OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

美しい朝

2012-05-21 15:45:40 | Weblog

昨日は様々な急展開でバタバタしました。

実は母が現在、膝の手術のために入院中なんですが、やはり本人が心臓にペースメーカーを入れてサイボーグ化している一級身障者なんで、病院側も相当に慎重だったようです。

で、幸いなことに手術も成功し、本日退院となったのですが……。

今度は昨日昼過ぎ、父が高熱出して、ぷっ倒れ!?

救急車で搬送され、酸素マスク状態で手当てを受けたんですが、意識不明なので、結局病室に泊まり込んで一夜を過ごしました。

すると本日早朝、意識が戻り、一安心、ホッとしましたですねぇ~。

一時は脳梗塞の疑いもあっただけに、どうなる事かと思いましたが、どうにか寿命が繋がったというわけです。

原因は暴飲暴食でしょう。

常日頃は母に食生活を管理されている反動で、連日の刺身、スキヤキ、鰻……等々、食べ放題に加えて、酒も好きなだけ飲んでいたようです。

さらに母のお見舞いにいただいたカステラ、まんじゅう、羊羹……等々も片っ端から食い放題!

周囲が咎めても、聴く耳持たず状態でしたからねぇ、お恥ずかしいかぎりです。

しかし、今回ばかりは父も懲りたんじゃ~ないでしょうか。

いや、サイケおやじは、そう思いたいです。

さて、今日は貴重な天体現象という金環食でしたが、皆様、ごらんになられました?

サイケおやじは幸運にも、父が容体回復した後、病院の屋上から拝ませていただきました。

ちょいと雲は出ていましたが、こんな美しい自然現象は見たことがありませんでしたよ♪

なにか世の中のサイクルが輪廻転生を表しているようにも思いましたし、父の命が助かり、どうやら元の生活に復する事が可能という医師の診断に感謝する事は、それも自然の理と手を合わせ、感謝した次第です。

皆様も健康には、ご注意くださいませ。

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時代遅れもバニラ・ファッジの魅力なり!

2012-05-19 15:48:37 | Rock

Shotgun / Vanilla Fudge (Atco / 日本グラモフォン)

何時までも過去を引きずっているとはいえ、サイケおやじがど~しても抜け出せない世界にバニラ・ファッジがあります。

つまり、そのヘヴィでバチェラーパーティーのような混濁的バカ騒ぎが、サイケデリックロックの本質を部分的にせよ、ストレートに実感させてくれるところに、バニラ・ファッジの歌と演奏の真髄があるんじゃ~ないかと思い込んでいるんですねぇ~♪

中でも本日ご紹介のシングル盤A面曲「Shotgun」は、黒人R&Bを極めてニューロックに解釈した、まさにその状況の決定版! 我国でもゴールデン・カップス等々がGSブーム期にカパーしていた有名曲ではありますが、バニラ・ファッジのバージョンは突出してハードなゴッタ煮フィーリングが楽しめますよ♪♪~♪

と書きながら、やはりこれで「楽しむ」なんてことが可能なのは、それが本当に好きな愛好者だけなのかもしませんねぇ……。

なにしろ重~~いロックビートが根底に据えられ、そこにギンギンのギターやブリブリのエレキベース、ドカドカうるさいドラムスにグリグリのオルガンがジコチュウの対決を四竦みでやり抜いているんですから、どうかすると、頭が変になりそう!? という皆様も大勢いらっしゃるでしょうか。

うむ、確かにそういうところは否定出来ません。

やらずぶったくり気味ボーカル&コーラスもアブナイ雰囲気です。

しかし、あえてシングル盤として出しているのは、ヒット性が見込まれていたわけで、もちろんこれが収録されているLP「ニア・ザ・ビギニング」を買えないファン向けという側面もあるでしょう。

それでも1969年という時代の雰囲気は、現在でもここに凝縮されているとおり、ある意味でのヤケッパチな狂騒があったと思います。

ですから、すっかり刷り込まれているサイケおやじは、ど~にか入れてもらっているバンドでは何時も、これを演奏したくてメンバーに提案するのですが、常に却下……。まあ、なんとか練習の息抜きというか、ジャムセッション風にメンバー各々の持ちネタフレーズの確認とか、そんな風に使われる程度なんですから、不遜ですよねぇ~。

もちろんサイケおやじは、その都度マジなんですが、周囲が理解してくれないわけです。

ということで、結局はバニラ・ファッジをやりたいなんていう事自体が、1970年代中頃以降になると場違いでした。

それはバニラ・ファッジそのものが、1970年代に生き残れなかった現実とリンクしているのは言わずもがな、既にして「サイケデリック」とか「混濁」なんていう表現方法が過去の遺物の証明であり、そこに拘泥する者はオタクなんて言葉はリアルタイムではありませんでしたから、時代遅れの古い奴!

と、失笑されるのがオチだったのです。

まあ、この状況は現在でも変わっていないでしょう。

なにしろバニラ・ファッジの復刻状況は決して芳しくありませんし、マニアックな領域での扱いも不十分なんですから、こうして嘆くのが精一杯……。

でも、それで良しとするのが、バニラ・ファッジのファン気質とも思えるのでした。

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ジミー・スミスのケリ、一撃!

