九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

中国と日本と、どちらの食品があぶない? 落石

2008年10月20日 09時33分47秒 | Weblog
日本では中国の食品の安全性に危機感があふれています。
毒入りのギョウーザ、メラミンの入った粉ミルクで多くの被害が出たことなど、
心配は当然です。

しかしニッポンの食品は安全なのか?
ちょっと古いですが、こんなデータがあります。
アメリカが2006年から7年にかけての1年間、
輸入を拒否した食品件数のリストです。
件数は量が多ければ、大きくなりますから、割合にした順位です。

1番はドミニカ。
2番がインド。
3位デンマーク。そして4位が日本。
5位ベトナム。
6位が中国です。

日本の拒否された食品は魚介類が多く、
理由は製造環境が整備されていない、というものです。

これは南山大学の経済の先生の話。
データの出所は、週刊現代(ニューヨーク・タイムス)だそうです。
BSEなどの報道は大量に流されましたが、
こんなニュースはなかったようです。

日本の食品会社が東南アジアに進出。
日本の安全基準にしたがって作った食品は、
EUやアメリカへは輸出できないそうです。
基準が厳しいのです。
地元の企業は、厳格に審査したものをEUとアメリカへ輸出、
それ以外を日本に輸出しているというのが実態だとか。

この記事は日経新聞のもの。
経営者や社員は既知の事実なんですね。
しかし消費者の読む新聞には、あまり載っていないようです。
私も読んだ記憶がありません。

本当なら、報道の公平さが問われる話ですね。
日本の基準など報道しても、視聴率が取れないのかも知れませんが・・・

その先生の別のお話し。
食料の自給率は低いほど安全というもの。
え??ですよね。
NHKは食料自給率を高める報道しかしないので、
専門家もそういう学説の人しか使わないそうです。
安心していいんでしょうかね?





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大正生まれの歌   中野寂音

2008年10月20日 09時08分15秒 | Weblog
                       
大正生まれの昭和育ちと自己紹介する私は、
昭和生まれてとは少し違うそんな気持ちが心の中にあるようだ。
昭和十八年徴兵年齢が十九歳に引き下げられ、大正十五年生まれまでが
徴兵検査を受けた。これが日本陸軍最後の兵隊であった。
 私達が受けた教育はすべて大正時代そのままであった。
学校も職場に入って仕事も、そして人生の先輩達も揃って、
大正デモクラシーを身につけていた。
大正の時代が私にどんな影響があったのか、
いままであまり感じることはなかった。

 二〇〇四年三月朝日新聞「ポリテカにっぽん」で、
論説委員早野透さんが、山中貞則代議士の死を悼んで
「山中氏の死と大正生まれの歌」が紹介された。
自分で歌ったことはなかったが、どこかで聞いた歌だと思った。
自分が大正生まれであることを強く感じた。

 その後調べるとSPレコードが二枚発売され、
西村晃の歌をテレビで聴いたことがあった。
インターネツトの時代で、原作者も大正十四年生まれと知り、
ネットでこのレコードも聴くことができた。
 一番二番に続いて自分で作る大正の生まれの歌。
女性編も、昭和生まれの歌も作られている。
自分の大正生まれの歌に挑戦してみた。

 大正生まれの歌(小林朗作詞)

一番 大正生まれの俺たちは/明治の親父に育てられ/
忠君愛国そのままに/お国のために働いて/
みんなのために死んでいきゃ/日本男子の本懐と/
覚悟は決めていた/なあお前

 二番 大正生まれの青春は/すべて戦争(いくさ)のただなかで/
戦いごとの先兵は/みな大正の俺たちだ/終戦迎えたその時は/
西に東に駆けまわり/苦しかったぞ/なあお前
 
 大正生まれの歌(自作)

大正生まれのこの俺は/徴兵検査は満十九/第一乙に合格して/
その年師走の一日に/伊勢斉宮に入営した。
大正生まれのこの俺は/兵隊暮らしは地震、空襲、空腹で/
栄養失調三月入室/一期の検閲入室中/三月部隊は中国出征だ。  

大正生まれのこの俺は/釜山から南京まで/貨車に詰められ十日間/
着いたところは南京の通信隊/行進中に気絶して入室した。
大正生まれのこの俺は/入室中に幹候合格/中隊でたったひとりの幹候で/
毎日下士官室で勉強する/七月教育隊の石家荘へ出発する。

