昨日予告した「ギター遊びの会」の報告に代えて、一昨年秋のその「番外編」を再掲します。こういうのは、いくらでも世に広めたいので。ここに掲載した僕の拙稿・随筆と、それへのコメント、参加者の方々の感想メール報告などを、このブログにあったままの姿で載せますね。
随筆 「新しい友の話」 文科系
2008年12月19日 | 小説・随筆・詩歌など 随筆 「新しい友の話」
出会って一年弱、できたてほやほやの親友二人とのあるエピソードを話そう。他人は「ただ、マニアック仲間というだけ」と評するかも知れない。が、僕ら三人にとっては、到底そんな話ではないのだと前置きしておいて。
初冬の飛騨路。あらかたの落葉樹は丸坊主に近く、かろうじて残っている葉もつまんだ端からくしゃっとなりそうな季節。そんな山々をぬって、Nさん提供兼運転の車は、下呂駅に近いリゾートホテルに着いた。まずは温泉。その露天風呂もそこそこに部屋に戻って、Nさんと僕は持参のギターを交互に弾き始める。ギター持参のないAさんは、ほほえみながら二人の音を聴いている。そんな時間がかなり長く続いたあとにふっとAさんがこう申し出た。こんなありふれた言葉なのに、僕は、一瞬で我が身が固くなったのを感じた。
「Nさん。ギターちょっと貸して。僕も弾いてみるわ」
弾きだしたのは、何の変哲もないアルペジオ、分散和音である。単純な基礎練習というだけではなく、ことさらなようにゆっくりしたテンポだ。ぎこちない弾き方とさえ言えるが、これはとにかくAさんのような二十年選手が人に聴かせるような曲でも、感じでもない。あとの二人がまた、この単純なアルペジオを神妙に聴いている。時には、二人交互に演奏者の方に身を乗り出すようにまでして。
この二人、あるギター教室の四捨五入すれば七十歳になる同門生で、Nさんとは同じ歳、Aさんは一つ上。この早春に発表会の打ち上げ会で知り合ってから、お付き合いが続いてきた方々である。そしてその「事件」は、打ち上げ会の十二日あとに我が家に三人が集まった「ギター遊び兼飲み会」以降しばらくして起こった。Aさんが教室を辞めてしまったのである。この事件の微妙さを部外の方々に分かってもらうのはとても難しいのだが、とにかくやってみよう。
まず、Aさんが教室の先生に不満を持ち、抗議したらしい。「『アルハンブラ宮殿の思い出』で、必要な指摘をしてくれなかった」と。どうも、僕たち二人の批評がうすうす自覚し始めていた欠点と一致して、『先生が、この年寄りとしてはこんなもんだろうとだけ扱ってきた』と思い至ったようなのだ。ぼくらの関係もナーバスなものになってくる。特に、僕の古いアルペジオ楽譜二枚にショックを受けたとしきりに語られる。定年後先生につく以前、一人習いの昔から、ちっとも上手くならないのでいつも基礎に帰って弾き込んできてぼろぼろになった二枚であって、僕の常用練習ファイルの冒頭に張られたものだ。これのことも含めて、おおむねこんな思いを彼は語っていたかと思う。
〈習って二十年。アルハンブラをなんとか完成させようと、これだけでも三年。本当に三年!! ちっとも完成していかなかったのはタッチがいい加減だったからだ。練習時間と熱意とでは誰にも負けぬと自負してきたが、それもどうもあやしい。俺のこのギター、これから一体どうしたら良いのだ!〉
以降の彼はギターのことを僕とは話したくないようだった。今分かるのだが、僕が何気なく口に出した言葉が、ずいぶん彼を傷つけてもいたようだ。「一人で基礎練習をしているらしい」とは、Nさんから聞いたことである。なおまた、この旅行参加を土壇場近くになってきっぱりと決意したのも、NさんとミセスAとの合作らしい。彼女はこの決意を喜んで二人へのおみやげを用意し、前日にへそくりの一部をさりげなく手渡して、持ち金を増やしてくれたとのことだった。Aさんはそんなことまでを話してくれたのである。
