九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

、名護市を助けるため旅行に出よう 海形マサシ

2010年01月26日 10時35分42秒 | Weblog
沖縄県名護市の市長選で、辺野古沖の基地建設反対派の候補、稲嶺進氏が勝利した。この勝利を祝ってばかりもいられない。実際のところ、この選挙での最大の争点は、琉球新報などによると地元経済のことであった。だからこそ、容認派は、組織票を総動員して対立候補を応援。期日前投票が前回を上回ったのは、そのせいだと推測される。
 
 現行の辺野古沖基地が建設されれば1兆円もの税金が投じられる。その旨みを享受するのは、旧政権を支えてきた外務・防衛官僚、大手ゼネコンや与党議員たちだ。しかしながら、名護市民も、そのような土建プロジェクトによって必ずしも経済が潤うとは思っていなかったらしい。その結果が、反対派候補の勝利だったと推測される。
 
 だが、問題は依然残る。民主党政権内でも辺野古案を支持する人々がいる。地元経済の困窮な状態につけ込み、公約を覆させることもあり得る。ならば、その名護市の人々の不安を少しでも払拭できるように一人一人にできることはないか考えるべきだと思う。それは、折角ここまで注目を浴びた名護市をできるだけ多くの人々が訪ね、観光などでお金を落とすことだ。
 
 例えば筆者も昨年の10月、辺野古を見たくてなけなしのお金を使い旅に出た。たまたまYou Tubeで加藤登紀子さんのサイトで辺野古の基地を区切る有刺鉄線にリボンがかけられている映像を見て、ロマンにかられ行きたくなってしまった。

リボンのかけられた有刺鉄線にロマンを感じる。(昨年10月筆者撮影、)

 行ってみると実に面白い光景が見られた。美しいエメラルドグリーンの海と浜辺、近くには反対派の監視テントがあり、活動家の人々と話しをし、食事をごちそうにまでなった。また、基地の訓練の様子が撮影できるスポットにも案内してもらった。実に楽しく有意義であった。

 だが、よかったのは辺野古だけではない。辺野古を訪ねるため、筆者は名護市市街にあった民宿に泊まった。一泊2500円という安さである。それ以外に、海岸沖のリゾートホテルにも一泊した。一泊1万円近かったが、眺めが最高である。まるで、ここが日本であるかということを忘れさせるようなリゾートビーチの光景であった。10月であったが泳ぎをどっぷり楽しめた。透き通っているだけでなく、暖かく、そして、適度に体が波打たれ、まるでジュゴンになったような気分であった。
   
 その他、名護市には嵐山展望台という島に挟まれた海岸を一望できるスポットがあり、また、ゴーヤパークでは沖縄産のゴーヤの栽培がされている光景が見られた。その他、水族館などもある。沖縄を観光するなら、やはりレンタカーだ。筆者は3日間ほど使用したが料金は1万円足らずであった。島中をドライブできる。途中途中、海岸近くで一休みでき、目が奪われるほどの美しく透き通った海が心をなごませてくれた。

 筆者は、将来、もしかしたら沖縄に移住するかも、と考えたほどだ。東京のような娯楽はないが、この美しい海を眺めるだけでも毎日退屈せず過ごせるのではないかと思ったほどだ。
 
 名護市に宿を取りながら、名護市と名護市以外の沖縄の観光スポットを訪ねる旅で、何とか地元の人々を、ほんの少しでも安心させられればと思う。
 
 しかし、それよりも一国民としてすべきことは、政府にアメリカと真っ正面に向き合い、沖縄から基地を撤去して、基地がなくても経済が回るシステムを沖縄県内に構築することを提唱することだ。
 
 現在の米軍基地は、その駐留費の大半を日本国民の税金から拠出している。ならば同額で沖縄の経済の再興ができるはずだし、基地に頼って生きている人々が失業するなら、それを直接支援に当てればいい。そもそも基地があるからこそ基地に頼る経済構造ができたようなもの。鶏と卵の関係だ。基地がなくなれば交通の便もよくなるというから、それだけでも経済の再建への大きな道筋となる。
 
 米軍基地は冷戦の終わりと米中が相互依存関係になっている現在、抑止力にもならない無用の長物であることは歴然とした事実だ。沖縄に限らず本土内の基地も、これ以上の主権弱体化を防ぐために撤去を急ぐべきだ。代わりに自衛隊を強化すればいい。
 
 米軍基地問題では、いつも基地周辺地域の経済問題がリンクされるが、自国に他国軍の基地があること自体、異常なことだという認識が国民全体に共有されれば、基地問題に関する決定を地元民に委ねるような事態にはならないのだ。本来は国が毅然とした態度で決めることだったのだ。
 
 だからこそ、この名護市長選の結果を契機に、米軍基地などなくても、沖縄は自立してやっていける。基地以外にも雇用を確保できるということを証明すればいいのだ。そして、国民を挙げて、その方針を支持するという意味で、できるだけ多くの国民が沖縄の名護市を訪ね、一時的にも名護市民の経済に関する不安を取り除くべきではないかと思う。単なる旅以外に、修学旅行、新婚旅行など口実は数多くある。それにより、辺野古の海を守る活動をさらに盛り上げ、最終的には政府決定として辺野古基地建設案を撤回させるまでに持ち込むのだ。
 

