんですが、驚く事には「オールナイトニッポン」で使われているのは幾様にも作られた編集バージョン!?!

それはハープ・アルパートが演じたオリジナルバージョンは2分に満たないランニングタイムであるところを、「オールナイトニッポン」では用途に応じてダビングを重ねたり、繋ぎ合せたりしてのロングバージョンや季節感を出すためのサマー&クリスマスバージョン等々を作っているんですねぇ~~♪

個人的には鈴の音を被せたクリスマスバージョンが忘れ難いんですが、こういう現実をハープ・アルパートは知っているんでしょうか……?

まあ、本人は今や歴史に残るレコード会社の「A&M」を起業し、またそれ以前には様々なミュージシャンのプロデュースや裏方としての仕事、さらには俳優としての活動もあったそうですから、業界のあれこれにも精通した物分かりの良い人物だったのかもしれません。

ですからハープ・アルパートがティファナ・ブラスを率いて作っていた楽曲が、本当は当時のハリウッドでは腕利きのスタジオセッションミュージャンを集めた演奏だった事も不思議では無く、1966年頃からのアルバムジャケ写に登場するバンドメンバーは巡業用に集められた面々だと思われますが、そういえば昔のスイングジャーナル誌でハープ・アルパートとティファナ・ブラスがデイヴ・ブルーベック四重奏団の前座をやっているという記事か写真を見たことがあったので、なかなかの実力派揃いだったと思われます。

ということで、ハープ・アルパートはまちがいなく日本の洋楽史にも名を刻したミュージシャンですから、何れは編纂されるであろう決定的なアンソロジーには、この「Bitter Sweet Samba」の特殊バージョンが幾つも入れるべきと考えています。

そしてこれはサイケおやじの妄想ではありますが、おそらくは世界各国で似たような使われ方による編集バージョンが、ハープ・アルパートの残した楽曲には相当にあるんじゃないでしょうか?

そのあたりも含めまして、なかなか楽しいのがイージーリスニングの存在意義でもありますねぇ~~♪

なにかあらためて、そういう演奏を集めてみたいなぁ~~、と思っています。

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鉄の蝶々はポップでソウル

2011-11-07 15:33:18 | Rock

Soul Experiences c/w In The Crowds / Iron Butterfly (Atco / 日本グラモフォン)

1960年代後半、ニューロックとかサイケデリックロックと称された歌と演奏を聞かせるバンドは、その特徴的なスタイルとしてエレクトリックな大音量と長尺なライプ演奏をウリにしていたわけですが、スタジオ録音から作られたレコードでそれを再現する事はなかなか難しい現実がありました。

ですから代表格のクリームにしても、スタジオとライプのレコーディングを組み合わせたアルバムを出していましたし、ライプでの魅力を発揮出来ずにブレイクしなかったバンドも数知れないと思います。

ところが本日ご紹介のアイアン・バタフライは、それを逆手に活かしたというか、持ち前のヘヴィなサウンドでLP片面をブッ通した「In-A-Gadda-Da-Vida」という、如何にも時代性の強いトラックを作り出し、ロック史に名を刻したわけですが……。

今となっては、そのトンデモ系の呪文演奏が良くも悪くも凄すぎて、他の曲が全く忘れられているのは残念としか言いようがありません。

実は前述の「In-A-Gadda-Da-Vida」は、確かに1968年に発売された同名アルバムに収録された時には「17分」という伝説を作り出したのですが、一応はヒットしたシングルバージョンは短く編集されていましたし、バンドとしては相当にポップなフィーリングを持っていたと、サイケおやじは思っています。

例えば本日ご紹介のシングル盤に収録の2曲は、1969年に発売されたアイアン・バタフライにとっては3作目のアルバム「ボール」からのカットなんですが、まずA面の「Soul Experiences」がタイトルに偽り無し! かなりヘヴィなリズムアプローチと後のフィリーソウルっぽいソフトなコード進行に基づくメロディラインが魅惑の名演♪♪~♪