訥々とはしているが、見違えるようにしっかりとしたタッチと思った。僕はなにか目頭が熱くなった。Nさんが激賞しているのが聞こえる。僕も言葉に注意しつつ何かを言ったと思う。この前後、彼自身の心境はどうだったか。帰宅翌日のメールにこうあった。
「正直言ってお二人の前でギターを弾いた時は、清水の舞台から・・・の心境。緊張感を凌駕した恐怖感。結果、弾き終わって『汗びっしょり』でした。お二人に対する敬意のつもりで弾きました」
潔いというかなんというか、竹を割ったように見事な人格にうめいてしまった。そして、ギター生活を育んできたその思いの根深さが、僕をも掻き立てたようだった。
「俺もその思いなら負けんぞ。ぼけても弾き続けてやる」
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5 コメント
コメント日が 古い順 | 新しい順
趣味は生き甲斐! (のぶりん)
2008-12-19 03:50:13
文科系さんと初冬飛騨路を旅したNさんは私。一生想い出に残る楽しい有意義な貴重な経験をした、でも初めて読まれる方には分かりにくいかも……。
ギター歴もギターに対する考え方も違う文科系さんとAさん、溢れる情熱は半端じゃない! これが生き甲斐となり、何時までも若々しさを保たれている秘訣だと納得した。
知り合って一年も経たないこの三人、微妙な関係の時もあったがそれを乗り越え今では真の友人になりつつある。
人間の絆って、付き合いの長さには比例しないことを今回は痛感させられた。
柔らかな感性を (まもる)
2008-12-19 09:45:48
文科系さんの随筆と当事者であるNさんの投稿を読み何十年かぶりに「友情」というものを考えさせられました。
広く取れば友情というよりNさんの言われる「人間の絆」というべきかもしれませんが。
老人になるにつれて、何かにつけて頑なになりがちで、絆の煩わしさが先にたちやすく、敬意とか真の友などというのには縁遠くなっていたで、羨ましく拝読しました。
同好の趣味の中でそこまで深い絆ができるのですね。私も市民運動に参加し嫌でも人間関係の中に置かれているですが、仲間から信頼とか敬意とか向上心とかを受け止める柔らかで素直な感性を失いたくないなあと感じた次第です。
残り少ない人生ですものね。
3人にエールを送ります (ワイス17)
2008-12-19 17:35:59
良い旅のようで良かったですね。3人のおじさんがほろ酔い加減でギターを弾いているなんて想像すると なんかとても微笑ましくなります。
お互いに得ることも多く それぞれが一つ二つ宿題を見つけて 又コツコツと練習を重ね 次に合った時お互いの上達を喜び合える。なんて素晴らしいことでしょう。この会がいつまでも続きますように!
ご応答、ありがとう (文科系)
2008-12-21 01:09:43
短い文、随筆などのできは材料、モチーフしだい。今回は正直言って、材料がよかった。これをうまく書けなければ、もう腕がないということ。この作品は、同人誌例会にも出しますが、良い批評がいただけると確信しています。
さて、初めにのぶりんさん
作品内容の当事者からこのような批評がいただけることは、文章に大きな彩を与えてくださること。嬉しかったです。
なお、「分かりにくい」ということは僭越ながら、心配ご無用。Aさんの真摯さ、心理状態、二人との関係、これだけ伝われば残りはディテールです。
まもるさん
言外にきつい事を僕に言われているような気がしました。気のせいかしら? でも、僕の「そこ」は変わりません。「文化が手段になっているような世界」はノーサンキュウということで。あなたでもそういう「認識」はあるでしょう? 違います?
