九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

自衛隊の海外派兵 73%が慎重派   大西 五郎

2009年10月19日 09時23分15秒 | Weblog
★東海放送人9条の会の論客であり、あいち9条の会の広報責任者をしてみえる大西さんの記事を紹介します。九条を守る私の立場としては朗報です。そうした民主党の内の潮流をを護憲運動の中心にまで育つよう注視し励まし続けたいと思います。
                       (まもる)
==========================
10月5日の中日新聞は、共同通信が行った、先に総選挙で当選した民主党衆議院議員の政策課題に対する意識を探るアンケート調査の結果を掲載しました。この調査には当選した308人のうち4日までに210人が回答しました。そのうち憲法9条に関連する問題では、

◇ 「国際貢献としての自衛隊の海外派遣をどう思いますか」という質問に

 ①多国籍軍(後方支援を含む)などに積極的に派遣すべきだ 12.4%
 ②国連平和維持活動(PKO)への派遣にとどめるべきだ  58.1%
 ③国際緊急援助隊など人道支援活動にとどめるべきだ    15.2%
 ④海外派遣すべきでない                  1.0%
 ⑤その他                        10.5%
 ⑥無回答                         2.9%

という回答で、国連平和維持活動や国際緊急援助活動を合わせた慎重派が73.3%を占め、多国籍軍派遣を容認する積極派は12.4%にとどまりました。

◇ 「政府は、集団的自衛権は憲法上行使できないと解釈していますが、どうお考えですか」という質問に

 ①憲法を改正して行使できるようにすべきだ         4.3%
 ②政府の憲法解釈を見直し、部分的にでも行使できるように
  するべきだ                      15,2%
 ③現状のままで良い                   53.3%
 ④その他                        23.3%
 ⑤無回答                         3.8%

で、憲法改正や解釈見直しで行使できるように転換すべきだとの回答は19.5%にとどまりました。(しかし「19.5%もある」と見るべきかもしれませんね。)

 「党内の足並みの乱れを指摘されることが多い安全保障政策で、急激な変化を望まない傾向が浮かび上がった」と中日新聞は分析していますが、民主党に対して、「憲法9条を守れ」「集団的自衛権の行使するな」という私たちの気持ちを絶えず示していく必要があると思いました。


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「メディアの憲法報道を問う」④  飯室勝彦氏

2009年10月18日 12時14分24秒 | Weblog
「メディアの憲法報道を問う」④  飯室勝彦氏

「新聞を読まない若者」

それにしましても、僕は相変わらず「風」、冒頭に申し上げた風というのをたいへん怖いと思ってます。小泉さんと云う強風のお陰で今のワーキングプアとかそういうたいへん悲惨な状態が生まれています。こんなこと申し上げると有権者のみなさんを前にたいへん失礼な言い方ですけども、あの安倍さんという危険人物でさえ一時は、日本の有権者は酔ったんですよね。血筋がいいだの、なんだのって言って、ね。
だからいつなんどき風が吹く、どんな風が吹くか判らない、そういう警戒感は持っていたいなぁと云う気はするんです。
身の回りで見てるとほとほと感じるんですが、今の若い人たちは新聞を読まないんです。全然読んでません。
活字は割りに冷静な議論をしようと思えば、冷静な議論を伝えることも出来ますし、読み取ることも出来ます。新聞を読まないで何から情報を得るかというと、インターネットの一行情報、テレビの云って見れば情報番組ですね。で、今度もたいへん失礼なことを申し上げますが、新聞の社説なんてお読みいただけるのは年配の方ばっかりなんですね。お手紙やメールをいただくのは年配の方ばっかりで、めったに20代の若者から感想は来ません。
僕は何を言ってるかとというと、その若い人たちが実はこれからの日本を決めていくんですよね。そうすると、その冷静な活字による論理というものの読み取りをしないで、空気のようなテレビの報道とか、インターネットの一行情報で動いてしまう、という危険性をいつも感じているんです。
じつはこれまでの憲法改正報道問題って云うのは、テレビはあんまりやってこなかったんですね。テレビは抽象的な概念、理念的な部分の報道ってのは苦手ですから、あんまり詳しくやってきません。ですから良かったと思ってるんですが、もし憲法改正が具体的な議論になってきたら、テレビもジャーナリズムですから、そんなこと言ってられません。当然報道に参戦してくるでしょう。そうなると僕は怖いと思いますね。あのある種感覚的な手法で改憲問題に参戦してきたら、風がたちまち吹き起こりかねない。そういう意味で僕はテレビを一所懸命、警戒しています。

