OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

水色の世界へマーク、逝く…

2014-12-11 14:34:15 | Singer Song Writer

水色の世界 / GARO (マッシュルーム / 日本コロムビア)

ガロのマーク=堀内護の訃報に接しました。

ご存じのとおり、昭和46(1971)年に公式レコードデビューしたガロは当時の洋楽最先端であったCSN&Yからの影響をモロに体現していたグループとして注目され、同時に我が国の歌謡フォークブームを牽引した存在でもありましたが、後者が露骨な商業主義に染まっていた事とは別に、ガロが本来の持ち味であった前者の表現に一番拘っていたのがマークだったように思います。

しかし現実的に仕上がったレコードはデビュー作からして、なかなかソフトロックっぽい傾向が強く、本日掲載のシングル盤収録の両面曲は共にガロの1st アルバムにも収録されていた人気トラックなんですが、殊更B面の「水色の世界」は作詞作曲がマークですから、根底にはCSN&Yの味わいが滲んでいます。

ところが東海林修の施したアレンジには十八番のポピュラークラシック風味が強く、結果として中後期のアソシエイションみたいな、全くお洒落なポップス歌謡になっているのは要注意でしょう。

というか、それでも決して大衆ウケはイマイチであろうところにマークの存在感があるように感じられるわけです。

もちろん当時はCSN&Yの影響下にあって、世界的に最も成功したグループのアメリカは未だブレイクする前であり、だからこそガロにも幅広い選択肢があったと思えば、この「水色の世界」のポエムな世界は狙いどおり!?

上手い具合に重ねられたマークのリードボーカルがジンワリと滲みてまいります♪♪~♪

そして、元タイガースの加橋かつみもカバーバージョンを残していますので、聴き比べるのも一興ですよ。

ということで、近年は再び歌の世界に戻っていたマークが、まさかこんなに早く天国へ召されるとは……。

ここしばらく、訃報関連のあれこれが多い拙ブログ、流石に気持ちが弱くなっているのを感じます。

合掌。

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凡て許せる、この木の実ナナ

2014-12-10 13:50:26 | 歌謡曲

しかたがないんだもん / 木の実ナナ (キングレコード)

年末に来て、仕事が縺れっぱなしとなれば、必然的に言い訳を優先してしまうサイケおやじではありますが、だから許してもらえるほど世の中は甘くありませんよねぇ……。

もちろん相手方の事情もあれやこれや、しかしそれが好みの美女から発せられるとなれば、ついつい情に流されてしまうのも、サイケおやじの悪いムシというところです。

さて、そこで本日掲載のシングル盤は、まさにそれっ!

如何にも発売された昭和44(1969)年という昭和元禄真っ只中のエロキューションがモロに襲いかかってくるジャケ写こそ、木の実ナナの真骨頂でありましょう♪♪~♪

あぁ~~、こんなポーズで刷り込まれたら、誰もが持ってる下心を見透かされるのは百も承知! 後はのど~にでもなれっ!

と、思ってしまうですよ♪♪~♪

そして素敵過ぎるのが作詞:世志凡太&作編曲:森岡賢一郎の提供したA面曲「しかたがないんだもん」の出来栄えで、ネチネチしたコブシを回す木の実ナナの歌いっぷりは奥村チヨと似て非なるお色気歌謡の神髄ですよっ!

しかもバックの演奏パートの要がジャズロック系のリードギターと幾分暑苦しいストリングスという、全く森岡賢一郎が十八番の世界ですし、ここまで媚びた歌を聴かせてくれる木の実ナナは、ジャケ写の存在感を裏切っていません。

くうぅぅぅぅ~、このフォトセッションのスタジオに居合わせたスタッフは、最高に美味しい角度から彼女を凝視出来たであろう事は推察に易く、次元転移装置が欲しいと思うのはサイケおやじばかりではないはずです。

ということで、だからといってサイケおやじの現実の前には、決して彼女の様な麗人は現れず、居直り半分のトボケたおばちゃんが、それなりのお色気でバカな言い訳を弄しているという、いやはやなんともの師走の情景……。

正直、相手を苛める気力も失せているんですが、そこは本日、木の実ナナの最高の魅力に免じて、明日への道を探しているのでした。

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なんとかなれっ!