◇ 海形マサシのブログ
 http://masagata.exblog.jp/
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番組紹介 {ゼロ戦の栄光と悲劇}

2010年01月26日 10時26分00秒 | Weblog
旧日本海軍航空隊の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)ほど有名な戦闘機はありません。
プラモデルやマンガなどで数え切れないほど取り上げられてきました。
 
 ゼロ戦は、当時の戦闘機としては驚くほど長距離を飛行することができました。
旋回性能は抜群でした。登場当時は世界最強の戦闘機でした。デビュー戦である
中国戦線では、倍以上の数の中国空軍の戦闘機部隊をあっという間に撃墜し、壊
滅させました。太平洋戦争初期は長距離性能を活かして太平洋・東南アジアを所
狭しと暴れ回り、アメリカ・イギリスの戦闘機と激しく戦いました。
  
 しかしゼロ戦は、1万メートルの高々度飛行や急降下ができない、パイロット
を守る防弾設備がない、燃料タンクに弾が当たると簡単に火を吹いて墜落する、
という欠陥があることが早くから指摘されていました。そして、米英がゼロ戦を
上回る戦闘機を開発し戦場に送り込むと、守勢は逆転。ゼロ戦は次々に撃墜され、
多くのパイロットが戦死しました。それでもゼロ戦は敗戦の日まで日本海軍航空
隊の主力戦闘機として活躍し続けました。工業力や技術力の劣る日本は、ゼロ戦
を上回る戦闘機を開発することが出来なかったからです。 

 ゼロ戦のパイロットたちの証言を通して、この戦闘機の栄光と悲劇を描く番組
がNHKBSで放送されます。
 
 NHKBS hi
 
 ハイビジョン特集「零戦~栄光と悲劇の航跡~」
 http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=501&date=2010-01-30&ch=10&eid=33317
 
放送日 1月30日(土)
放送時間午後2:30~午後4:00

坂井貴司
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ラジオ放送の誕生について   落石

2010年01月26日 10時07分18秒 | Weblog
文科系さんから放送の免許などについて投稿を、
というお話しがありました。
どこまでご期待にそえるかは分かりませんが、
これまでに勉強したところを書いてみます。

「ラジオ放送の誕生」

いまではテレビが放送の中核ですが、最初はラジオでした。
世界でラジオ放送が始まったのは、1920年代。

まず、アメリカで、1920年に、放送がスタート。
広告が経営を支える方式。無料です。
フランス・ドイツ・イギリス・ソビエトなどでも
21年から22年には放送が始まっています。
ヨーロッパでは、国家の管理のもとに放送がスタートしているのが
アメリカとの大きな違いです。受信料が経営の基盤です。


ラジオ放送は、第一次世界大戦で有用性が実証された
無線の技術が社会で実用化されていったものです。
新聞・雑誌といった活字メデイア、また、映画といった映像メデイアとともに、
娯楽、情報のメデイアとして世の中に受け入れられていきます。

第一次世界大戦から第二次世界大戦までの四半世紀が、
ラジオの時代というになります。

ラジオが普及していく前は?どんな状況だったのでしょうか。
無線は一対一のツールとして発明されました。
空間を飛び越える夢のツール。

1900年代のアメリカは、アマチュア無線の時代でした。
若者の間で無線ラジオがブームになり、無線局は1913年には300局。 
3年後の1916年には、10000局と爆発的に増加しています。
若者たちは、知らない人や遠くの人と交信。
そのなかからネットワークが生まれます。
この状況は、初期のインターネットと同じです。

なかには音楽を流すミニ放送局も登場、人気を集めました。
ラジオ・クラブが各地に出来、マニア本や雑誌も出版され、
これが新しいラジオの時代を準備したことになります。
原則は相互交信です。 

世界最初の商業放送ラジオを創立したのは、
電気機器メーカー(ウェスティング・ハウス社)でした。
KDKA局。
今日でいう放送を開始したのです。
放送内容は、音楽、大統領選挙速報、スポーツ中継、ニュースなど。
定時放送で、生活スタイルにあわせた番組編成が行われました。 
電気製品の商品販売を目的した放送で、
いわば広告放送、無料です。

ハウス社は、これまでの相互に通信可能な方式を、
一方を送信専用、一方を受信専用にしました。
受信専用にしたことで、ラジオ受信機は
大衆が手にすることが出来る価格になったのです。

こうして広告を収入源とし、大衆を相手にした放送、
ビジネスとしてのラジオ放送が始まったのです。

放送が普及していく背景として、国民国家の形成、
大衆社会の成立がありました。
一つの中心から多数の人々に一挙に情報を伝達するメデイアは
時代の要請でもあったのです。

20世紀には3つの社会体制があり、
それぞれに対応した形で放送は成長していきました。

アメリカでは、ビジネスのための放送。
免許は、基本的に電波の交通整理のためのもの。混信を防ぐため。

ヨーロッパでは、国家の目的達成のため。
電波は国家のもの、とされました。
ちょっと変わっているのが、イギリス。
1922年に、BBCが放送を開始していますが、
26年には、国王の特許状を受けるという形をとっています。
経営は受信料です。

日本は、戦前はNHKのみで、電波は国家のもの。
戦後は、民主主義の観点からNHKと民放の並存体制。
法律は放送法などがありますが、ほとんどはNHKのことが書いてあります。


     (いつかは分かりませんが、)つづく




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