2012-05-18 15:03:51 | Soul Jazz

Respect / Jimmy Smith (Verve)

このジャケットデザインだけで、我国の全盛期ジャズ喫茶からは敬遠される事必至であったLPなんですが、現在ではソウルジャズの人気盤という位置付けも不思議ではないのですから、時の流れは偉大です。

まあ、そのあたりの経緯云々は長くなりますので、今回はご容赦願いたいわけですが、実際問題として昭和40年代後半から昭和50年代の中古屋にはカット盤も含めて、かなりの捨値で売れ残っていましたし、サイケおやじにしても、何かバーゲンの三枚千円みたいな員数合わせでゲットしたのが本当のところです。

しかし収録演目は基本的に気になる曲ばっかりですし、その輸入盤だった裏ジャケ解説に演奏参加ミュージシャンのクレジットがきっちり記載されていないところが、もしかしたらのスケベ心を刺激してくれたんですねぇ。

というのも、これが世に出たであろう1967年頃のソウルジャズセッションには、必ずしもモダンジャズを専門職にしていない、R&B系のスタジオミュージシャンや助っ人がノンクレジットで参加している事例が夥しく、特にニューヨークやハリウッドでの仕事がメインの連中には、それが日常でありました。

そして案の定、後に知ったところによれば、ここでのメンバーはジミー・スミス(org) 以下、ソーネル・シュワルツ(g)、エリック・ゲイル(g)、ロン・カーター(b)、ボブ・ブッシュネル(b)、グラディ・テイト(ds)、バーナード・パーディ(ds) の参加が判明!

ただし、どのトラックに誰が参加しているかは、どうにもはっきりせず、とりあえずサイケおやじの独断と偏見の耳によって判断した推察は各々述べさせていただきますが、録音セッションが1967年6月2&14日と2回に分かれているところからして、特定の組み合わせがあったのかもしれません。

A-1 Mercy, Mercy, Mercy
 説明不要、ジョー・ザビヌルが書いたファンキーソウルジャズの聖典として、1967年初頭に出たオリジナルは作者も在団していたキャノンポール・アダレイ・グループの人気インスト曲であり、歌詞付きのバージョンとしてはバッキンガムズが同年夏に大ヒットさせていますが、このジミー・スミスのセッションはその直前の6月ですから、まさにリアルタイムの衝動がそのまんま演奏に表れている感じです。
 それは冒頭からミディアムテンポで重心の低いグルーヴがじっくりと醸造されていく過程において、もう……、本当に最高♪♪~♪
 ジワジワと効いてくるファンキーゴスペルなテーマリフはもちろんのこと、ブレイクやアドリブに入って行く瞬間のゾクゾク感、さらにグリグリにエグイ味わいのフレーズを切れ味鋭く積み重ねていく連続技には、思わず冷静さを失ってしまいますねぇ~♪
 また主役と一体になって演奏を盛り上げていくバックの面々なんですが、おそらくはロン・カーター(b) にグラディ・テイト(ds)、そしてソーネル・シュワルツ(g) というセットではないでしょうか。
 あぁ、このグルーヴの本気度の高さは、何度聴いても、たまりませんっ!

A-2 Respect
 これまたリアルタイムのR&Bヒットのカバーで、オーティス・レディングの作者バージョン、あるいはアレサ・フランクリンの教会グルーヴ系熱唱が超有名とあって、ジミー・スミスも油断がならないという感じでしょうか。
 ですからイントロからテンションの高いソウル&ファンク風味が全開のリズム隊に導かれ、真っ向勝負でテーマからアドリブに突進していくストレートな感性には素直にシビれて正解だと思います。
 ちなみにそのリズム隊なんですが、エリック・ゲイル(g)、ボブ・ブッシュネル(b)、バーナード・パーディ(ds) の参加が濃厚に感じられるものの、実際にはギターが2本聞こえるところは、エリック・ゲイルの多重録音なんでしょうか? またベースは完全にエレクトリックな音色とノリが明確ですよ。
 う~ん、しかし、それゆえに演奏が良いところでフェードアウトしてしまう短さが残念無念……。

A-3 Funky Broadway
 おぉ、実はこれがサイケおやじの一番期待していた演目で、ご存じ! ウィルソン・ピケットの十八番というファンキーダンサーですから、中途半端なソウルは許されません!
 そこでやはり特筆されるのがギターのサイドプレイで、執拗な定型リフ攻撃や合の手リズムカッティングは必須というところでしょうか。また意外に小技が大切なソウルドラミングのお手本と言うべきスタイルは、おそらくバーナード・パーディだと思われます。
 またギターが絶妙にスタッフしているところからして、これはエリック・ゲイルなんでしょうねぇ。
 肝心のジミー・スミスはサイドではボトム重視のリフを演じ、アドリブソロでは凝ったフレーズを排除するという方針を貫いているだけに、これもフェードアウトが勿体無いとしか……。