「風」の怖さと脆さ
 
冒頭で私は風がまた吹くかも知れないと申しました。憲法に関する基本的な流れは変わっていないと思います。国会がああいう状況になっちゃいましたから、改憲論というのは一見鳴りをひそめているように見えますが、構成員は替わっていません。民主党のなかだって、まぁ小選挙区制になって自民党に席がないから民主党から出るという人たちがいっぱいいるわけですから。そうすると、護憲の政治的な陣営ががっちりしているということも云えない。
他の政党を見ましても、公明党は憲法擁護と言ってますが、与党から離れないということがむしろ至上命題ですね。そうしますと、公明党が身体を張って最後まで改憲を阻止するかって言われるとなかなか難しい場面があるかもしれない。民主党はさっき言ったような状態ですし、それから、社民党、共産党はあまりにも非力すぎて、みんなが社民党候補に投票して、あるいは共産党候補に投票して議席を増やせば別ですけども、現状ではどうも防波堤にはなりそうもない、という状況です。
もうひとつ気になるのは財界が自信をつけてきている、と云うことですね。この前の衆議院選で、トヨタ自動車の首脳は初めて公然と自民党の応援をしました。それまでトヨタ自動車はあまり自民党の応援をしなかったですよね。で、その後の経済改革で財界の言う通りにいろいろ改革してきており財界自身も政治に対して口出しすることの面白み、実益を感じていることがあると思うんです。
そうしますと、決して流れは変わってないし、僕には、風が吹けばどうなるか判らないという危機感はあります。

「ベタ記事から見えてくるもの」

もう一つありました。今年の5月21日、ある新聞にベタ記事が載りました。
衆議院と参議院にさきほど申し上げたように憲法審査会を作ることになりました。国民投票法が成立して、憲法審査会をつくることになったけれども、未だに審査会の規則も出来てない、審査会の委員も決まってない、という状況のときに、衆議院と参議院の議員運営委員長が、自民党と民主党に早く審査会の規則を作って委員会を発足させろという申し入れをしたというベタ記事です。 衆議院の委員長は自民党ですが、参議院の委員長は民主党なんです。自民党と民主党が揃って、審査会を早く作って憲法の議論を出来るように設定しろ、って言ってるんです。そうすると、民主党が防波堤になるということもあり得ないんではないか、という気がしておりまして、警戒する必要があると思っています。
ちなみに新聞記者38年の経歴から若干みなさんに秘訣をお漏らしすると、新聞はベタ記事が大事なんです。今云ったようなベタ記事のなかに、もの凄く重要なことが入ってることがあるんです。そのベタ記事を憶えてたら何年か後に、「おっ、あの時に書いてあった」というような大ニュースに結びつくことがあります。
私どもの大先輩の佐藤毅さんという中日新聞の編集局長をやって、ドラゴンズの社長をやった人は、「ベタ記事恐るべし」という本を書きましたが、確かに何年か前のベタ記事が今のトップ記事に結びついてるってケースがいっぱいあります。ひょっとしたら、憲法問題もこの自民党と民主党の委員長の申し入れが、ウワァー、あれが生きてきたんだ、なんてことになるかもしれないという感じがしています。

「小さな積み重ねが未来を開く」
 
とりとめもないことを話してきましたが、そうかと云って僕は決して絶望、悲観だけはしておりません。
さきほど申し上げましたように、戦後生まれが三分の二ですから、憲法の制定にも、憲法の熟成にも直接関わっていない人たちが三分の二です。まして、制定の背景まではなかなか知らない。それを僕はけしからんと云うことは出来ない。むしろその人たちに語り掛けて行くのが我々の責任ではないのか、という気がしています。理論だけではとても人のこころに響きません。一つひとつの事実を積み重ねていくことによって、若い人たちの胸を撃つことが出来ると僕は信じています。
大学でいろいろな授業をやらされているんですけれども、ある授業では、憲法九条を方言に訳してこいなんて授業をやるんですね。愛知県にも方言いろいろありますよね、名古屋弁、尾張弁、三河弁。地方から来てる人も結構いるんですよ。大分県から来てる人とか、徳島県から来てる人。方言知らない人はおじいちゃん、おばあちゃんに訊いて訳してこい、と。
おじいちゃん、おばあちゃんに訊く過程で昔の経験を聴いたりなんかするんですね。そういう小さな積み重ねが将来大きく役に立ってくるではないかなぁという気はしています。