またB面に収められた「In The Crowds」にしても、欧州クラシック趣味に彩られたソフトロックっぽい隠れ名曲で、絶妙の哀愁がたまりませんよ♪♪~♪

そして何よりも素晴らしいのが、何度も書いていますが、ヘヴィなサウンド作りで、その要とも言うぺきはエレクトリックベースの目立ちまくる存在でしょう。またドラムスも同様に重心の低いビートの敲き方が最高ですねぇ~♪

ちなみに当時のメンバーはエリック・ブラン(g)、ダグ・イングル(key,vo)、リー・ドーマン(b)、ロン・ブッシー(ds) という4人組で、1967年のデビュー以来、少しずつ顔ぶれは変わって来ているらしいのですが、音楽性としてはダグ・イングルが曲作りやサウンドプロデュースをメインでやっているようです。

そこで気になるヘヴィな音づくりのポイントは、どうやらチューニングを意図的に低くしたベースにある事が、今日では明らかになっています。

そして秘密を知ってしまえば、アイアン・バタフライのレコードは尚更に興味深く、楽しく聴ける作品ばかりですから、サイケおやじは周囲から笑われつつも、ファンを自認している次第です。

ただしアイアン・バタフライは1970年頃からメンバーチェンジが頻繁になり、一応はバンマスのダグ・イングルが奮闘し続けて今日に至っているものの、このシングル曲を含むあたりまでが全盛期でしょう。

しかしサイケおやじにとっては、今でも一度はライプを見たいバンドのひとつになっていますし、例え「呪文」と言われても、それはありがたく拝聴しております。

また、ひとりでも多くの皆様にアイアン・バタフライのポップでヘヴィでソウルフルな持ち味を楽しんでいただきたく、願っているのでした。

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恋する二人をカタカナで

2011-11-06 15:47:16 | Beatles

恋する二人 / The Beatles (Parlophone / 東芝)

客観的に残された歴史とリアルタイムで過ごしていた個人的な時空感覚の違いは言うまでもありませんが、殊更日本における洋楽のドメスティックな流行については、それすらも歪めてしまうことがあろうかと思います。

例えば本日ご紹介のシングル曲「恋する二人 / I Should Have Known Better」は説明不要、ビートルズが1964年7月に英国で発表した畢生の大傑作アルバム「A Hard Day's Night」に収録され、また同時進行的に制作公開された同名映画の挿入曲でもあったわけですが、この曲に関する限り、ビートルズへの馴染み方としては日本が世界中で一番じゃないでしょうか?

つまり我国でビートルズが本格的に大ブレイクしたのは前述した映画「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」が公開されてからだと思いますし、そこからの第一弾シングル「A Hard Day's Night」が真夏に大ヒットしたのに続き、秋からは「恋する二人 / I Should Have Known Better」が強烈な追い撃ちになっていました。

ですから、歴史的には「She Loves You」とか「抱きしめたい」によってビートルズが日本でも人気爆発という事では決して無いと思います。

と言うよりも、これは以前にも書きましたが、当時の日本の洋楽事情はアストロノウツの「太陽の彼方に / Movin'」が破格のメガヒットになっており、またそれをカパーした藤本好一、さらにはバックを演じた寺内タケシとブルー・ジーンズが翌年からの本格的なエレキブームの火付け役として人気を集めていたのですから、まだまだビートルズは単なるポップスバンドのひとつだったというのが、サイケおやじの記憶と印象です。

それが同年秋から年末になると、ラジオからは矢鱈にビートルズの歌と演奏が流れて来るようになり、特に「恋する二人 / I Should Have Known Better」は決定的!