B-1 T-Bone Steak
 ジミー・スミスのオリジナルブルースで、4ビートの正統的ハードバップの香りも憎めない展開は、しかし同時にナチュラルなソウルグルーヴの噴出も極まっていますよ。
 なによりもジミー・スミスのアドリブラインがアグレッシヴとしか言いようがないほど、時には破天荒なフレーズとリズムアプローチが本当に強烈で、しかし次の瞬間、慣れ親しんだ「お約束」に戻ってみせる手練手管は流石のカタルシス! それをアップテンポでやってしまうジミー・スミスの天才性が楽しめると思います。
 そして気になるリズム隊はソーネル・シュワルツ(g)、ロン・カーター(b)、グラディ・テイト(ds) と推察出来ますが、もしかしたらベースは参加していないかもしれず、それが高い自由度のキメ手かもしれません。
 あぁ、このドライヴ感、最高~~~~♪

B-2 Get Out Of My Life
 これまたブルースなんですが、やはり作者がニューオリンズR&Bの立役者というアラン・トゥーサンだけあって、演奏の流れに刺激的なシンコペイションを導入するリズム隊の活躍に耳を奪われてしまいます。
 う~ん、このシャープに横揺れするドラミングは絶品ですねぇ~♪ グラディ・テイトなんでしょうか? またギターも素敵なアドリブを演じてくれますが、エリック・ゲイルのようでもあり、またソーネル・シュワルツと言われれば、それで納得する他はない雰囲気……。と、すれば、ドラムスがバーナード・パーディと思えないこともありません。
 ただ、何れの参加メンバーであったとしても、ジミー・スミスの確固たる主演スタアとしての貫録と実力は圧倒的な存在感で、オルガンプレイと呼応する掛け声がソウルフィーリングを尚更に高めているんですから、実に楽しい演奏というわけです。

ということで、ジャケ写には道着姿で空手の型を披露するジミー・スミスが登場しているとおり、当時はこのような趣味に浸っていたのでしょうか? サイケおやじとしては、収録演奏の潔さに一脈通ずるものをなんとなく感じるんですが、逆に言えば分かりが良すぎて、名盤と認定されない要因という気もしています。

しかし実際に聴いていただければ、ジミー・スミスのファンならずとも、グッと惹きつけられる瞬間はテンコ盛り♪♪~♪ もうジャズとか、ソウルだとかに拘るのがバカらしく思えるほど痛快ですよっ!

それもジミー・スミスの魅力のひとつだと思います。

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二人の絆で甘茶の魅力

2012-05-17 16:08:05 | Soul

二人の絆 / Harold Melvin & The Blue Notes (PIR / CBSソニー)

もちろん自分だけじゃ~ない事は分かっているんですが、最近のサイケおやじは仕事諸々の困難重圧に潰されそうな本音を隠そうと必死です。

そこで、一番欲しいものは心の安寧というか、なにかホッとする瞬間を求めてしまうんですねぇ。

例えば本日ご紹介のシングル曲「二人の絆 / If You Don't Know Me By Now」は、今やディスコのチークタイムでは定番化しているフィリーソウルの「甘茶」の名唱なんですが、これが日常でも煮詰まった状況の中に流れてくると、意想外に心が和んでしまうんですから、やっぱり不滅の名曲はそうなるだけの絶大な価値を秘めているんでしょう。

歌っているハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツは、1950年代から活動していたベテランの黒人R&Bコーラスグループとはいえ、結果的にブレイクしたのは、この「二人の絆 / If You Don't Know Me By Now」が大ヒットした1972年以降でしょう。

特に我国では、同じフィリーソウルの人気上昇期に流行りまくったオージェイズの「裏切者のテーマ」やスリー・ディグリーズの「荒野のならず者」と並んで、そのイメージを決定的にする大きな役割を果たしていたと思います。

というか、「二人の絆 / If You Don't Know Me By Now」によって、演じているハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツはもちろんの事、所謂「甘茶」の魅力に目覚めたファンも数知れず、それがまたフィリーソウルを飛び越えてのディスコブームに繋がる下地になったという、結果論的な推察も可能だと思うばかり♪♪~♪

ちなみに、その「甘茶」とは、黒人音楽愛好者のマニア用語であって、一般的には「スウィートソウル」を指すわけですが、特に1970年代の黒人ソウルグループが演じる甘~い曲調のスローバラード、時にはムードコーラスに限りなく近いものまでも含む総称と、サイケおやじは解釈しておりますので、念の為。

で、肝心の演じているハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツは既に述べたとおり、長いキャリアゆえに結成当時からのメンバーチェンジも当然あって、1972年頃にはハロルド・メルヴィン、テディ・ペンダーグラス、ベルナルド・ウィルソン、ローレンス・ブラウン、ロイド・パークスという5人組になっていたわけですが、後に知ったところでは、彼等は自ら楽器を演奏して歌うバンドスタイルのグループとしてドサ回りをやっていたという、なにか苦節の裏話もリアルですねぇ。

それが当時、フィラデルフィアを本拠地として新しいソウルミュージックを作り出さんとしていたケニー・ギャンブル&レオン・ハフの新会社たるPIR=フィラデルフィア・インターナショナル・レコードと契約する事により、既にリードシンガーとして個性を発揮していたテディ・ペンダーグラスの魅力が大きく開花♪♪~♪

グループとしても時代の流行の先を行く洗練を表現出来るようになったのは、ブルー・ノウツが本来からフィラデルフィア出身であった事に加え、ハロルド・メルヴィンがケニー・ギャンブルと幼馴染だったという縁も深いところでしょうか。