ワイスさん
この会は、続きます。文化はそれを求めているものにとっては「絶対善」ですから、プラスばかり。つまり「人間の絆になるばかり」。まず誰でも、あなたのように「感じが良い」と評してくれますから。
これ以降のこと (文科系)
2008-12-24 23:17:00
16日以降、お二人との間に何度メールのやりとりがあったろう。各5往復というくらいじゃ到底済まない。試みに数えてみた。
Aさんと14往復、Nさんと10往復だ。随筆への質疑応答、批評、ギターの質疑応答などである。
驚いた。
随筆 「新しい友の話」 文科系
2008年12月19日 | 小説・随筆・詩歌など 随筆 「新しい友の話」
出会って一年弱、できたてほやほやの親友二人とのあるエピソードを話そう。他人は「ただ、マニアック仲間というだけ」と評するかも知れない。が、僕ら三人にとっては、到底そんな話ではないのだと前置きしておいて。
初冬の飛騨路。あらかたの落葉樹は丸坊主に近く、かろうじて残っている葉もつまんだ端からくしゃっとなりそうな季節。そんな山々をぬって、Nさん提供兼運転の車は、下呂駅に近いリゾートホテルに着いた。まずは温泉。その露天風呂もそこそこに部屋に戻って、Nさんと僕は持参のギターを交互に弾き始める。ギター持参のないAさんは、ほほえみながら二人の音を聴いている。そんな時間がかなり長く続いたあとにふっとAさんがこう申し出た。こんなありふれた言葉なのに、僕は、一瞬で我が身が固くなったのを感じた。
「Nさん。ギターちょっと貸して。僕も弾いてみるわ」
弾きだしたのは、何の変哲もないアルペジオ、分散和音である。単純な基礎練習というだけではなく、ことさらなようにゆっくりしたテンポだ。ぎこちない弾き方とさえ言えるが、これはとにかくAさんのような二十年選手が人に聴かせるような曲でも、感じでもない。あとの二人がまた、この単純なアルペジオを神妙に聴いている。時には、二人交互に演奏者の方に身を乗り出すようにまでして。
この二人、あるギター教室の四捨五入すれば七十歳になる同門生で、Nさんとは同じ歳、Aさんは一つ上。この早春に発表会の打ち上げ会で知り合ってから、お付き合いが続いてきた方々である。そしてその「事件」は、打ち上げ会の十二日あとに我が家に三人が集まった「ギター遊び兼飲み会」以降しばらくして起こった。Aさんが教室を辞めてしまったのである。この事件の微妙さを部外の方々に分かってもらうのはとても難しいのだが、とにかくやってみよう。
まず、Aさんが教室の先生に不満を持ち、抗議したらしい。「『アルハンブラ宮殿の思い出』で、必要な指摘をしてくれなかった」と。どうも、僕たち二人の批評がうすうす自覚し始めていた欠点と一致して、『先生が、この年寄りとしてはこんなもんだろうとだけ扱ってきた』と思い至ったようなのだ。ぼくらの関係もナーバスなものになってくる。特に、僕の古いアルペジオ楽譜二枚にショックを受けたとしきりに語られる。定年後先生につく以前、一人習いの昔から、ちっとも上手くならないのでいつも基礎に帰って弾き込んできてぼろぼろになった二枚であって、僕の常用練習ファイルの冒頭に張られたものだ。これのことも含めて、おおむねこんな思いを彼は語っていたかと思う。
〈習って二十年。アルハンブラをなんとか完成させようと、これだけでも三年。本当に三年!! ちっとも完成していかなかったのはタッチがいい加減だったからだ。練習時間と熱意とでは誰にも負けぬと自負してきたが、それもどうもあやしい。俺のこのギター、これから一体どうしたら良いのだ!〉
以降の彼はギターのことを僕とは話したくないようだった。今分かるのだが、僕が何気なく口に出した言葉が、ずいぶん彼を傷つけてもいたようだ。「一人で基礎練習をしているらしい」とは、Nさんから聞いたことである。なおまた、この旅行参加を土壇場近くになってきっぱりと決意したのも、NさんとミセスAとの合作らしい。彼女はこの決意を喜んで二人へのおみやげを用意し、前日にへそくりの一部をさりげなく手渡して、持ち金を増やしてくれたとのことだった。Aさんはそんなことまでを話してくれたのである。