 ア~~~~ィ

と、ハーモニカがメインのイントロから続いて歌い出すジョンのボーカルのインパクトは本当に強烈でしたねぇ~~♪

 ヨ~ゴ~ナァ、セイユ~、ラヴミ~、トゥ~~

というキメの歌詞がカタカナとして抜群に覚え易かったのも、これが大ヒットの重要ポイントじゃないでしょうか。

実際、サイケおやじはレコードを買う以前に歌詞をカタカナ発音で覚えていたほどでしたし、映画の中ではビートルズがトランプに興じる列車内のイメージも良かったですからねぇ~♪

ちなみに同年末の冬休み、歳末大売り出しの福引で小学生だったサイケおやじはトランジスタラジオを当てた幸運もあり、ビートルズに関して刷り込まれたのは「Please Mister Postman」と「恋する二人 / I Should Have Known Better」が原点となりました。

そして日本でビートルズが本格的に人気を掴むのは、約1年後に発売されるアルバム「4人はアイドル / Help!」からだと思うのですが、実はそれまでの助走期間に出されたシングル&アルバムに収録の様々な名曲名演の中でも、この「恋する二人 / I Should Have Known Better」の役割は決して小さくはないと思っています。

今はどうだか推察も出来ませんが、少なくともサイケおやじと同世代の皆様ならば、洋楽はカタカナで歌えてヒットする!

それが真実のひとつでしたよねぇ~~、本当に。

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人生に刷り込まれていくメロディの素晴らしさ

2011-11-05 15:57:46 | Pops

森を歩こう / Horst Jankowski (Philips / 日本ビクター)

サイケおやじが少年時代だった頃の情報源は、もちろんPCやスマホなんてものはありませんでしたから、必然的に速効性のあるものと言えばテレビとラジオでした。

そして中でも洋楽関係ではラジオがダントツで、またテレビだとローカル色の強いCMのバックミュージックにも印象的なものが本当に多く、それがまた知らぬ間に刷り込まれている事から、心のどこかに残っているメロディが何時までも気になったりします。

例えば本日ご紹介の「森を歩こう / Walk in the black forest」は軽快なピアノにちょいと不思議なほど刺激的なストリングスオーケストラのコラポレーションから成立している、なかなか素敵なインスト曲♪♪~♪ これは今でも事ある毎に各分野で使われていますから、皆様も必ずや一度は耳にしたことがあろうかと思います。

演じているホルスト・ヤンコフスキーはドイツのピアニストで、基本的にはジャズミュージャンだと思われますが、クラシックというか、室内楽風のアレンジが得意だったようで、残されているレコーディングにはイージーリスニング系の作品が多く、それゆえに作編曲者としての人気が高いようです。

しかしピアニストとしての存在感は、ハードバップ愛好者にはお馴染みのウイントン・ケリーっぽいピアノタッチとノリが好ましく、この「森を歩こう / Walk in the black forest」にしても、メインの曲メロはウイントン・ケリーが十八番のアドリブフレーズを再利用したが如きウキウキ感が極みつき!

実は告白すると、この「森を歩こう / Walk in the black forest」は昭和40(1965)年頃からのロングヒットでしたから、サイケおやじはウイントン・ケリーを知るよりも早く、こちらに馴染んでいた所為で、ウイントン・ケリーのアドリブを楽しんでいると、なんだか「森を歩こう / Walk in the black forest」のフレーズが飛び出してくるような気がするほどです。

つまり本歌取りの名曲ですよねぇ~~♪

しかし決して「森を歩こう / Walk in the black forest」は盗作ではなく、ホルスト・ヤンコフスキーのピアノにおける「手癖」が出たという事じゃないでしょうか。

似たような事例は、世の中に数え切れないほどあるのが音楽の真相のひとつであって、例えば大野雄二だって自分のピアノスタイルやアドリブフレーズから様々な自作曲を誕生させたと、某インタビューで語っていましたですねぇ。

ちなみに掲載した私有盤は中学生の時、放送室を改装するために捨てられそうになっていたところを貰ってきたもので、その頃は昼メシ時になると毎日のように校内放送で流れていた思い出の1枚です。

ということで、個人的に刷り込まれているメロディのひとつを本日はご紹介してみました。

いゃ~、こう書くと大袈裟になりますが、そういうものを大切することも、また人生の楽しみかと思います。

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ルー・クリスティの魔法にかかる

2011-11-04 15:28:27 | Pops

魔法 / Lou Christie (Buddah / 日本コロムビア)

一芸に秀でるというか、とにかくキメを持っている芸人は強い!