2014-12-09 15:22:14 | Weblog

久々の時差ボケでダウンしそうです……。

というか、昼夜逆転の後遺症?

明日になれば……。

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夢こそ、真

2014-12-08 11:37:06 | Beatles

夢の夢 / John Lennon (Apple / 東芝)

忘れた事は一度もありません。

ありがとうございます。

合掌。

 

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切迫

2014-12-07 14:55:16 | Weblog

仕事が縺れて、明日からまたまた旅に出ますので、今日は準備に忙殺され…。

本日の1枚は休載余儀なく……。

訪れて下さった皆様には、心からお詫び申し上げます(__)

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私…、名前はミーコです

2014-12-06 17:17:29 | 歌謡曲

少女は大人になりました / 牧村三枝子 (RCA)

牧村三枝子は昭和47(19712)年、美少女演歌歌手として売り出され、掲載のシングル盤A面曲「少女は大人になりました」は見事なデビューヒットになったわけですが、その魅力は正統派演歌フィーリングたっぷりの節回しに安定した歌唱力は言わずもがな、ジャケ写どおりの愛くるしい面立ちには一抹の翳りが滲むというルックス、さらには決して恵まれた生い立ちではなかったというプロフィールの喧伝が素晴らしく融合していた事でしょう。

もちろん現在では、そういう事を芸能的にアピールするなんてことはメジャーな活動においてはほとんどありませんからねぇ~。

しかし牧村三枝子=極貧の子供時代、あるいは恵まれない父子家庭というようなマイナスイメージが似合っていた歌謡スタアも稀で、それは「昭和」という時代には未だ「お嬢様
」とか「おぼっちゃま」が存在する対極として、彼女のようなアイドルが必要とされていた証のように思います。

ちなみに「美少女」というイメージでありながら、当時の彼女はギリギリ二十歳前だったそうですから、決してロリ系ということではなくて、こんなに可愛いルックスで暗いベクトルが強い歌を演じてしまう、そのギャップにシビレていたファンも多かったんじゃ~ないでしょうか。

そこで作詞:千家和也&作編曲:竹村次郎による「少女は大人になりました」は、歌謡フォーク調のアレンジが入ったところが如何にもニクイばかりですし、なによりも刹那の歌詞の中には、牧村三枝子が自らの生い立ちを語ってしまうパートが挿入されているんですから、たまりません♪♪~♪

まさに現実と虚構が裏表に表現されたミーコ=牧村三枝子の最初の物語になっているんですねぇ~~♪

ご存じのとおり、以降の彼女はしばらくの間、この「少女は大人になりました」以上のヒットが出せない時期が続きましたが、それはデビュー曲があまりにも鮮烈であった所為かと思います。

そして昭和53(1978)年のメガヒット「みちづれ」を出してからの数年間は全盛時代で、幾つもの売れた曲を歌っていたのですが……。

ど~いうわけか、諸説あるとはいえ、牧村三枝子が酒に溺れ、体調を崩してしまうという悲惨が、ファンを嘆かせました。

しかし、だからこそ、デビュー曲「少女は大人になりました」のミーコが愛おしい!

ということで、もはや忘れかけられているかもしれない牧村三枝子を再認識して欲しくて、今日はこれを書いています。

どうにか現在は歌手活動にもそれなりに復帰しているようですが、「みちづれ」ばかりではなく、たまには現在の彼女によるミーコの歌を聴きたいと願っています。

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帰れない…

2014-12-05 14:34:29 | Weblog

長距離移動中に寒波襲来!

足止めくらって、ジタバタしてます……。

本日の1枚は休載、ご容赦下さい。

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歌謡フォークは、いぬいゆみ

2014-12-04 14:29:45 | 歌謡曲

冬が春に恋をして / いぬいゆみ (RCA)

いぬいゆみは昭和40年代後半から活躍した歌謡フォークの女性シンガーで、まあ、今となっては後に芹洋子がエバーグリーンな代表作にしてしまった「四季の歌」を既に昭和47(1972)年に出していて、それなりの小ヒットさせた事ぐらいしか記憶されていない存在かもしれませんが、当時はなかなかメジャーな印象がありました。

