★グループメールにガザで続けられている封鎖や包囲と静かに抵抗している人々を支援している方から重い記事が寄せられました、紹介します。 (ネット虫)
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京都の岡です。
わたくしはかれこれ25年、レバノンのパレスチナ難民の子供たちをケアする
NGO「ベイト・アトファール・アル=ソムード(パレスチナ 子供たちのソムードの家)」の支援をしています。
この「ソムードの家」は、1976年、パレスチナ難民3000人が殺されたタッル・エル=ザァタルの虐殺で親を失った子供たちの孤児院として設立されました。
6年後にはサブラーとシャティーラの虐殺がおこり、ふたたび、大勢の子供たちが親を失いました。
80年代半ばにはキャンプは包囲・封鎖され、長期にわたって攻撃され、大勢がなくなりました(昨年暮れから1月にかけてのガザのように)。
「子供たちのソムードの家」は、パレスチナ人に対して差別的なレバノン社会で、
繰り返し虐殺にさらされながら、貧困と差別と困難のなかで生きる子供たちとその家族を支える活動に30年以上、地道にとりくんでいます。
人権を否定されている子供たちに、教育の機会と職業訓練の機会を提供することによって、未来の可能性を創っているのです。
この7月、訪問したとき、代表のカーセム・アイナさんが、「子供たちのソムードの家」が ノーベル平和賞にノミネートされていますと、たいへん慎ましやかにおっしゃって、私たちはみな、大喜びいたしました(結果的に、同賞を受賞したのはオバマ大統領でしたが・・・)。
この「ソムード」というアラビア語、辞書を引くと Registance とあります。
でも、いわゆる「レジスタンス」や、イスラーム抵抗運動(「ハマース」の正式名称)の「抵抗」とは違います。
アラビア語独特の言葉で、日本語では、それを一言で言い表す、しっくりした言葉が見つからないのですが、「それでもなお、そこにふみとどまってがんばり続ける」、そのような意味での「抵抗」です。
武器をもって、武装闘争をすることだけが、「抵抗」ではありません。
民族浄化の結果、60年以上にわたり難民であることを強いられ、繰り返し虐殺にさらされ、そして、今は封鎖され、じゅうぶんな栄養もなく、人が人間らしく生きるということのすべてを奪われているなかで、それでもなお、そこに踏みとどまって、明日への希望を失わずに自らを支え、ほかの者たちを支え続けること、それがソムードであり、ソムードとしての抵抗です。
JVC(日本国際ヴォランティア・センター)の招聘によって、ガザから来日されたモナ・アブラマダンさんとムハンマド・スカフィさんのお二人は東京で精力的にスケジュールをこなし、本日、京都にいらっしゃいます。
きのう、東京大学のセミナー(英語)で、ムハンマドさんがおっしゃったという言葉(参加された方の感想が、MLでまわってきました)、
「あなた方も是非、ガザのボランテイアに来てください。それは( ボランテイアは、)グッド レジスタンスに他ならないから。」
英語でムハンマドさんが、「グッド・レジスタンス」とおっしゃった、その「レジスタンス」は、アラビア語の「ソムード」です。
それは、殺戮と破壊と封鎖という圧倒的な暴力に対するソムードであり、同時に、あらゆるテロルに対するソムードでもあります。
10ヶ月前、ガザで起きていることに対して、各地で緊急集会が開かれ、会場の定員をはるかにうわまわる人々が駆けつけました。
あれから10ヶ月、もう、マスメディアに「ガザ」の言葉は登場しません。
ガザの虐殺は、忘却の淵に沈もうとしています。
忘却されるという以前に、なおも続く封鎖が、ひとたびでも私たちの記憶に刻まれたことがあったのでしょうか。
忘却があの殺戮と破壊を生み出したのなら、いまの私たちの忘却は、次の、新たな、さらに大規模な殺戮への序章です。