とにかくイントロからグッとムードが高まる濃厚なストリングと甘いメロデイのコーラスをキメとして、テディ・ペンダーグラスの男の道の如き力強いリードは、同時に絶妙の泣きを含んでいるんですから、たまりません。

 もしも 今でも
 俺のことを分かっていないのなら

 この先だって ずぅ~っと お前には
 理解なんて 出来はしないさ

と歌われる内容は、実は朝帰りでもした男の夫婦喧嘩の末の苦しい言い訳らしく思えるんですが、それが「甘茶」ならではの美メロとコーラスに彩られる時、結局はメイキンラヴにしか解決策を見出せない、まあ、当たり前の成り行きに♪♪~♪

そんな愛情も、日常の中の事件が二人の絆を強くするんでしょうかねぇ……。

根本的に自分の事しか見えていない自己完結型のサイケおやじには、どうにもそんな境地には辿りつけない分だけ、それも「甘茶」の魅力と憧れるわけですよ。

それでも、この「二人の絆 / If You Don't Know Me By Now」の威力は絶大で、発売翌年には世界中でメガヒットを記録し、さらにはイーグルスの「Take It To The Limit」やシカゴの「If You Leave Me Now」等々、モロパクリの白人ロックパラードが世に出ていくのですから、決して侮れる世界ではありません。

特にストリングアレンジの確固たる個性は、そのイーグルスにおいてはコーラスワークも含めて、絶大な影響下にある事は言うまでもないはずです。

ということで、今となっては「二人の絆 / If You Don't Know Me By Now」だけが突出している感も強いハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツではありますが、もちろん十八番の「甘茶」に加えて、彼等はアップテンポの所謂フィリーダンサーも素晴らしいんですよねぇ~~♪

そのあたりも何れはご紹介していく所存ではありますが、グループとしては1970年代後半を絶頂期としてメンバーチェンジが相次ぎ、看板スタアのテディ・ペンダーグラスが独立して以降は、些か精彩を欠いています。

しかし、それでもブルー・ノーツが現在も存続しているのは、やはりスウィートソウルな世界に絶対的な強みがあるからでしょう。当然ながら「二人の絆 / If You Don't Know Me By Now」と同質の味わいを持ったヒット曲を多数放っているのですからねぇ~♪

そしてこれから「甘茶」の世界を楽しまれんと決意されている皆様には、とにかく1970年代のハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツ、そして「二人の絆 / If You Don't Know Me By Now」を堪能して欲しく思います。

まちがいなく、ホッと和みますよ♪♪~♪

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島津ゆう子のドスコイ昭和元禄

2012-05-16 15:22:56 | 歌謡曲

ヘイ・モンロー c/w 二つのコーヒー / 島津ゆう子 (日本ビクター)

既に横綱が4敗し、久々に日本人力士が優勝か!?

という開催中の大相撲五月場所とはもちろん関係ないんでしょうが、それにしてもドスコイなポーズでジャケットに登場している島津ゆう子は、如何にも昭和40年代的な美人歌手でしょう。

なによりも、この大きな襟と袖口にパンタロン、さらには踵が特徴的な靴!

これぞっ、ご紹介のシングル盤が発売された昭和44(1969)年がど真ん中のファッションであり、それをきっちり着こなしてこその「昭和元禄」がありましたですねぇ~♪

また同時に、これもまたリアルタイムのヒットレコードになっていなかったところに、もうひとつの魅力というか、後の「廃盤アワー」ブームによる再発見によって、あぁ~、こういうジャケットにして、こういう歌があったのかぁ~~♪ という喜びを与えてくれるのですから、中古屋巡りの悦楽はやめられないというわけです。

そこで肝心の島津ゆう子については、サイケおやじは何も知ってはいません。

しかし、このシングル盤収録の両面共が彼女の作詞である事からして、本来はその道の人だとしたら、実は立派なシンガーソングライターであるのかもしれません。

ちなみに作曲は、これまた両面共に藤本卓也という、昭和歌謡曲の世界では裏人気最高のひとりで、歌手としてもロカビリー時代に袖木公一の芸名で活躍していた事を知っている皆様が大勢いらっしゃるんじゃないでしょうか。

代表作として、矢吹健の「あなたのブルース」は決定的ですが、五木ひろしの「待っている女」等々、かなりロックなフィーリングとディープな作風が個性的だと言われていますから、このシングル盤でもA面「ヘイ・モンロー」はオールディズ調の泣きが滲んだパラード曲で、メロディだけならば弘田三枝子や九重佑三子あたりにもジャストミートすると思います。

ところが島津ゆう子の綴った歌詞が曲者で、サブタイトルの「モンローに捧げる歌」というのはちょいと???なんですが、とにかく男に貢いだあげく、あっさり死を選んでしまった(?)かのようなオチをアッケラカンと歌ってしまうのは、まさに作者の強みなんでしょう。

率直に言わせでいただければ、決して歌が上手いとは言い難いんですが、それでも妙に技巧的な発声とか、所謂「味の世界」は確実にあるんですねぇ~♪

それがB面の「二つのコーヒー」では、もう、全開♪♪~♪

ポップス演歌の真髄という曲メロは言わずもがな、シャラララのハミングを交えて歌う島津ゆう子の男を待つ気分の高揚が、これほどジンワリと歌われてしまうんですから、後は自ずと彼女の勝負下着が気になったりもするんですが、実は戻ってこない男への失恋ソングという真相も!?