そうした代表格のひとりが、本日ご紹介の「魔法」を日本で大ヒットさせたルー・クリスティです。

ただし、今となってはオールディズマニア御用達の歌手としてしか評価されていないところもありますが、なかなか強烈なファルセットボイスを駆使する歌い回しは、何時までもルー・クリスティを忘れ難いスタアにしているポイントでしょう。

それはこの「魔法 / She Sold Me Magic」においても、曲アタマっからいきなり炸裂!

 メイビィ~、ツァ~~ルウェズ~~、メイビィメイビィメイビィ、アラブュ~~♪

と発作的なファルセットで歌われてしまえば、ツカミは完全に大成功!

続けてアップテンポのメロディが叩きつけるが如き勢いで飛び出せば、後はほとんどノーテンキなポップス天国ですよ♪♪~♪

そして実際、日本では昭和45(1970)年晩秋からラジオを中心に流れまくった事が、サイケおやじには毎年、この季節になると思い出されますねぇ~♪

ですからルー・クリスティについて様々に調べたり、レコードを集めるようになったも自然の理でしたし、ファルセットボイスで歌う男声ボーカリストへの興味も深まり、それまであまり意識していなかったフォーシーズンズのフランキー・ヴァリについても再認識させられた次第です。

さて、そこでルー・クリスティのキャリアなんですが、ポップス史的には1966年の大ヒット曲「恋のひらめき / Lightning Strikes (MGM)」が有名でしょうが、どうにも個人的には、これが日本で流行っていたという印象や記憶がありません。

また実質的なデビューヒットになった1963年の「The Gypsy Cried (Roulette)」にしても同様で、するとリアルタイムでルー・クリスティがブレイクしたのは、この「魔法 / She Sold Me Magic」ということになるんでしょうか?

実は後追いで調べてみると、ルー・クリスティは1950年代末頃からドゥワップ系のコーラスグループで歌い、レコードディングも残していたローカルスタアであり、当時は本名のルージ・サッコを名乗っていたとおり、イタリア系だと思われます。

そしてルー・クリスティとなったのは前述した「The Gypsy Cried」からでしょう。

しかもそれを書いたのはルー・クリスティと後に妻となるトゥワイラ・ハーバードという名コンビであり、以降は「恋のひらめき / Lightning Strikes」も「魔法 / She Sold Me Magic」も含め、ほとんどの持ち歌が自作自演という真相も凄いところ!?!?

告白すればサイケおやじは、それに気がついてから尚更熱を入れてルー・クリスティのレコードを集めていったのです。

ただし結果的にというか、ルー・クリスティには不思議なプランクが何度かあり、それは徴兵された現実にもよりますが、「恋のひらめき / Lightning Strikes」も「魔法 / She Sold Me Magic」も大ヒットした時にはカムバックと必要以上に騒がれ、それがまた一発屋っぽく扱われる要因にもなった感があると思います。

既に述べたように、ルー・クリスティはオールディズ歌手かもしれませんが、その作曲能力は絶対に評価されるべきでしょうし、十八番のファルセットを駆使したボーカルスタイルはポップスでありながら、なかなかロックっぽい真実を含んでいるんじゃないでしょうか。

