★新年に妻の姉妹が集まった。みな高齢者であり連れ合いを亡くして独り住まいである。それぞれに年相応に病を抱えている。どうしても話は残りの人生への不安ということになる。お互いに元気なものが介護するといっても老老介護である。
出るのはため息ばかりだ。そんなとき先日読ませてもらったJANJANさとうしゅういちさんの記事http://www.news.janjan.jp/living/0803/0803283787/1.phpを思い出して姉たちを励ました。みな一様にうなづいてくれた。
正月早々リアルすぎる話であるが大切なことなので紹介したい。(ネット虫)
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06年に施行された高齢者虐待防止法には介護する側を支援する趣旨も含まれているが、まだ充分には機能していないようだ。筆者自身の介護経験からも、現代社会では介護者支援のいっそうの充実は必須と思う。「介護のために人生を楽しめないとすれば、それは人権侵害」とするイギリスの制度にも学び、新法制定の議論を始めるべき時だ。
「高齢者への虐待」「介護殺人」などが、しばしば、新聞紙上をにぎわしています。JanJanにおいても、京都での介護殺人事件の生々しい記事(「哀しき介護殺人事件」)が、強く印象に残っています。
こうした状況に対し、私は、自分がかつて介護保険を県職員として担当していたときの経験から、また、自らが祖母を介護した体験から、「『介護する人』への支援こそ、いま必要」と考えています。
☆「介護する人」のケアも独立した大問題
介護される人へのサービス充実は、もちろん第一にされるべきであり、それによって「介護する人」も間接的に救われます。
これについては、私には忸怩たる思いがあります。私も公務員として法は守らねばなりませんから、介護は「家族によるものを基本」とするという、国のマニュアルに従って事業者を指導しました。「同居親族がいるのに、こんなにサービスを受けさせてはまずいでしょ」という言い方で指導したものです。
だがこれでは、今、核家族化も進み、地域社会のつながりも薄れている中、「働きながら介護」などが非常に難しくなってしまいます。また、介護サービスを提供する人は低賃金で重労働であり、そのことが人手不足につながっています。こうした状況は一刻も早く打破されなければならないと思います。
それに加えて、「介護する人」への応援も独立した政策課題であるべきだと考えます。
政策立案の上で現在は「介護する人」には「人格」が事実上、与えられていないと思います。「介護する人」はあくまで「介護される人」の「付属物」という考え方なのです。それは、「介護する人」が長年、女性が多かったこと、そして、女性の政治的発言力が低かったことが背景にあると思います。
しかし、「介護する人」の人権がないがしろになり、その結果、沈うつな表情をしていたら、「介護される人」がどう思うでしょうか? 介護する側も気持ちよく過ごせてこそ、お年よりも幸せなのではないでしょうか?