訥々とはしているが、見違えるようにしっかりとしたタッチと思った。僕はなにか目頭が熱くなった。Nさんが激賞しているのが聞こえる。僕も言葉に注意しつつ何かを言ったと思う。この前後、彼自身の心境はどうだったか。帰宅翌日のメールにこうあった。
「正直言ってお二人の前でギターを弾いた時は、清水の舞台から・・・の心境。緊張感を凌駕した恐怖感。結果、弾き終わって『汗びっしょり』でした。お二人に対する敬意のつもりで弾きました」
潔いというかなんというか、竹を割ったように見事な人格にうめいてしまった。そして、ギター生活を育んできたその思いの根深さが、僕をも掻き立てたようだった。
「俺もその思いなら負けんぞ。ぼけても弾き続けてやる」
コメント (5) | トラックバック (0) | | | goo
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コメント日が 古い順 | 新しい順
趣味は生き甲斐! (のぶりん)
2008-12-19 03:50:13
文科系さんと初冬飛騨路を旅したNさんは私。一生想い出に残る楽しい有意義な貴重な経験をした、でも初めて読まれる方には分かりにくいかも……。
ギター歴もギターに対する考え方も違う文科系さんとAさん、溢れる情熱は半端じゃない! これが生き甲斐となり、何時までも若々しさを保たれている秘訣だと納得した。
知り合って一年も経たないこの三人、微妙な関係の時もあったがそれを乗り越え今では真の友人になりつつある。
人間の絆って、付き合いの長さには比例しないことを今回は痛感させられた。
柔らかな感性を (まもる)
2008-12-19 09:45:48
文科系さんの随筆と当事者であるNさんの投稿を読み何十年かぶりに「友情」というものを考えさせられました。
広く取れば友情というよりNさんの言われる「人間の絆」というべきかもしれませんが。
老人になるにつれて、何かにつけて頑なになりがちで、絆の煩わしさが先にたちやすく、敬意とか真の友などというのには縁遠くなっていたで、羨ましく拝読しました。
同好の趣味の中でそこまで深い絆ができるのですね。私も市民運動に参加し嫌でも人間関係の中に置かれているですが、仲間から信頼とか敬意とか向上心とかを受け止める柔らかで素直な感性を失いたくないなあと感じた次第です。
残り少ない人生ですものね。
3人にエールを送ります (ワイス17)
2008-12-19 17:35:59
良い旅のようで良かったですね。3人のおじさんがほろ酔い加減でギターを弾いているなんて想像すると なんかとても微笑ましくなります。
お互いに得ることも多く それぞれが一つ二つ宿題を見つけて 又コツコツと練習を重ね 次に合った時お互いの上達を喜び合える。なんて素晴らしいことでしょう。この会がいつまでも続きますように!
ご応答、ありがとう (文科系)
2008-12-21 01:09:43
短い文、随筆などのできは材料、モチーフしだい。今回は正直言って、材料がよかった。これをうまく書けなければ、もう腕がないということ。この作品は、同人誌例会にも出しますが、良い批評がいただけると確信しています。
さて、初めにのぶりんさん
作品内容の当事者からこのような批評がいただけることは、文章に大きな彩を与えてくださること。嬉しかったです。
なお、「分かりにくい」ということは僭越ながら、心配ご無用。Aさんの真摯さ、心理状態、二人との関係、これだけ伝われば残りはディテールです。
まもるさん
言外にきつい事を僕に言われているような気がしました。気のせいかしら? でも、僕の「そこ」は変わりません。「文化が手段になっているような世界」はノーサンキュウということで。あなたでもそういう「認識」はあるでしょう? 違います?
ワイスさん
この会は、続きます。文化はそれを求めているものにとっては「絶対善」ですから、プラスばかり。つまり「人間の絆になるばかり」。まず誰でも、あなたのように「感じが良い」と評してくれますから。
これ以降のこと (文科系)
2008-12-24 23:17:00
16日以降、お二人との間に何度メールのやりとりがあったろう。各5往復というくらいじゃ到底済まない。試みに数えてみた。
Aさんと14往復、Nさんと10往復だ。随筆への質疑応答、批評、ギターの質疑応答などである。
驚いた。