大正生まれのこの俺は/北京行きの汽車のなか/
マラリヤ発熱一等へもぐり込む/北京に着いたら熱下がり/
無事に部隊に到着した。
大正生まれのこの俺は/着いたその日に三度目入室/
八月十五日は病院で検診中/戦争は終わったらしいと知らされる/
家を出てから一年でやっと我が家にたどりつく。/なあお前

     
    
 
(今回で、中野寂音さんのエッセイを終ります。読んでくださった方、ありがとうございます。
また快く掲載を承諾して下さった中野さんに改めて感謝です。 
なにもお礼できませんが、ありがとうございました。 落石) 

            
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バブルはなぜ住宅や土地と関係が深いのか?  落石

2008年10月19日 19時45分23秒 | Weblog
朝鮮日報を読んでいたら、ドイツと日本は、
今回、あまりバブルの影響をうけていないという。
その理由について、次のように述べています。

  

ドイツと日本は共通点が多い。世界大戦を引き起こして敗れ、
戦後廃虚の中から立ち上がり、製造業を中心とした高度成長によって
短期間で先進国の仲間入りを果たした点がまず挙げられる。
また、質素で勤勉な国民性でも有名だ。
だが、米国に端を発する住宅価格の下落や金融危機が世界経済を揺るがす中、
経済学者たちが注目するもう一つの共通点がある。
それは住宅市場におけるバブル状態がまったくないということだ。
この10年、世界の多くの国々で住宅価格が急騰したが、
ドイツと日本だけはほとんど上がらなかった。
日本の住宅価格は1990年代初めのバブル崩壊以降、下落傾向が続き、
崩壊前の半分程度となっている。
また、ドイツでは地方はもとより首都ベルリンでも、
住宅価格が10年前と変わっていない。



 ドイツや日本の住宅価格がバブル状態にならない秘訣(ひけつ)は
何なのだろうか。
過去にほかのどの国よりもバブル景気に沸いた経験があるためだ。
日本では80年代、「不動産価格は常に右肩上がりに推移する」という
「不動産神話」が語られ、「狂気」ともいえる投機ブームに沸いた。
また、ドイツも90年代初め、同じような投機ブームに沸いた。
90年の東西ドイツ統一によって、旧東ドイツの住民たちの多くが
旧西ドイツへ移住し、住宅価格が急騰したのだ。

 ドイツでは公共賃貸住宅が発達し、持ち家率は40%台にとどまっていたが、
それでも住宅価格の急騰を抑えることはできなかった。
ドイツ政府は当時、住宅供給の拡大によって価格を安定させる目的で、
不動産投機に対して10年間税金を減免する制度を導入した。
富裕層はもとより、一般市民も「大もうけができる一生に一度の機会」と
とらえ、借金してまで不動産投機に精を出した。
これにより、年間25万戸ほどだった住宅の供給量は、
93年から99年には年間40万‐50万戸ほどにまで急増した。
ところが、統一の「後遺症」である景気の低迷が長期化したことで、
住宅価格は急落した。
一獲千金を狙った投資家たちを待ち受けていたのは「破産」だった。


 その結果、「急騰した住宅価格は必ず暴落する」という生々しい教訓を
残すことになり、ドイツの企業や国民が外国人による投資熱に
浮かされることはなく、そのため住宅価格はほとんど上がらなかった。

   

人間は失敗から学ぶわけですが、アメリカでもヨーロッパでも
バブルはあったのに、今回はダメでした。

日本でも土地神話があって、これがバブルをバブルと思わせない
心理を支えていたのを思い出します。
なぜ、バブルは住宅や土地への投資というカタチをとる時に、
悲惨な結果になるのでしょうね?