う~ん、個人的には、こっちのB面「二つのコーヒー」が好きでたまりません♪♪~♪

ということで、最後になりましたが、ジャケ写ポーズについて言及しておけば、これは所謂「スケバン仁義」のスタイルに近いものさえありまして、何か当時はジワジワとそうした流行りも広がっていたんですが、一般的には未だ明確では無かったと思います。

ですから、このジャケットデザインの真偽真相もひとつの謎であり、それもまた「昭和元禄」の証なのかもしれませんねぇ~♪

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ドナルド・ダック・ダンがシビれさせてくれたビート

2012-05-15 15:30:56 | Soul

ピートにしびれて / Booler T. & MG's (Stax / 日本グラモフォン)

昨日報じられたドナルド・ダック・ダンの訃報には、流石に驚きました……。

なにしろ来日巡業中、東京のホテル内客室での事らしく、全ての公演を終えて帰国直前だったというのですから、やりきれません。死因は発表されていないようですが、今回のステージライプに接した友人からの情報では、かなり体調が苦しかったようで、椅子に腰かけながらのペースプレイだったそうです。

う~ん、故人の責任感の強さというべきなんでしょうか……。

今は衷心よりご冥福を祈るばかりなんですが、最近はサイケおやじが少年時代から好きだったミュージャン、俳優、スポーツ選手、作家等々の訃報が毎月のように報じられ、時の流れの諸行無常を痛感させられております。

で、サイケおやじがドナルド・ダック・ダンを最初に意識したのが、本日掲載したシングル盤A面曲「ピートにしびれて / Hip Hug-Her」で、演じているのはジャケ写に登場している黒人キーボード奏者のブッカーTが率いるMGs でした。

それが昭和44(1968)年頃の事で、楽曲そのものはアメリカで2年ほど前にヒットしていたそうですが、サイケおやじが初めてこれを聴いたのは、従姉に連れられて行ったボーリング場のジュークボックスでした。

あぁ~、この強烈なピート感は、なにっ、これっ!?!

ご存じのとおり、当時のジュークボックスは殊更重低音が強調された音響であった事も幸いしていたんでしょうが、ブッカーT(org)、スティーヴ・クロッパー(g)、ドナルド・ダック・ダン(b)、アル・ジャクソン(ds) という4人組がやってくれた、ずっしり重いピートのインストには、邦題どおりにシビれさせられましたですねぇ~♪ その体験は今も鮮烈な記憶です。

尤も、そういうMGs のメンバー構成を知るのは後の事ですし、またこのグループがオーティス・レディングやカーラ・トーマス等々の所謂スタックス系R&Bのバックを担当していたなんて事は、未だ知る由もありません。

ただ、この「ピートにしびれて / Hip Hug-Her」がサイケおやじを魅了した最大の要因が、ズンズンズンのペースプレイであった事は間違いありません。おそらくはファズを使っていたのかもしれませんが、こんなにヘヴィ&シンプルでありながら、所謂モダンなフィーリングをやっているなんて!?

そう感じてしまえば、追々に聴いていく南部ソウル系の楽曲の多くが、前述したスタックス制作であれば、必ずやドナルド・ダック・ダンのペースが鳴り響いている事に目覚めたのです。

ちなみに「ピートにしびれて / Hip Hug-Her」は、なにもドナルド・ダック・ダンだけが突出しているわけではなく、MGs の4人がそれぞれポリリズムで絡みあうが如き集団ソウルビート演奏を展開するところに最高の素晴らしさが生まれていると思いますし、それこそがMGs の人気と実力の秘密として、この他にも数多くのレコーディングとヒット曲を残せたのでしょう。

そして何よりも白人でありながら、これが本物のブラックミュージックという印象を作り上げた貢献度において、ドナルド・ダック・ダンは永遠に不滅だと思います。

また、それゆえにソウルフルな音楽性を求める歌手やミュージャンからの共演要望も多く、そこではベースプレイばかりか、現場での音楽監督やプロデュースもやっていたのですから、まさに縁の下の力持ち!

おそらくは自己名義のレコードは出していないと思われますが、それでも洋楽にちょっとでも興味を抱いているならば、それと意識しなくとも、ドナルド・ダック・ダンのペースを聞いたことの無い人はいないでしょう。

ということで、あまりにも突然の客死とはいえ、同じメンフィス出身の盟友たるスティーヴ・クロッパーと最後の巡業ライプを共演し終え、そこから天国へと旅立ったドナルド・ダック・ダンの生涯には、何か運命的なものを感じてしまいます。

そして、これはあまり言いたくありませんが、そこには既に到着している多くの仲間がいるわけですから、この世にあった以上のソウルグルーヴを響かせているものと思います。

ドナルド・ダック・ダン、安らかに、そして永遠なれ!

シビれさせくれたビートは決して忘れません!