そのあたりをサイケおやじが知るきっかけになったのが、この「魔法 / She Sold Me Magic」というわけです。

いゃ~、ファルセットボイスのポップスって、本当に良いもんですねぇ~♪

そしてルー・クリスティも、納得出来る復刻を期待したいひとりです。

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ピースサインの裏表

2011-11-03 15:45:35 | Pops

サインはピース / Ocean (Kama Sutra / 日本コロムビア)

昨日と本日は知り合いが関連するCMのオーデションを手伝ってきましたが、何んと言っても売り込みの女の子の写真選考やテスト撮影の現場は、なかなか役得的な楽しさがありますねぇ~~♪

しかしポーズをつけた写真が如何にも定番の「ピースサイン」が多いというのも、なんだかなぁ……。

せっかく感じが良くて愛くるしい面立ちの女の子が目立っても、今更そんなフツ~のポーズじゃ~、インパクトが弱すぎませんかねぇ。

そこで思わず聴きたくなって、帰宅後にレコード棚を漁ったら、やっぱり持っていたというのが、本日ご紹介のシングル「サインはピース / Put Your Hand In The Hand」です。

ちなみに説明不要ではありますが、所謂「自分の手の指をV字形に構える」のが1960年代末頃からの世界的流行だったんですが、この起源は本来、イギリスあたりじゃ「ビクトリーサイン」、つまりは勝利を意味するために使われていたはずですよねぇ。

それが何時の間にか「平和」を希求する自己顕示の行動のひとつとなったのは、おそらくはベトナム戦争反対運動が盛り上がっていた頃からかもしれません。

そして実際、当時のアメリカでの野外ロックコンサート等々に集うヒッピー集団や若者達を写した映像には、そうしたサインを出している光景がゴマンと見られるんですが、さて、我国での流行は???

ここからはサイケおやじの個人的な記憶からの推察なんですが、最初は洋楽雑誌に掲載されたリアルタイムのコンサート写真であり、またテレビではスパイダースの井上順が矢鱈に「ピ~ス♪」なぁ~んて言いながら、「Vサイン」を出していたのが流行のきっかけだったように思います。

そして1970年代に入ると、記念写真の顔のキメは「チーズ」であり、ポーズは「ピース」というのが定番化したわけですが……。

これをやりすぎると、英語圏の国では顰蹙であって、中でもV字形を作った指と手のひらを逆にすると、これはもう、相手を侮辱的に挑発する激ヤバ行為!?!? もちろん猥褻な意味合いも含んでいることは言うまでもありません。

しかし、このあたりの根の深さを意識しなくともよい日本人にとっては、これほどお気楽にキマるポーズも他には無いでしょう。今では自然に使えるほどの文化風習だと思います。

さて、そこで肝心な本日の楽曲「サインはピース / Put Your Hand In The Hand」なんですが、日本で発売された昭和46(1971)年春から忽ちの大ヒットは、その調子良すぎる曲調と共に、やはり「サインはピース」という邦題が当たったんじゃないでしょうか。

掲載したジャケ写にしても、如何にも野外集会の若者達が自由に振る舞いながらも、実は一抹の悩みや不満を抱えている連想が浮かぶショットを使っていますし、そのデザインに丸く使われているのが、当時の本当の「ピースマーク」でしたから、なかなか上手いウリが、ここでも大成功!?

そして演じているオーシャンというグループがカナダ出身というのも、マッシュマッカーンオリジナル・キャスト等々と同じく、当時の「旬の流行」でありました。

メンバーはジャニス・モーガン(vo)、デヴィッド・タムブリン(g,vo)、グレッグ・ブラウン(key,vo)、ジェフ・ジョーンズ(b,vo)、チャールズ・スレイター(ds,vo) という、一座のスタアが女性ボーカリストという点においても、また然り♪♪~♪

実際、ジャニス・モーガンの伸びやかで爽やかな声質と幾分硬派な歌い回しは大きな魅力ですし、このレコードで聴かれる演奏が果たしてバンドメンバーによるものか否かは不明ですが、BS&Tやイアン&シルヴィアの前座もやっていたそうですから、ライプの現場でも相当に手堅いものを披露していたと思われます。

しかし気になる歌の内容は「サインはピース」どころではなく、どうにも宗教的な意味合いが強いんじゃないでしょうか? 「手に手を取り合って」なぁ~んていう部分は、後に我国の歌謡フォークの某グループが「ハンド・イン・ハンド」をステージギグのウリにしていた気持悪さに通じるわけですが、それが「宗教」と密接に関連しているのであれば、結果オーライでしょうか……?