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新自由主義経済への反省はどこまで?  文科系

2008年10月18日 14時55分23秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
この投稿は昨17日のコメントを格上げしたものです。この情勢の下では、非常に重要なことと思いますので。


アクセス1千万をとっくに超えた人気ブログ「世に倦む日日」は、当ブログの14日拙稿のように、「新自由主義は没落した」と語った。普通の銀行はともかく投資銀行は終焉したと語る人々は多い。
がしかし、本日の毎日新聞で、日本の「投資銀行」の雄・野村ホールディングス社長・渡部賢一はこう語る。

【 質問 投資銀行のビジネスモデルや米国型資本主義は終焉したと言われています?
 渡部 マスコミが言っているだけだ。この4、5年、世界中の過剰流動性(金余り状態)が進行したことで、行き過ぎが生じた。
 異常なレバレッジはなくなると思うが投資銀行業務そのものはなくならない。
 ヘッジファンドも一定部分以上はあだ花だったが、適正なヘッジファンドは残る。正常に戻る過程が始まるのであって、マルクス、レーニンの計画経済になることはない 】

これでは、今回の金融崩壊の反省があまりにも不十分だと思うのは、僕だけだろうか? 
そもそも「過剰流動性の行き過ぎ」を誰が判定し、誰が押さえるのか?
僕などは、格差社会や国家間格差を外っておけば、過剰流動性や、その行き過ぎやは必然と思うし、やがては、この行き過ぎの主人公たちがレバレッジ、デリバティブ、サブプライム組み込み証券のような「破綻が運命づけられた一時的な投資先、好景気」を創出するに決まっていると思うのだが。
マネーゲームだけがどんどん儲けて、傍らで貧乏国、貧乏人がどんどん増えるのでは、一体誰がものを買ってくれるの。マネーゲームで貯まった巨大なお金は、どこに投資できるの? 巨大なお金の投資場所がなくなったからこそ、「未来の商品」への投資(先物買い、デリバティブ)や、住宅バブルで貧乏人にまで借金消費をさせたりということやが、無理矢理創出されたのではなかったのか?!!

現に、「この一時的好景気はおかしい。アメリカなどの住宅バブルがいつまでも続くことを前提にして、家計も国家財政も借金消費生活を謳歌しているのだから。これは、あだ花だ。いつか日本の住宅バブルのように弾けるときが来る」と皆が言い始めていても、だれもレバレッジやサブプライム組み込み証券をもはや止められなかったではないか。

これだけの犠牲を世界に作った人々の一角、ノムラが、こんな反省しかないというのは、次の破綻が運命づけられているようなものではないか。今回の金融崩壊が20年後になんとか持ち直しても、それからまたぞろ次の大破綻が準備されていくとか。そしてまたぞろ、「国家は余分なことをするな。我々の自由にさせろ」と昨日まで言っていた連中が、国家に助けてもらわざるをえない事態を招くのだ。
国連やその機関は、こういう金融の主人公たちに牛耳られているかのように、何もできなかったのだし。一国政府でこれに棹さすようなことは、基本的にできないだろうし。


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幻の「石門小唄」    中野寂音

2008年10月18日 09時07分13秒 | Weblog

私は昭和十九年十二月から一年間軍隊にいた。
そのあいだに思い出す曲は「勘太郎月夜唄」の一曲であった。
戦後三十年後経った頃、戦友会で誰かが、石門劇場の演芸大会で
「石門小唄」があった。
たしか最後の舞台で、日本の着物姿で華やかな総踊りであった。
私達全員この時初めて聞く「石門小唄」である。
戦後三十年、思い出そうとしても歌詞はもちろん、
曲も思いだすことはできなかった。
石門とは当時の中華民国河北省の石家荘である。
現代の地図の表記は石家荘である。

昭和二十年八月この教育隊に到着したとき、この町は石門と呼ばれていた。
いつ石家荘から石門に地名が変更になったかは知らない。
確か日本軍が占領後、石家荘は赤化を連想するとして、
日本軍が地名を勝手に変更したと聞いている。
当時の日本は占領するとすぐ現地の地名入りの小唄を必ず作った。

南京小唄、北京小唄、南方の島のラバウル小唄はレコードになり流行歌となった。
八月から石家荘に三カ月暮らしたが、
この後一回もこの「石門小唄」を聞いてはいない。戦友たちも同じであった。頭の中に残っている幻の「石門小唄」であった。

戦後この部隊は戦友会事務局が出来て、戦友会名簿が送られてきた。
部隊到着の時終戦となり、この部隊の戦友会には一度も出席はしていない。
昭和二十年末中国から九州佐世保港に帰還。
復員列車に乗り三日がかりで東京に着いた。
その時同行した八名の戦友たちと戦友会を始めた。今年で五十八年目になる。