私たちはこれからも、ガザの人々の状況を皆さんに伝え、ソムードを支援したいと思います。
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京都の岡です。
わたくしはかれこれ25年、レバノンのパレスチナ難民の子供たちをケアする
NGO「ベイト・アトファール・アル=ソムード(パレスチナ 子供たちのソムードの家)」の支援をしています。
この「ソムードの家」は、1976年、パレスチナ難民3000人が殺されたタッル・エル=ザァタルの虐殺で親を失った子供たちの孤児院として設立されました。
6年後にはサブラーとシャティーラの虐殺がおこり、ふたたび、大勢の子供たちが親を失いました。
80年代半ばにはキャンプは包囲・封鎖され、長期にわたって攻撃され、大勢がなくなりました(昨年暮れから1月にかけてのガザのように)。
「子供たちのソムードの家」は、パレスチナ人に対して差別的なレバノン社会で、
繰り返し虐殺にさらされながら、貧困と差別と困難のなかで生きる子供たちとその家族を支える活動に30年以上、地道にとりくんでいます。
人権を否定されている子供たちに、教育の機会と職業訓練の機会を提供することによって、未来の可能性を創っているのです。
この7月、訪問したとき、代表のカーセム・アイナさんが、「子供たちのソムードの家」が ノーベル平和賞にノミネートされていますと、たいへん慎ましやかにおっしゃって、私たちはみな、大喜びいたしました(結果的に、同賞を受賞したのはオバマ大統領でしたが・・・)。
この「ソムード」というアラビア語、辞書を引くと Registance とあります。
でも、いわゆる「レジスタンス」や、イスラーム抵抗運動(「ハマース」の正式名称)の「抵抗」とは違います。
アラビア語独特の言葉で、日本語では、それを一言で言い表す、しっくりした言葉が見つからないのですが、「それでもなお、そこにふみとどまってがんばり続ける」、そのような意味での「抵抗」です。
武器をもって、武装闘争をすることだけが、「抵抗」ではありません。
民族浄化の結果、60年以上にわたり難民であることを強いられ、繰り返し虐殺にさらされ、そして、今は封鎖され、じゅうぶんな栄養もなく、人が人間らしく生きるということのすべてを奪われているなかで、それでもなお、そこに踏みとどまって、明日への希望を失わずに自らを支え、ほかの者たちを支え続けること、それがソムードであり、ソムードとしての抵抗です。
JVC(日本国際ヴォランティア・センター)の招聘によって、ガザから来日されたモナ・アブラマダンさんとムハンマド・スカフィさんのお二人は東京で精力的にスケジュールをこなし、本日、京都にいらっしゃいます。
きのう、東京大学のセミナー(英語)で、ムハンマドさんがおっしゃったという言葉(参加された方の感想が、MLでまわってきました)、
「あなた方も是非、ガザのボランテイアに来てください。それは( ボランテイアは、)グッド レジスタンスに他ならないから。」
英語でムハンマドさんが、「グッド・レジスタンス」とおっしゃった、その「レジスタンス」は、アラビア語の「ソムード」です。
それは、殺戮と破壊と封鎖という圧倒的な暴力に対するソムードであり、同時に、あらゆるテロルに対するソムードでもあります。
10ヶ月前、ガザで起きていることに対して、各地で緊急集会が開かれ、会場の定員をはるかにうわまわる人々が駆けつけました。
あれから10ヶ月、もう、マスメディアに「ガザ」の言葉は登場しません。
ガザの虐殺は、忘却の淵に沈もうとしています。
忘却されるという以前に、なおも続く封鎖が、ひとたびでも私たちの記憶に刻まれたことがあったのでしょうか。
忘却があの殺戮と破壊を生み出したのなら、いまの私たちの忘却は、次の、新たな、さらに大規模な殺戮への序章です。
私たちはこれからも、ガザの人々の状況を皆さんに伝え、ソムードを支援したいと思います。