なにしろリアルタイムのアイドルや大御所と共にテレビの歌番組に出演する事も多く、ラジオでも彼女のレコードは相当にオンエアされていましたからねぇ~~。

そのハートウォームな声質と節回しの安心感は、しかし時として鋭い感情表現も含むものでしたから、幅広いファン層に支持されていた事が逆にマイナス要因になってしまったとしたら、ちょっぴり残念な気持ちに……。

さて、そこで本日掲載のシングル盤は昭和47(1972)年に発売されたもので、サイケおやじとしては特に作詞作曲:荒木とよひさ&編曲:小杉太一郎によるA面曲「冬が春に恋をして」が好きでたまりません。

ライトタッチの曲調を優しく歌ってしまう彼女は、まさに癒し系♪♪~♪

ちなみに曲を書いた荒木とよひさは、今や作詞家の巨匠のひとりとして説明不要ながら、活動初期には作曲もしていた事は侮れず、前述「四季の歌」も荒木とよひさが学生時代に書いたものという伝説(?)は有名だと思います。

ということで、いぬいゆみは何時間にかフェードアウトしてしまった感も強いんですが、包み込むような優しい歌唱が特徴的でしたから、AOR系ニューミュージックをやっているとしたら、ぜひともそれは聴いてみたいと長年思い続けています。

しかし残念ながらサイケおやじは彼女のキャリアや残したレコードに関する知識が無いので、中古屋でコセコセと猟盤作業をやってきたわけですが、それらのジャケ写に登場しているいぬいゆみほどフォークギターが似合う女性は少ないように思います。

機会があれば、数は少ないながらも手元に集めた彼女のブツをご紹介させていただきますね。

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蠱惑の瀬川映子

2014-12-03 14:35:08 | 歌謡曲

函館の雨のリラ色 / 瀬川映子 (クラウン)

巷間、男にとっての魅惑の女性というのは、あくまでも自己感性の問題だと思いますが、サイケおやじにとっては本日掲載のシングル盤ジャケ写に登場の瀬川映子が、全くのジャストミート♪♪~♪

もちろんそれは中古屋での邂逅で、この1枚が眼前に現れた時は瞬時、思わずビビッと電気が走ったシビレ状態でありました♪♪~♪

そうです、瀬川映子とは現在の瀬川瑛子であり、このレコードは「命くれない」のメガヒットを出す遥か以前、昭和45(1970)年の発売なんですが、良く知られているように彼女の履歴として初期の大ヒット「長崎の夜はむらさき」の流れを引き継いだご当地ソング路線でありながら、必ずしも売れたとは言い難い1枚です。

しかし、サイケおやじにとっては、そんなのカンケ~ねぇ~~!

過言では無く、このポートレートの面立ちと仕草が全てなんですよっ!

ちなみに瀬川瑛子ご本人が以前にテレビかラジオで話されていたところによると、昭和42(1967)年の公式デビューから数年間、つまり「瀬川映子」時代の若い頃は水着グラビア等々も頻繁にやっていたとか!?

そりゃ~~、今も健在の巨乳と長身ですから、さぞや当時はスタイル抜群の男好きするダイナマイトバディであった事は想像に易く、その一端がこのジャケ写からも滲み出ているわけですよ♪♪~♪

世が世なら、彼女はグラビアアイドルとしてもイケたにちがいないはずの魅力を振り撒いていたんでしょうねぇ~~♪

思わせぶりな表情も、たまりません♪♪~♪

あぁ~~、そう思ってみれば、その頃のグラビアなり映像なりが復刻されん事を強く望むサイケおやじであります。

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逝ってしまった菅原文太に…

2014-12-02 14:41:19 | Movie

新宿の与太者 / 菅原文太 (テイチク)

先日の高倉健に続き、昨夜は菅原文太の訃報に接し、言葉もありませんでした……。

もちろん二人は日本の映画界を代表したスタア俳優であったわけですが、同じ東映任侠&ヤクザ路線で夥しい作品に出演しながら、その演技の個性は絶対的に異なっていたわけで、高倉健がクールで熱い存在感ならば、菅原文太は直情径行、頭は良くないけれど情に流されつつスジは通すという役柄が十八番だったように思います。