戦後五十年ぐらい経った頃、戦友会名簿の最初のページに
「部隊歌」と「石門小唄」の歌詞があるのに初めて気がついた。
一度も歌ったことはない部隊歌があることを知った。
部隊歌の二番に

 西に昆倫ヒマラヤを 北に長城をへいげいし
 歴史もゆかし石家荘 開きて培ふ翼もて
 集まる健児の意気高く 厳然立てり我が部隊

石門小唄

 かすむ鉄路に 春風吹いてよ 
 におうアカシヤ 柳も新芽
  一寸行きます 朝陽大路
  可愛いクーニャン 紅の靴
  石門よいとこ ほんに ほんに
  よ~いとな  よ~いとな  

私達は。この歌詞にはいくらか覚えがあったが、
メロデイはひとりも思い出すことはできなかった。
当時日本のどこにもある小唄と同じメロデイであったと思う。
石門の地名と共に永遠に消えてしまった「石門小唄」である。

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平和はつらいものだが、それに耐えねばならない  渡辺一夫

2008年10月17日 09時37分32秒 | Weblog
国家の家計は大赤字。経費節減と増税。これしか策はない。

国民にどうこの苦い薬を飲ませるのか?

小泉さんは稀代の詐欺師として、この難問に見事、道筋をつけた。

「改革」という切り札。

社会保障費を切り詰め、少しづつ、首をしめてゆく。
もう我慢できないという声を待って、
福祉のために増税という。

この手、これまでも何回か自民党がとってきた手。
でも、「大変、大変、改革、改革」という
大合唱に、みな、走ってしまった。

これって、振り込め詐欺ににていませんか?
「あなたの息子さんが金を使い込んだ。
いまなら、まだ大丈夫。至急、200万を。」

余裕なくお金を振り込む人がいても、おかしくない。
私も振り込んでしまうでしょう。

でも?、と、考える余裕がない。
しかし冷静になったら、分かることでも、追い込まれたら
謝った判断をしてしまう。
政治の世界も同じ。
とくに小泉さんのような才能のまえには。

さて、いかに慌てていても、息子が犯罪を犯したのなら
面前で、善悪を教えるのが親の仕事。
それを確認もせずに、犯罪の隠蔽工作に加担するような行動に
出てしまうのは、なぜでしょうか?

わが子さえよければ・・・という親のエゴではないでしょうか?
(これは「ついていったら、だまされる」の著者が指摘しています。
私も、これを読んで目からウロコでした。)

振り込め詐欺がこれだけ急増しているのは
騙される側にも、問題というか、弱点があるためでは?

小泉さんに騙されたのも、国民が大赤字に対処する際に
自分の既得権益(社会保障もふくめて)を守りたいという
エゴがあったためではないでしょうか?

そういう意味では小泉さんは狡猾な政治家。
私達は小泉さんを支えた道化かも。

これって衆愚政治かな? 保守系さん。

どうしたら良いのか?
皆、最初は、「それってホント?」と疑問を持つ。
しかし、この疑問は簡単には解けない。
改革をどうしたらいいのか?
トータルに考え、根本的な解決策をさぐるには忍耐が必要。
そのうちに考えるのが面倒くさくなって・・・
ついつい声の大きい意見を受け入れていく。

「あれが悪い」といわれると、そう考えてしまう。

こうした傾向を助長しているものに日本の学校教育があるという。
(これも先ほどの本の指摘)
学校では、まず、考え方などを教え込む。
疑問を持たずに覚えることが最優先です。
疑問を持った子供は、ついていくのが難しくなって落第。

たしかに教育では教え込む必要があります。
しかし、一方で、疑問を持って自分で考えるという
忍耐づよい思考方法を身につける必要もあるようです。

これは、ある人が言ったコトバを思い出させます。
フランス文学者の渡辺一夫さん。

「平和はつらいものだが、それに耐えねばならない」  

    

平和は忍耐強い疑問を持つ精神が守るもののようです。
私には自信がありません。正直に言って。


                         落石








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勘太郎月夜唄   中野寂音

2008年10月17日 09時27分17秒 | Weblog

私の思い出に残る歌謡曲は、小畑実の「勘太郎月夜唄」である。
昭和二十年、中国河北省石家荘の教育隊にいた。
この年八月幹部候補生教育のため南京の原隊から派遣されたが、
到着とともに終戦となった。