私は、一時期、介護疲れもあって病床にありました。JanJanに投稿できなかった時期がそれに当たります。その寸前、かなり顔色が悪かった。かえって祖母も心配してしまった。「自分のことはどうでもいいから、しゅうちゃんが元気でいてほしい」と言い出しました。ただ、私も、煮詰まっていますから、「俺をバカにするな。俺が一生懸命やってやってるのに」という反応しかできず、今度はそこでお互いの行き違いが出てきました。悪循環です。
いわゆる「老老介護」や、家事能力が一般的には低い男性の介護者の場合に、特に問題が深刻化します。疲労のあまり、「貧すれば鈍する」で頭が回らなくなり、余計に介護者が自分で問題を抱え込んでしまうのです。そして実は、真面目すぎる人ほど、今度は要介護者が疎ましく思え、手を振り上げてしまう。そんなパターンはプライベートでは介護者に回った私にとっても他人事ではありませんでした。
あるとき、耳鼻科に頻繁に通院していたため、介護保険適用外のサービスが増えて負担が重くなった祖母に対して心配するあまり、「そんなに通院しなくて良い。おばあちゃんは少々鼻が詰まっていても俺と違い仕事をしているわけでもないのだから、支障はなかろう」と言ってしまったこともあります。
そして、介護者が疲労でいらいらしてくると、周りと大喧嘩を始めたりします。そのために孤立していく。そういう悪循環も見かけます。私自身も、介護で疲れているときに友人と喧嘩をし、残念ながら絶交状態になった人もいます。
☆高齢者虐待防止法は、「介護する人」への支援も目的だが……
さて、高齢者虐待防止法が2006年に施行されました。実はこの法律、「介護する人」への支援も目的です。
正式名称は「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」といいます。だから、「養護者」=「介護する人」への支援も本来は目的なのです。
現状では多くの人はイメージ的には、この法律に基づく「通報」を、「虐待する悪い息子や娘から、親を引き離してあげる」と受け取っているようです。しかしこれは誤解で、高齢者のためでもあるが、「介護する人」にも「タオルを投げてあげる」というのがこの法律に基づく通報の趣旨なのです。ところが、そうした側面は、現実の政策立案上あまり強調されることはあまりありません。
さらに、「虐待した人は鬼か悪魔」という固定的なイメージがあるために、通報先の市町村が逆に、起きた事件を「虐待ではない」としたがる傾向もあります。あくまで私の県での行政経験に基づく一般論ですが、市町村では「悪者」を住民の中につくりたくない、という空気になってしまう場合もあるのです。
☆イギリスを見習い、「介護者する人」応援に本腰を!
こうした状況を改善するために日本で参考になるのは、「がんばらない介護生活を考える会」の活動ではないか、と思います。
参照:
・「がんばらない介護生活を考える会」
同会は、「介護する側もされる側にもやさしい」、そういうあり方を追究しています。
そして、
1.1人で介護を背負い込まない。
2.積極的にサービスを利用する。
3.現状を認識し、受容する。
4.介護される側の気持ちを理解し、尊重する。
5.出来るだけ楽な介護のやり方を考える。
の5原則を掲げ、「介護を抱え込みすぎないため」のチェックシートなどもホームページはもちろん、紙ベースでも配っています。
私は病床にあったとき、病院でたまたま無料配布していたチェックシートを目にしました。それをチェックして「自分が抱え込みすぎていた」と気づいたのです。
思い返せば、病気で介護できなければできないで、今度は近所のコンビニ店主が祖母を気にかけてくれたりなどして、表現は難しいのですが「うまく回り」だしました。だが、疲労が過度になっていたときは、そうした想像力も働かなくなっていました。
「がんばらない介護生活を考える会」のような情報の提供は、本来は、公的にされてしかるべきだと思います。そうすれば、もっと多くの人が助かるのではないかと思います。
また海外ではさらに一歩進んでいて、例えばイギリスでは「介護する人」にも基本的人権があると考えます。「介護をする人が、介護のために、人生を楽しめないとすれば、それは人権侵害だ」、と考えるのが、イギリスの考え方なのです。
そのために、独立した「介護者法」を制定し、介護者も必要とするサービスを受けることができるようにしています。すべての地方自治体は1999年10月までに「介護者支援プラン」の作成を済ませています。
まず、日本もイギリスにならい、「介護者への支援」を、「独立した施策分野」として、立ち上げるべきです。
実務的な提案をさせていただけば、虐待案件の通報先は市町村です。しかし、虐待してしまった、あるいは、虐待まで行かずとも煮詰まってきた養護者(「介護する人」)の思いを受け止めるのは、別の主体にしたほうがうまくいくと思います。
狭い地域では「介護を十分できていない人」は、「悪者」にされがちです。彼ら・彼女らへの支援は、少し地域と距離がある、都道府県がコーディネートする、など役割分担をしていけばよいでしょう。
とりあえず、現行の「高齢者虐待防止法」を生かし、施策を立ち上げつつ、新法制定の議論を急ぐべきです。