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明日を信じたルート66

2012-05-14 15:12:26 | Pops

Route 66 / George Maharis (Epic / 日本コロムビア)

サイケおやじの同世代の皆様ならば、おそらくは「何でも一番はアメリカ」という教育を受けていらっしゃるでしょう。

まあ、一概には決めつけられないとは思いますが、少なくともサイケおやじは子供の頃から、そんな風に刷り込まれていましたから、テレビドラマで接するアメリカにも大いなる憧れを感じていたものです。

で、その中のひとつとして、確か昭和36(1961)年頃からNHKで放送がスタートした「ルート66」は、大きくてカッコ良すぎるスポーツカーで旅する白人野郎の2人組が、行く先々で困った事件や恋愛騒動等々に巻き込まれながらも、スマートで痛快、時にはトホホの結末を堪能させてくれましたですねぇ~♪

尤も、リアルタイムでは小学生だったサイケおやじですから、その劇中展開の真意真相までは完全に理解出来るはずもなかったんですが、後にシボレーのコルペットである事を知る件のスポーツカーが、「ルート66」というシカゴからロスに続く幹線道路を疾走する映像だけで、ワクワクしていたのは偽りのない気持でした。

ちなみに主人公はマーチン・ミルナーがトッド、ジョージ・マハリスがバズを演じていましたが、毎度のお約束として如何にもハリウッドな白人グラマー美女が出てくるんですから、これまた子供なりに楽しみにしていたのはサイケおやじの三つ子の魂でしょうか。

それと劇伴音楽が、なかなかイカシたフィーリングで、今となってはジャジーなロケンロールがテンコ盛りだった事からも、ぜひとも関連音源を纏めて欲しいわけですが、中でも日本でヒットしたのがトッド役のジョージ・マハリス自ら歌った、本日ご紹介のシングル曲!

今となってはストーンズのバージョンが特に有名かもしれませんが、ジャズ系では作者のボビー・トゥループやナット・キング・コールあたりが定番であり、またストーンズがネタ元にしたと思われるチャック・ベリーのカパーも秀逸という、つまりは矢鱈に調子の良いご当地ソングの決定版だと思います。

なにしろ現実の「66号線」に因んだ地名が歌詞に盛り込まれていますし、そのビート感満点の語呂の良さが、これまた覚え易いという楽しさです。

ちなみにサイケおやじの記憶では、ドラマの中でジョージ・マハリスが「ルート66」を歌ったという覚えが薄く、おそらくはネルソン・リドル楽団が担当したとされる劇伴インストやコーラスバージョンがメインだったと思われるんですが、実はこのシングル盤を買ったのは当時、テレビを持っていなかった叔父が、このドラマを毎週鑑賞するために我が家を訪れていたという流れの一環でした。

そして例によって、掲載した私有盤は、それを永久貸与されたものというわけですが、とにかく今でもジョージ・マハリスといえば「Route 66」である事に変わりはありません。

ところが、ドラマそのものが後にフジテレビ(?)に放送移行した頃でしょうか、途中でジョージ・マハリスが出なくなり、つまりはトッド役が交代してしまったんですよねぇ……。まあ、このあたりは吹き替え声優が同じだったんで、それほどの違和感がなかったような気もしているんですが、一説によるとジョージ・マハリスはアメリカの道徳観念では許し難い軽犯罪をやってしまったからという噂もありました。

ただしジョージ・マハリスは歌手としても有名だったらしく、ボーカル物のアルバムを何枚も出していますし、有名ホテルラウンジでのステージ活動も多いそうですから、それほど大騒ぎする必要もなかったのでしょう。

ということで、アメリカが裕福な夢の国と信じられていた頃、日本はそれに追いつけ、追い越せという目標主義が命題になっていたように思います。そして豪勢に作られたハリウッドのテレビドラマがウケたのも、まちがいなく信じられるものがあったからでしょう。

それが翻って現在、自国政府の言う事が一番信じられない時代が来ようとは、想像もしていませんでした……。あぁ、なんの屈託もなく「ルート66」を観ていた頃に戻りたいような、全く後ろ向きにさせられる今日この頃ですねぇ。

閑話休題。

最後になりましたが、これまた薄い記憶ではありますが、このジョージ・ハマリスのバージョンを焼き直したような曲を小林旭が歌っていたような気がしているんですが、「自動車ショー歌」じゃないしなぁ~~?

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一度は見たかった幻のリード

2012-05-13 15:37:13 | 日本のロック

■悪魔がくれた青いバラ / The Lead (RCA)

日本のロックが最高潮だったGSブーム期は夥しいグループがレコードデビューしていましたから、その全てをリアルタイムで聴けたなんてことはありませんし、もちろん生演奏に接することも限られていました。

ですから、それゆえに様々な伝説が生まれ、また「幻の」という形容詞が用いられているバンドも少なくありません。

例えば本日ご紹介の「悪魔がくれた青いバラ」を出しているリードは、アメリカ人ばかりのバンドでありながら、基本的には東京は赤坂周辺のディスコやゴーゴー喫茶で活動していたという、ローカルな本格派?