ですからチンピラ役を演じても、健さんはトホホをやらかしながら、キメる時にはきっちりキメる男気が憧れの生き様であり、文太兄貴は最後までカッコ悪くても、それはそれで感情移入させられてしまう熱血と蕭然が魅力でした。

極言すれば高倉健は虚構と現実を美学として昇華し、菅原文太は実録と虚構を往復してみせた、共に稀有の役者でしょう。

さて、そこで本日掲載したのは菅原文太が昭和45(1970)年に主演した「新宿の与太者(東映・高桑信監督)」の主題歌をA面に収録した、所謂歌う銀幕スタア物のシングル盤なんですが、作詞:菅原文太&鈴木則文、 作編曲:島豊による楽曲と本人の味わい深い歌唱が、例え件の映画を未鑑賞であったとしても、なかなか心に染み入る、これも昭和歌謡曲の楽しみってやつです。

しかし、そうは言っても、やはり映画本篇が如何にも当時の東映という「全て分かっている楽しみ」の仕上がりで、物語は新宿を舞台に菅原文太が演じるケチな前科持ちのチンピラがセコイ稼ぎから少しずつ伸し上がっていく展開なんですが、当然ながらそこには大組織に利用され、騙された挙句に仲間を殺されてバカを見る主人公の悲哀と悔恨が描かれ、最後はお約束の「殴り込み」で上手い事やっているお偉方をブッスリという流れがハートボイルド!

あぁ、こうしたヤクザ映画にありがちな破滅的カタルシスには思わず感傷を誘われてしまうんですが、だからこそ哀愁のトランペットに咽び泣くテナーサックスが配された主題歌における菅原文太の冒頓とした節回しが、ジワジワと心に染み入るんですねぇ~~♪

 あぁ~、ヨタモノォ~、ジュクのヨタモノォ~~~

ついつい一緒に歌ってしまうですよ、これが♪♪~♪

ちなみにクライマックスを「殴り込み」と書きましたが、この作品では新宿の歩行者天国で金子信夫、葉山良二、南廣を刺して捕まるという、かなりオープンな撮影が敢行され、思えば当時は新宿界隈でこうした映画のロケが頻繁にあり、そういえばサイケおやじも菅原文太や待田京介といったスタアの他に東映系の大部屋の役者を大勢見ているんですが、その頃のこうした現場での交通誘導とか見物人の仕切り等々は任侠団体の人達が仕事として請け負っていながら、そういう本職よりは役者の方が、よっぽど本物らしかったという記憶は、いやはやなんともでしょうか。

閑話休題。

で、こうした実直で哀しいチンピラヤクザ役が菅原文太の十八番になったのは、演じる人物の不器用な生き様が、失礼ながら未だ生硬な芝居が特徴的だった故人の特質に合っていたからかと思います。

それは同時期、既に作られていた主演作、例えば生真面目なテキヤを演じた「関東テキヤ一家」、あるいは脇役で出演した「不良番長」等々に限らず、後の「トラック野郎」や代表作「仁義なき戦い」の各シリーズをご覧になった皆様であれば前者に対し、ど~して菅原文太はこんなに頑なな演技を……?

と感じられるはずで、しかしそういうところが逆に一生懸命に暴れるしかない劇中人物に投影された時、リアルな虚構が結実されるんじゃ~ないでしょう。

相当に生意気な独り善がりではありますが、それは菅原文太だけの資質であり、「現代ヤクザ」シリーズを経て、いよいよ「仁義なき戦い」で大輪の花を咲かせたのは、失礼ながら他の役者では、そこまでいけなかったと思っています。

ということで、最後になりましたが、もうひとつサイケおやじが強く感じ入っていたのが、菅原文太のファッションセンスの良さでありまして、ヤクザファッションは言わずもがな、ステテコにダボシャツ姿や着流し、さらには意図的にダサい衣装を着せられる時でさえも、全てをジャストに着こなしてしまうあたりは、流石若い頃にモデル業もやっていたという故人の「粋」でありましょう。

ルックス的には決して正義を貫くような人相ではなかった菅原文太は、しかしハチャメチャな人物を演じさせては、これほど芯の強い役者は唯一無二!

高倉健が「憧れ」の存在ならば、菅原文太には「共感」を覚えてしまうサイケおやじです。

衷心より、ご冥福をお祈りいたします。

合掌。

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