私達の教育隊は任務を持たないし、中国から日本への帰還予定は全く分からない。
終戦後の毎日は食って寝るだけの天国となった。
やせ細っていた若い兵隊達はあっという間に太ってきた。

 降服した日本の軍隊は、中国軍に武装解除され、
俘虜として収容される予定である。
ところが当時の中国軍は、この奥地まではとても手が回らない、
中国軍が到着するまで、鉄道線路、市内の警備は日本軍に任せる。
市内の警備は私達教育隊が行うことになった。

そのころ在留邦人会から部隊に慰問大会の招待があった。
軍隊に入ってから八ヵ月、慰問演芸には全く縁はなく、
訓練と移動だけの軍隊であったから、みんな大喜びで出かけた。
場所ははじめて行く市内の石門劇場。演芸は日本舞踊の大会であった。
日本の美しい着物姿の女性が、つぎつぎにあふれるように舞台に表れる。
夢を見ているような気持ち。
日本情緒たっぷり豪華絢爛の舞台は、強くふるさとを思い出す。
心のすべてが舞台に引き込まれたのは、生まれてはじめての体験であり、
生涯忘れられない舞台となった。

多くの踊りの中で今でも忘れられないのが「勘太郎月夜唄」であった。
三度笠振り分け合羽の渡世人の扮装で、若い女性の歌謡踊り、
伴奏はレコードであった。
「風か柳か 勘太郎さんか」の唄である。

昭和十八年頃発売、軍国歌謡の時代、非国民の歌謡曲といわれた。
小畑実はまだ新人時代で、藤原亮子とのデュエット。
二節目を小畑実が歌い、戦後小畑実がひとりで歌ってからヒットした。
この唄は覚えやすい、しかもふるさとの要素がたっぷりとつまっている。
風、柳、伊那の谷、故郷の月、日本から何千里離れた異国で聞いては、
涙・涙また涙であった。

子供の頃、近くに住む祖母に連れられて、旅回り一座の芝居小屋によくいった。
必ずこの歌謡踊りがあり「勘太郎月夜唄」は、昭和十八年以降の
歌謡踊りのヒット曲であった。
戦前の流行歌はこの歌謡踊りで覚えたものが多い。
今でもこの唄を聞くと、三度笠振り分け合羽の渡世人の姿が、
祖母のことから中国の風景まで、頭の中にはっきりと浮かびあがってくる。

 昭和二十年の年末ようやく日本に帰還することができた。

この歌は、戦前と戦後の「真空時代」そして「戦争と平和」の音風景となった。

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ウズベキスタン戦   文科系

2008年10月16日 12時41分49秒 | スポーツ
僕の「大勝か?」という予測は、全く外れ、悲しい同点! 相手はこの第3ゲーム目で初得点、初勝ち点と来たもんだ! 全く悲しくなる。

さて、「基本的な」シュート練習の甲斐はあったと思う。シュート数14対5で「枠に飛んだシュート」が以前より多かったし、コーナーキックの数も、9対2。対する相手のチャンスはあの先制カウンター得点だけみたいなもの。五輪世代が初めて加わったFW陣で臨んだ公式ゲームとしては、まーまー得点の形作りになっていたとも思う。これから「相手守備陣を崩す得点の形作り」に本格的に励めば、案外良い線行くのかも知れないとも思えた。

日本の1得点は見事だった。「脚が届くかなと思ったが」と語った大久保。「あーいう練習をしていた。練習通りに決められた」と振りかえった玉田。この玉田の外側からあのときゴールに詰めていた香川も大功労だ。「ゴール前では身方1人がそこにいるだけで意味がある。敵一人を引き寄せることになるので」というセオリー通りなのだ。あーいう「崩す形」をいっぱい作って欲しい。

例えば、3人がゴールに詰めて、そこへサイドからのボールを受けて中距離シュート、そのこぼれ球を3人が狙う形。こうして今度は、何本か中距離シュートを打てば敵DFの一部が前に出てくるからゴール前が薄くなるので、そこでアーリークロスに誰かが敵1人と競り合い、走り勝って得点とか。