しかし基本的に外人コンプレックスが未だ強かった当時の日本では、彼等のカッコ良さは抜群であり、しかも演奏テクニックにも秀でたものがあったそうですから、GSブームも爛熟していた昭和43(1968)年秋には堂々のレコード契約を得ています。

メンバーはマーク・エルダー(g,vo)、アーダクル・タミヤ(g,vo)、フィル・トレイナー(b,vo)、アラン・ヒル(ds.vo) という4人組で、中でもマーク・エルダーのギターテクニックは凄かったそうですねぇ。冒頭に述べた「伝説」という部分では、この人の駆使するチョーキングを真似ようとして、大勢の日本人ギタリストがライプの現場に集ったというほどなんですが、個人的にはその真偽のウラが取れておらず、ちょいと悔しいところ……。

何故ならば、マーク・エルダーは翌年早々に違法薬物関連で逮捕され、グループを脱退していますし、それ以前にもサイケおやじはテレビでさえ見た記憶が無いほど、リードは幻のグループだったというわけです。

また掲載したシングル曲「悪魔がくれた青いバラ」はロックというよりも、歌謡フォークと断定したくなるほど、日本語の歌詞に昭和特有の洋風メロディがつけられたコーラス曲……!?

告白すれば、サイケおやじは学生時代に初めて前述したチョーキング伝説を知り、後追いで聴いた所為もあるんでしょうが、その落差の物凄さに愕然とさせられましたですねぇ~~。

それともうひとつの伝説というか、そのマーク・エルダーが抜けた穴埋に入ったのがジャズ歌手としては超有名なヘレン・メリルの息子という、アラン・メリル! しかもこの時はグループ内にアラン・ヒルが在籍していたんで、ポール・メリルと名乗っていたのが、如何にも日本の芸能界でしょうか。

ご存じのとおり、アラン・メリルはリードが解散に追い込まれた後、ソロシンガーとして日本で数枚のシングルとアルバムを出し、同時にテレビバラエティやドラマにも出演していたという、所謂出稼ぎ外タレでありましたから、今でも忘れられない皆様も多いはずと推察しております。

何よりも日本のロック史のその名を刻むウォッカ・コリンズを結成し、またロックパイロットにも参加していたのは、その実力の証明だと思います。

で、肝心のリードにしても、その真の実力は流石に本物だったのでしょう。リアルタイムではLPも2枚出しているんですが、これがまたリアルタイムでヒットしていた洋楽ロックやR&Bのカパー物というのに、仕上がりが何故かテキトーなやっつけ仕事!?

う~ん、これも当然ながら後追いで聴いたサイケおやじを茫然とさせましたですよ……。

結局、リードは外人バンドが日本語で歌ってくれるという珍しさというか、ある意味では日本人の優越意識を刺激する策略があったと勘繰られても、こんなレコードばっかり作らされていたら、ど~しようもないでしょう。

そして前述したような伝説があればこそ、当時の夜の赤坂あたりにあったディスコにタイムスリップし、ライプ演奏に接してみたいという欲求は高まるばかです。

またチョーキング伝来の件についても、既に昭和40(1965)年のベンチャーズ来日の時には、ノーキー・エドワーズがライトゲージでキュインキュインにやっていたわけですし、それを寺内タケシが早速自身の手で会得進化させていたですから、今更なぁ……、という思いは確かにあります。

ということで、なにか絶望的な事ばっかり書いてしまいましたが、楽曲そのものとしての「悪魔がくれた青いバラ」は、作詞:尾中美千絵&作曲:鈴木邦彦が書いた、まるっきりタイガースのヒット曲路線を狙った秀逸なクラシック調の歌謡フォークなんですよ♪♪~♪

これは相当、現在でもイケるんじゃ~ないでしょうか。

う~ん、リードはやっぱり伝説の名バンド!?

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クリス・モンテスのちょいヤバの魅力

2012-05-12 15:49:21 | Pops

愛の聖書 / Chris Montez (A&M / キングレコード)

音声による情報の伝達がラジオの特性ですから、そこから生まれる流行歌の依存度は、持ちつ持たれつでしょう。

ですから、歌っている本人がリスナーにとっては、てっきり女性?

と思ってしまうほど、オカマチックなヒット曲が流行っても、それはそれで楽しいものがありました。

例えば昭和44(1969)年にバカ当たりした本日ご紹介の「愛の聖書 / Nothing To Hide」は、クリス・モンテスという、ジャケ写を見れば、なんとなくボテ腹疑惑も濃厚な男性歌手がフワフワと歌った、所謂ソフトロックなんですが、当時のAM放送から流れる声質には大袈裟なほどの中性志向、いや、中性指向と書くべきかもしれないほどの曖昧さが良い感じ♪♪~♪

しかもバックの演奏が、その頃の典型的なA&Mサウンドで、柔らかなオーケストラアレンジに打楽器のスパイスが微妙に効いたボサロック調という事は、特有の浮遊感が本来のキャッチーな美メロを彩る魔法になっているんですねぇ~♪

ところが、この「愛の聖書 / Nothing To Hide」がヒットしたのは日本だけという真相も意味深で、実はクリス・モンテスは1961年頃からハリウッド芸能界で地道に活動しながら、それ相応なヒット曲を出しており、つまりは正統派のロックシンガーだったというのですから、これまたちょいと吃驚でしょう。

特に1962年に放った楽しいオルガンロックの「Let's Dance」は、本物!?! とても「愛の聖書 / Nothing To Hide」を歌った同一人物とは思えないほどです。

それがどういう経緯か、1960年代中頃には所謂中道路線のMOR歌手として再デビューし、ボサロックやフレンチポップスの焼き直しみたいな、お洒落ソングの数々を出すことになったというのですが……。