ちなみに特にアメリカでは、我国で言うところの「AORの隠れ名盤」なんてレコードのほとんどが、「クリスチャン・ミュージック」という真相を含んでいますので、心地良いポップスがそれに相通じるものだとしても、不思議ではありませんよね。

ということで、ピースサインほど簡単にその場を安定させるものは無いのかもしれません。

ですから個性を浮きだたせようとするには、これほど裏目に出る行為もありません。

些か確信犯的なネタばらしではありますが、冒頭に述べたオーディションの写真選考では、「V=ピースサイン」をやっていた女の子は、その段階で全て落しています。

ところがテスト撮影の現場で、それをやらかした者に限って、なかなかフィーリングの良いモデルさんだったりしますから、困ったんもんですよ。

まあ、これは嬉しい悲鳴でもありますが♪♪~♪

あと、最後になりましたが、最近の女の子は小学生高学年でも芸能界入りを目指すとなれば、既に「ワキは永久脱毛」しているという事実に仰天!?!

それは確かに便利かもしれませんが、将来的に結婚するかもしれない男の中には、「美女の腋毛」が好きな者だっている可能性を否定するのは、どこか割りきれません。

う~ん、時代は変わる……。

しかし「ピースサイン」は不滅ってことでしょうか。

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ウィルソン・ピケットは曖昧だったか?

2011-11-01 15:28:29 | Soul

Funk Factory c/w One Step Away / Wilson Pickett (Atlantic / ワーナー)

一昨日、そして昨日は例のTPP問題の集会にあちらこちら引っ張り出されて正直、辟易しています。

賛成も反対も、それぞれの業界や団体で既に結論は決めているのに、それを国民や支持者にどうやって説明していくのか、それがわからないというテイタラク……。

んなぁこたぁ~、おめぇら、お偉方の考えるこってしょうがっ!

と、思わず激怒寸前のサイケおやじではありますが、時代と世の中の流れに素直に身をまかせる潔さも時には必要だと思いますねぇ。

そこで思い出されるのがディープソウルの塊のようなウィルソン・ピケットが1972年に出した本日のシングル盤で、ご存じのとおり、この偉大な黒人歌手が真の魅力を発揮した最後のヒット! そう言いきって後悔しない魅力がたっぷりなんですが、それは所謂ニューソウル志向への新しき挑戦と従来のディープな泥臭さが見事に融合した成果でもありました。

と決めつけたのは、既に時代はサイケデリックロックが黒人R&Bにも強い影響を及ぼしていた頃とあって、ジェームス・ブラウンにしろ、スライ・ストーンにしろ、とにかく最先端白人ロックのファンをも惹きつけなければ大きなヒットは飛ばせない状況でしたから、それがファンクとかニューソウル等と呼ばれる以前に、まずはミュージシャン側の柔軟な姿勢こそが求められていたのです。

まあ、このあたりは、あくまでもサイケおやじの個人的な後付け的考察ではありますが、しかし現実的に当時の黒人音楽が明らかに「時代」を作っていた事は確かだと思います。

そこでウィルソン・ピケットも、ついに1972年には「Don't Knock My Love Part-1」という、とてつもないニューソウルヒットを出す事に成功するのですが、その妙にアフロっぽいサウンドにはジージージリジリのファズギターやチャカポコのパーカッション&ドラムス、さらには矢鱈に意識過剰なコーラスやキーボード、大仰なストリングスの中で苦悶するが如き本人のボーカルが意想外のソウルを発散するという、些かの結果オーライ……。

もちろん、サイケおやじとしては「Don't Knock My Love Part-1」を一概に否定する気持なんてありませんし、実際に素晴らしく良く出来たソウルミュージックだと思います。また、このサウンドが昭和40年代末頃からの我国歌謡ポップスに応用されまくった現実は言わずもがなでしょう。

しかしウィルソン・ピケットの資質に、本当に合っていたのか?