五輪世代も加わった今、今回のように初歩的、基本的なところから積み上げるシュート練習を念入りに重ねるとともに、こういう形をいっぱい作っていって欲しい。オーストラリアやウズベキスタン防御陣が体力に物を言わせて競り合って来るのは分かっているのだから、「集団で詰めて、なるべく正面からの接触を避けて、タッチ数の少ない組織的アジリティーで得点」という形である。




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サッカーでの国歌へのヤジ    落石

2008年10月16日 11時47分05秒 | Weblog
サッカー、フランス対チュニジア戦で
フランス国歌へ激しいヤジが飛んだそうです。

国歌をうたった歌手は、あらかじめヤジがあっても
歌い続けるように言われていたとか。

ヤジは確信犯。フランスでの移民たちの置かれた
状況に対するプロテスト。

これに対してフランス政府は、国歌へのヤジは国家へのヤジと激怒。
そういう試合は中止を命ずることになりそうだとか。

こうしたヤジ事件はモロッコ戦、アルジェリア戦で起こっています。
みな、フランスの植民地だった国々。
移民問題が背景にあるようです。

サッカーは平和なスポーツ、連帯と共生のスポーツという
フランス側の主張は、形式的には、正しいと思いますが・・・

どう考えたら良いかな?

スポーツなどは、9条のブログにふさわしくないという
考え方の方もいるようですが、いかがですか?





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中日新聞より    落石

2008年10月16日 11時34分31秒 | Weblog
今朝の中日新聞に、
茨城県医師会が自民をやめて
民主を支援という記事が載っています。

理由は、後期高齢者医療の問題での自民の態度。

さらに産科医や小児科医の不足は10年も前から
わかっていたのに、なにも手を打ってこなかった自民党政治への不信。


記事のなかでの興味あるデータ。
日本人一人当たりの医療費は年間24万円。
先進7ケ国で最低。
しかし、医療費にしめる薬の費用はおよそ3割。
先進国のなかではダントツに高く、2倍以上。
また医療器具も日本は高い。
厚生省と製薬メーカー、医療機器メーカーとの
関係も取りざたされているとか。

さまざまな問題点に、どんな解決策があるのか?

自民党が悪いわけでもないし、民主党が良いわけでもない。
ただ、これまで支援してきた自民党では事態は悪化するばかり、
いつまで経っても変わらない、という声は、
深刻な政治の状況をよく表しています。

  


選挙での麻生さんのキャッチフレーズは
「麻生はやるぬく」です。
目的語はなんでしょうね?

麻生はやりぬく庶民イジメ?






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生の天鎮さんを聞こう!         九条の会・事務局

2008年10月15日 16時33分48秒 | Weblog
 11月3日に愛知県九条の会が行ってきた「県民のつどい」の形を今年は大きく変えられました。
 11月3日午後3時から栄交差点(三越前)で俳優の天野鎮雄さん・山田昌さん及び韓国の九条の会代表が9条をめぐる情勢を話していただけます。
 今回は、お話以外にも若宮大通からの平和パレードや栄周辺の辻々で各地の九条の会が様々なパフォーマンス(仮装、シール投票、風船配付など)を行い、平和! 9条をまもれ!の宣伝を行います。

 昭和区九条の会でも積極的に取り組んで行こうと考えていますが、ぜひ、皆さんも栄周辺におあつまりください。
 また、どなたか、パフォーマンス・・・の案を提案いただけると助かります。
シール投票、召集令状配りなどを考えていますが、よりアピールできる提案をいただければ採用したいと思います。よろしくお願いします。

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ウズベキスタン戦、大勝か?  文科系

2008年10月15日 13時21分50秒 | スポーツ
今夜のウズベキスタン戦は大勝するのではないかと、思い始めた。理由はなによりも、代表のシューターたちが「自分らはシュートの基礎を忘れていた」と認識して、その練習に連日励み始めてから初めての公式戦だからである。この点については、当ブログの12日拙稿をご参照下さい。

僕が得点を予感するのは、清水の岡崎。アシストを期待できると思うのが、グランパスの玉田。世上評判の高い大久保にはあまり期待しない。彼は、神経の図太さに裏付けられた、ちょっとしたスピードと「個人」技術とで持ってきた選手と思う。精妙なシュート技術なら岡崎のがはるかに上だし、スペースを作って相手ゴール前を崩しつつ、周囲を見て攻撃を組織するというならば、玉田の方が上だと思う。走力も岡崎、玉田よりも劣るだろう。

