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随筆 不整脈ランナーの手記(18) 楽に走れる! 文科系

2010年05月20日 18時17分04秒 | 文芸作品
 心臓カテーテル手術を経てジム・ランニング再開後は、4/25、5/2、5/5、5/17、5/18、5/20と走ってきた。以下それぞれ、時間と距離、最高持続速度とその心拍数の順に書いてみる。なお、この時間・距離の記録の中には、ウオームアップとクールダウンの「ゆっくり歩行」の分も含まれている。
   
4/25  50分で6キロ 8キロ時で心拍は135ほど。
5/2  53分で6・5キロ 8・5キロ時で145ほど。
5/5  60分で7・4キロ 9キロ時で150ほど
5/17  初めから全くの期外収縮・頻脈で、ほぼ歩いただけ。50分で4・5キロ。それでもちょっと走ると心拍160にもなった。間を置きすぎていけなかったか、それともウオームアップが足りなかったのか。
5/18 60分で8キロ 9キロ時で140ちょっと。
5/20 65分で8・5キロ 9キロ時で最高150ほど。 
 こうして5月18、20日のランで初めて、以前と同じ調子や自信のようなものが生まれてきたように思う。17日みたいなこともあったけれど、ウオームアップをちゃんとやればちゃんと走れるし、前進もしているのだ、と。これだけ走っても、ほとんど疲れも残らないし。今日ももっと走れたと思うが、自重した。
 こんなわけでここ2~3日、半年ぶりほどの晴れ晴れとした良い気分。自分の人生が終わったというような手術前の心境を思い出しながら、今日も帰宅してきたもの。明後日もまた行こうと思うが、無理をしなくてもまた進歩していくだろうと、そんな期待も生まれている。つくづく思う。病気は大事にするだけが対処法ではない。適当に「迎え撃つこと」も必要なのだ。そのやり方には、十分な吟味が必要なのだろうが。

 なお、5日から17日までのブランクは、春の庭仕事を初めてというくらいに熱を入れてやったことによる。この間もそれなりの運動はしていたのである。次の日曜日に「ギター遊びの会」があるので、それが家をきれいにする動機を与えてくれたということだろう。それにしても、走れる希望が湧いてこなかったとしたら、こんな大きい仕事をする気にはならなかったと思うのだ。
 またなお、この会については、ここに随筆を何度も書いてきた。たとえば、08年5月5日「初老3人、ギター遊びの会」が第1回目。他にも、09年5月24日とか9月26日とかで報告をご覧いただける。ブログ右欄外下方の年月を指定すると、欄外上の方にあるカレンダーがその月のものに替わる。そこで、そのなかのご希望の日にちをクリックしていただけばよい。その日のエントリーに、すべて画面が入れ替わるはずだ。
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桑田真澄の野球界批判論文と、サッカー放映の拙さと  文科系

2010年05月20日 12時34分59秒 | スポーツ
  
 本日の朝日新聞を見ていたらおもしろいスポーツ記事が二つあった。前者は「巨人軍関係者にもこんな人がいるもんだ」と感心し、後者は現代日本テレビ界の「スポーツ放映技術」への批判を学んだ次第。いずれも、野球界の「盟主」にして、テレビスポーツ放映界にも強い影響力を持つ読売巨人軍にも責任のあるところと言えないか。読売は、サッカー界にケチ付け続けている暇があるのかね?!!

 前者は、編集委員の西村欣也が桑田真澄の早大大学院卒業論文を紹介したもので、記事の見出しはこう。『絶対服従からリスペクトへ』。
 桑田は「学生野球の父」と言われる飛田穂州の「野球道」を批判して、『「スポーツマンシップ」を中核に置き、「絶対服従」の代わりに「指導者と選手のリスペクト(尊敬)」を据えるべきだと説く』のだそうだ。リスペクトって、サッカー界でこそずーっとよく使われてきた用語だなと、これが第1にまず、好印象!
 論文紹介の中に興味深いエピソードや数字がいっぱいあった。あげてみよう。
『桑田自身、「小学生の時からグランドに行って殴られない日はなかった」と述懐する。PL学園時代も同級生で1年生から4番に座った清原和博はホームランを打つたびに、「また先輩にしばかれる」と泣きながら塁を回ったというエピソードも紹介されている』
『この論文を書くに当たって、桑田は現役プロ野球選手270人からアンケートをとっている。「指導者から体罰を受けたことがある」は中学で45%、高校で46%。「先輩から体罰を受けたことがある」は中学36%、高校51%。かなりの高率だが、さらに驚くのは体罰について「必要である」、「時には必要である」を合わせると中学でも高校でも83%の選手が体罰を容認しているのだ』
 読売巨人軍関係者も、サッカー批判してる暇なんかないぞ。こんな「非リスペクト体質」という事実があって、桑田などがこれを世に広めれば、野球の後継者がいなくなるんんじゃないか。これでは相撲の「かわいがり」も笑えないと、西村氏はそんなような比較もしていた。

 二つ目の記事はスポーツ欄にあった「21世紀のサムライ論 第3部 サッカーを掘る 日本が見える」。編集部が、TBSスポーツ局チーフプロデューサー・名鏡康夫や東大大学院・メディア論の水越伸らにインタビューした話が中心だった。
 初めに、視聴率がとれないとその放映権料高騰や広告収入減のゆえにサッカーから撤退させられそうだと、次いで「ファンでない人の関心を引きつけたい」など、名鏡の言葉を紹介する。その上で、編集部はこんな自問を投げかける。
『視聴率低迷はサッカー人気が落ちたからだと言われる。本当にそうなのか。視聴率を調べるビデオリサーチ社に尋ねると、視聴率はあくまで広告効果を推測する数値で、番組内容の価値を示すものではないという』
 当然そうだろう。若者が好む「お笑い主義番組」が、必ずしも価値が高いというわけではない。そもそも、テレビが価値の高さを番組編成方針にしているなどとは、僕にはとうてい思えない。さてその上で記者たちは、現在のサッカー関係者諸数字を示した上で、こう述べている。
『サッカー人気そのものは低落しているようには見えない』  
 次に水越のこんな見解が続く。
『(水越に聞くと)「視聴率と人気を直接結びつけるのは街頭テレビ時代の発想」と語った。今はコンテンツが多様化し、専門局やインターネットなど情報を得る選択肢も格段に増えた。水越はテレビ番組を作る様式を「鋳型」と呼ぶ。「日本ではサッカーの鋳型がまだできていない。野球の鋳型はあるが、それを代用してもサッカーの魅力は伝わらない」。4年前、名鏡がドイツで日本ーマルタ戦を地元スタッフを使って中継した時、感心したのは選手の特長を見事にとらえ、肝心の場面をしっかり放映するカメラワークだった。視聴率を稼ぐ小技ではない』

 野球界はその本体の体質改善をサッカーから学ぶ必要があるらしいし、サッカーについては、テレビ放映技術の抜本的改善が必要なようだ。面白かったなー!! 読売も、胸に手を当てて考えるがよい。
 なお、この5月24日に行われる日韓練習マッチの前売り入場券が完売したというニュースが、今入った。当日券はなしなのだそうだ。世界戦が多いサッカーは、前途洋々だと思うね。その相手も多分野球の10倍ほどあるのではないか。我が国だけの「観るスポーツお山の大将」読売は、「世界基準スポーツ理念」をもう少し考えることだ。さしあたって、他のチームをももう少しリスペクトしなきゃ。
(以上、敬称略)
コメント (1)
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