とにかく「愛の聖書 / Nothing To Hide」は、そうした路線で作られたクリス・モンテスの4枚目(?)のアルバム「ウォッチ・ホワット・ハプンズ 」に収録されていた本人自作の名曲であり、これを独自にシングルカットした我国のキングレコードは大正解だったと思います。

何故ならば、今では「クリス・モンテス=愛の聖書」という公式が成立しているのは言わずもがな、辺見マリが翌年に放ったメガヒットの「経験」は、これのモロパクリなんですからねぇ~~♪

いゃ~、何度聴いても、このふたつの類似的陶酔感はたまらんですよ♪♪~♪

もちろん「経験」を書いた村井邦彦の、ネタ元よりも良い曲を作ってしまう才能は流石であり、同時にA&Mサウンドに敬意を表した川口真のアレンジの功績も侮れませんが、それがまたクリス・モンテスの人気を不滅にしている要素でもあるんじゃないでしょうか。

ということで、本来的にはクリス・モンテスのアルバムやヒット曲は、夏の日の午後にでも聴くのがジャストミートかもしれませんが、この「愛の聖書 / Nothing To Hide」に限っては夜に聴いても、妖しいムードが増長されて、なかなかイケますよ♪♪~♪

まさに深夜放送と洋楽ヒットの関連性を証明する名曲かもしれません。

最後になりましたが、掲載した私有盤はリアルタイムではなく、昭和50年代に後追いの中古でゲットしたので、おそらくは再発盤かもしれませんが、実はその前にアルバムをメインに集めていたほど、クリス・モンテスの歌や音楽は素敵なものばかりです。

気に入ったら、ちょいと抜け出せないほど、アブナイ魅力に満ちていることを付け加えさせていただきます。

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ジム・クロウチに会ったなら

2012-05-11 16:03:54 | Singer Song Writer

ルロイ・ブラウンは悪い奴 / Jim Croce (ABC / 日本フォノグラム)

願いが叶った時、もう、これで死んでも……!

等々と言ってしまう人は、かなり大勢いらっしゃると思いますが、その気持は確かに分かります。

しかし、それが現実となってしまえば、決して本望じゃない!?

常に煩悩と未練に苛まれているサイケおやじは、そんな感じではありますが、本日の主役たるジム・クロウチこそ、まさに人生の絶頂が瞬間的に終りへと結びついてしまったような運命の悲喜こもごもが、例え神様の思し召しであるにせよ……。

ご存じのとおり、掲載したシングル曲「ルロイ・ブラウンは悪い奴 / Bad, Bad, Leroy Brown」が1973年夏の全米チャートでトップに輝いた直後、ジム・クロウチはバンドメンバーやスタッフと共に巡業中の飛行機事故で他界という、あまりにも突然の悲報が歴史になっているからです。

それも件のヒットが矢鱈に調子の良い曲展開であり、フックの効いたメロディや覚え易いキメのリフ、ハートウォームなアコースティックギターのリズム&りードの兼ね合い、さらにジャケ写でご覧のとおりの飄々としていながら妙に芯の強そうな風貌等々、何をやっても憎めないような存在感があるだけに、そのぷっつり途切れてしまった人生には、潔さと不条理がゴッタ煮と思います。

また我国では、この「ルロイ・ブラウンは悪い奴 / Bad, Bad, Leroy Brown」の紹介と忽ちのヒットの最中、一緒に前述の訃報も知らされたのですから、なにやらリアルタイムの洋楽ファンにとっては絶対に忘れられないひとりでしょう。

ちなみにジム・クロウチの履歴には十代の頃からの世界放浪とか、曲作りとフォークソング風の弾き語りをメインとするミュージシャン活動、しかし経済的な事情から肉体労働を生業にしていた云々という、まあ、その道には珍しくも無い苦労話が必ずあるものの、1972年にようやくチャンスを掴み、翌年9月に亡くなるまでの実質的なシンガーソングライター活動期に制作された楽曲には、イジケたり、ネクラの部分が感じられません。

むしろ、他人から見れば苦労だったかもしれないそれまでの生き様が、ジム・クロウチ本人にとっては、なんでもない日常の積み重ねとして現在の歌に活かされているのか?

と、サイケおやじは素直に納得させられてしまう「何か」があるように思います。

それはジム・クロウチの持って生まれた資質かもしれませんし、音楽的には名コンビを形成していたギタリストのモーリー・ミューライゼンとの相性の良さも侮れず、そのコンビネーションを前提とした曲作りが素晴らしさの秘密かもしれません。

とにかく「ルロイ・ブラウンは悪い奴 / Bad, Bad, Leroy Brown」をきっかけに、ジム・クロウチは没後にますますの人気を得たのは確かであり、当然ながら生前の巡業ライプからブートまがいのレコードまで流通していた現実は、それだけ多くの希求があった証です。

ということで、現在でも根強いファン、あるいは新発見的に増殖していくファンの多さという点においても、ジム・クロウチは幸せなミュージシャンだったと思うばかりで、なにも前述した突然の云々は必要ではないでしょう。

何故ならば残された歌には、その全てに本人の魂が宿っているはずですから! 

もちろん、それは殊更ジム・クロウチばかりではないんですが、なにか一期一会の真実は、この人の場合、特に強く感じてしまうのでした。

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