ウズベギスタンに勝って、他の基本的力と比べたら世界32位という力よりもはるかに劣っていた日本攻撃陣が、初めて、新たに、逞しくスタートする。今これが形成されたら、その体力の前にジーコ日本が苦杯をなめさせられたオーストラリア戦にも勝算が生まれる。そんなゲームを是非見たいものだ。


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「虚子・・今、思うこと」 川崎展宏氏の講演から まもる

2008年10月15日 08時47分10秒 | Weblog


★最近川崎展宏氏の俳句に関心があってネットで検索していたら
氏の「虚子」についての講演記録に出会いました。http://www5d.biglobe.ne.jp/~NANPU/kouen.html
 わからない点も多いのですが興味深かったので虚子について
勉強したくなりました。                      

*****************************
・・・近代の詩人達の多くが狂うのはそういうことではないかと思うのです。
文学に致しましても、常に個人とその個人の独創が尊ばれます。
そして新しさをお互いに競うのが近代文学の在り方でございます。
そういうものに私はついて行けない、又、人々について行けない
という共感が得られる時期が来ているのではないかと思います。
 そういう私にとりまして、今、虚子が新しいのです。
新しいというのは近代の方向で新しいのではなくて、違った意味で新しい、
そういう思いを今いたしております。
「今、思うこと」の中心はそういうことでございます。

そこに虚子の芭蕉の葉がございます。これをどう詠むか、

  横に破れ縦に破れし芭蕉かな (昭和9・11 新歳時記)

 どうしてこの句を真っ先に挙げるかと申しますと、
ぼろぼろになるまで使っております虚子の新歳時記の中で、
この一句が最近ぐーんと胸に来たんですね。
そしてそのぐーんと来た気持ちを何とか今日この席でお話できたら
と思いまして始めに挙げる次第です。・・・・・
この句は単純そのものですね。しかし、何か背筋をただされる、
詩歌の鞭で背中を強く打たれたといったある種の痛さと快感がある、
そんな気持ちでこの句を受け取ったのでございます。
その時に思い出した虚子の言葉があります。

 『渇望に堪へない句は、単純なる事棒の如き句、重々しき事石の如き句、
無味なる事水の如き句、ボーツとした句、ヌーツとした句、ふぬけた句、
まぬけた句』

これは明治36年10月に「ホトトギス」に発表されました「現今の俳句界」
という碧梧桐の作品に対する批評の文章なんです。
実は、「渇望に堪へない句は、単純なること棒の如き句」の前に
「碧梧桐の句にも乏しいやうに思はれて」と付いております。
「碧梧桐の句にも乏しいやうに思はれて、渇望に堪えない句は・・・」
と続いていくわけです。

では、碧梧桐とはなにか、これはやはり個性と独創を競う近代俳句の新
を求め続けるという姿勢の原点となった、
そういう意味で近代俳句の非常に大きな存在だということは
申し上げるまでもございません。

<横に破れ縦に破れし芭蕉かな>が今の私には強靱な句に思えます。
「重々しき事石の如き」というのは比喩でありますから、
私が受け取ったのはまず強靱だなということ、
それから単純なる事棒の如き句だと思います。
<横に破れ縦に破れし芭蕉かな>それだけなのですから。
無味なる事水の如き句、ちっとも味付けがしてございません。         

これは正に平成の現今の俳句界で渇望に堪えない句ではないかと思った訳です。
この齢になって、又一つ虚子の句を発見したという思いがします。
見方を変えて言えば、これは、ボーツとした句、ヌーツとした句、ふぬけた句、
まぬけた句じゃないでしょうか、
だってただ<横に破れ縦に破れし芭蕉かな>なのですから。
何じゃこれは、冗談じゃない、何にも新しくない、ただの葉っぱじゃないか
ということですけれど、立場を変えれば渇望してやまない句の条件を
いくつも満たしている句じゃないですか。                  

虚子の発言は一言でいえば、・気の利いた新しさ・を狙った
碧梧桐の俳句の在り方を痛烈に批判した文章であります。
私にとっては、近代俳句の問題として、現代俳句の問題として、
今の自分自身の問題として、渇望に堪えないのが、単純なる事棒の如き句、
重々しき事石の如き句ということですね。
無味なる事水の如き句、立場をかえていえば、ボーツとした句、
ヌーツとした句、ふぬけた句、まぬけた句、そういう句が出来たらなあ
と思います。
句は授かるもので作れるものではありませんが、
今こそこういう句が欲しいと思います。