という疑問は打ち消せません。

ところが、このシングル盤A面「Funk Factory」は見事にそれを解消してくれたと言うか、イントロからどっしりと重いサザンロック風のグルーヴとファンキーソウルのビートが全開したリズム隊の素晴らしさは筆舌に尽くし難く、ですからウィルソン・ピケットのボーカルも素直に「熱唱」というスタイルがジャストミートしているんですねぇ~~♪

さらに間奏では、思わずウキウキさせられるホーンセクションのカッコ良すぎるリフ攻撃から、大団円に向けて突っ走るソウルグルーヴが楽しいボーカル&コーラスは、所謂ゴスペルのコール&レスポンスをお気楽にやってしまったような趣向でしょうか。とにかく気分が高揚させられますよ♪♪~♪

ちなみに後に知った事ではありますが、この蠢き系グルーヴを演出したカラオケパートのメンバーはバリー・ベケット(key)、デヴィッド・フッド(b)、ロジャー・ホーキンス(ds) 等々の所謂マッスルショールズ組の白人ミュージャンでありますから、そのスマートな黒っぽさこそが時代の流行になるのもムペなるか!?

しかし、それにしてもアメリカ南部の田舎で形作られたサウンドが1970年代ロックやAORを含むポップスの基盤を成していたなんて、なかなか今になっても感慨深いものがあるんですが、その中で歌っているウィルソン・ピケットは如何にも頑固に1960年代のサザンソウル保守本流を貫き通しているあたりに、この「Funk Factory」の素晴らしさがあるように思います。

つまり新旧のフィーリングが実に上手くお互いを理解し合っているんじゃないでしょうか。

一方、これまた素敵なB面「One Step Away」は、ウィルソン・ピケットにしては些か「らしくない」歌謡パラードという趣が逆に安心印♪♪~♪ ゴスペルルーツの粘っこいボーカルスタイルとサザンロックがミョウチキリンにミスマッチしたような、場面によっては曲メロが外れているところさえ感じるほど熱が入っているのですから、思わず端坐して聴きたくもなりますよねぇ。

極言すれば、何か迷いをふっ切ろうとして、かえって曖昧な本人の態度さえも、魅力に思えるんですねぇ~♪

ところが皆様もご存じのとおり、ウィルソン・ピケットは直後に古巣のアトランティックを去り、残念ながら以降はそれほどパッとした活躍からは遠ざかっていきます。

結局のところ、ウィルソン・ピケットは愚直なまでに自らを貫き、それが時代の要求と相容れないところまでも納得していたに違いありません。

個人的にも、妙にバランス感覚に秀でようと焦る態度よりは、そんな頑固さを好ましく思います。

さて、そこで冒頭に述べたTPP問題ですが、結論として貧富の差が大きくなっても全体として少しは向上させるか、このまま全体で緩やかに下降していくか、そのふたつにひとつじゃないか?

と、考えています。

中途半端な選択が一番難しい結果を招くんじゃないでしょうか?

ですから、決断を下す立場の者は、ある意味での潔さが求められますが、それをなんとか論点をすり替える事で自分だけ良い者になろうする態度が、いけませんねぇ……。

まあ、何処の誰とは申しませんが、そんな奴らにはウィルソン・ピケットの魅力なんて、本当に分かりゃしないっ!

そんな事を思っています。

コメント (2)
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