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なんと了見の狭い、プロ野球!  文科系

2008年10月15日 08時18分37秒 | スポーツ
本日毎日新聞の社説は、アマチュアの最強投手・田沢純一氏の扱いをめぐって、プロ野球実行委員会が泥縄式に行った「取り決め」に対して痛烈な批判を行っている。僕もここで書いてきた年来の主張と同じものであって、痛快な気分だった。まずは、紹介してみる。

【 なんと了見の狭い人たちの集まりだろうか。
 プロ野球実行委員会は国内の新人選択会議(ドラフト会議)での指名を拒否して海外のプロ球団と契約したアマチュア選手に対し、海外球団を退団後も一定期間、日本のプロ野球入りを認めないことにした。(中略)
 日本のアマチュア野球はプロの下部組織でもなければプロの養成機関でもない。そこで実績を残した選手がその先、どこで野球を続けようが本人の自由である。日本のプロ球団に束縛されるいわれはない。(中略)
 田沢投手の引き留めに失敗し、考え出したのが今回のペナルティーだ。球団エゴむき出しで「あとで泣きを入れても知らないぞ」と脅しているようなものではないか。しかも田沢投手の意思表明後、後付けでルールを作り、田沢投手にも適用するというのはフェアではない。】

 野茂英雄投手のドジャース入りのときにも同じ事があった。野茂は、日本プロ球界から石つぶてを投げつけられるようにして、出て行ったのではなかったか。あの時にプロ球界が取った行動が全て誤りであったとは、今となっては明白である。プロ野球界は同じ誤りを何度繰り返すのか。この問題の性格を改めて整理してみよう。意外に理解が難しいが、とても大事なことが含まれている問題だと思うので。

・ 学校の野球、都市対抗の野球、プロの野球などは、共存共栄を計らなければ、それぞれの将来は先細りであろう。選手たちがプロを目指しているのを良いことに、プロ球界がこの共存共栄を乱し、勝手なことをやるという事件が多すぎた。
・ 50年前の子どもの日常生活には相撲があった。それが消えていったから、アマ相撲も衰退し、大相撲もじり貧になってきたのではなかったか。サッカー界には、プロとしてのJリーグ機構の他に、「その上に」日本サッカー協会があって、プロとアマが対等に「国民のサッカー生活」を作って急発展してきた。プロ野球が今のようにアマを引き回していては、やがて衰退していくしかないのではないか。高校野球の歴史、人気がプロ野球を支えているという側面があるなどということを、プロ側はもっと自覚すべきである。
・ プロアマ共存共栄の基盤、最大要件はこうして、野球を行い、観戦する国民である。プロ野球にとっては国民は単なる商売相手かも知れないが、プロ・アマ合同組織から見るならば、国民がその主人公であるはずだ。そうでないスポーツ組織は、相撲のように衰退していく他はないだろう。
・ また、サッカーのワールドカップを見れば分かるように、この国際化した世界では、野球の世界的普及を考えなければその将来はやはり先細りであろう。アメリカや日本が、自国の野球だけを考えていたのでは、世界戦の相手が全く増えていかないはずだ。ラグビーの普及が、旧イギリス圏だけに限られてきたように。

野球を愛する人々は、野球界が50年後に、今の相撲のようになって欲しいとは誰も思わないだろう。そのためには、もっともっとプロが率先して子どもサービスに努めることだと思う。それがスポーツというものの大義名分であり、発展の要であると思う。
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株価反発   落石

2008年10月14日 18時37分57秒 | Weblog
ヨーロッパヤアメリカ、日本などが
公的資金の投入を決めたことに好感。
株価は一挙に8000円から9000円台に。

円高で、外貨を買う動きもあったり、
投資の対象を求めて彷徨うお金。

円高で、私の外貨貯金は一挙に20%減に。
明日はどうなるんでしょうね?

フランスやイギリスのニュースを見ていると
日本と少し焦点の当て方が違うようです。
日本はアメリカの報道に近いようです。

どこが、どうと言いにくいのですが・・・
あえて言えば、ヨーロッパのほうが視野が
やや広いように感じます。


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