「若い記者たちの実践」

ここではひとつだけ中日新聞東京本社にいる若い記者たちの仕事をご紹介したいと思います。
一昨年から去年にかけて、一部はもちろん中日新聞にも掲載されましたが、東京新聞の若い記者たちが総タイトルは「記者が伝える戦争」で連載記事を何回も組みました。例えばそのものズバリ「新聞記者が語り継ぐ戦争」という連載タイトルで、戦争の犠牲になった人たちの話を聞いて、その聞き書きを連載していったり、戦争の傷跡が残っている場所を、モニュメントを訪ねて写真とともに紹介して、その意味を連載していったり、それから、憲法を歩くという連載記事で憲法問題がいろいろ起きている現場を歩いてルポルタージュをする、それから有識者にインタビューを次々として「試される憲法」という連載記事をする。
これ、みんな若い人たちが自発的にやった仕事なんです。部長がこれやれ、あれやれって指示した仕事ではありません。憲法改正という問題が出てきましたから、若い人たちが、こういうのやろうじゃないかと云って自発的にやった連載なんです。
僕がもっとも感激したのは、その連載をやっていくと、直接連載に関わっていない別の若い人たちがですね、「私にもやらしてくれ、俺にも一本書かしてくれ」って出てきたそうです。それを聴いたとき僕は泣きましたね。それだけでも僕は充分だって云いました。
ですから、若い人の悪口を言うんではなくて、若い人たちに自分たちの経験を、つまり、今時の若いもんはと言ってるんじゃなくて、若い者と経験を共有するということを意識することによって憲法問題というのはやっていけるんだろう。つまり危機を切り抜けていけるんだろうということを思ってます。
いろいろ憲法に関しては格言風な台詞がありますよね。憲法は時代の道しるべだ、とか。前に社説にも書いたことがあるんですけれども、道標だから道に迷ったときには道標に従って進むのが当たり前であって、この道標を勝手に書き換えようっていうのはおかしいんじゃないの、という姿勢が僕は基本だろうと思っています。
                        了
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広島長崎への招致活動は、核廃絶運動の衰退を招くもの  あきの さくら

2009年10月18日 09時14分20秒 | Weblog
私は、広島長崎への招致活動は、核廃絶運動の衰退を招くものと考えています。

招致活動に多額のお金がかかることは、広島長崎市民を疲弊させます。
そして何も成果が上がらなければ、怒りの矛先は核廃絶運動に向かうでしょう。
日頃何か活動をしているわけではないが、
漠然と「核はなくなってほしい」と願っている人たちがいます(私です。東京都民ですが)。
こういう人たちに運動に対する嫌悪感を抱かせ、核廃絶そのものへの無関心を引き起こすことになるでしょう。

誘致活動が開催地争奪戦であること、
「奪い合い」「戦争」であることを忘れてはいけないと思います。
「オリンピックが平和の祭典などとは幻想だ」とは今更ですが、
もう一度考えてみる必要があると思います。
世界中の、オリンピック自国開催を望む人々は、
べつに、平和という理念のために自国開催を望んでいるのではありません。
平和目的なら、どこで開催したって一緒なんですから。
国威発揚つまり偏狭なナショナリズム、経済効果つまり金儲け、
トップアスリートの戦いを間近で見たい、
こういった、およそ世界平和とは関係の無い心情から自国での開催を望むのです(私ごときが今更指摘するまでもないですよね)。

こういう場で多額の金を使って開催地を奪い合うことが、
世界平和につながる行為ですか?
過去に3回も開催した国が、さらに貪欲に争うことが、
端で見ていて美しいことですか?

今回だって、どの候補地も、それぞれ高い理念を掲げていたはずです。
でも誰も「理念のために開催地争いをしているのだ。崇高な戦いだ」なんて思ってなかったでしょ。
「綺麗事ならべてるけど、本心は金儲けなのさ」って思ってませんでしたか?
広島長崎が核廃絶ウンヌンで立候補したところで、
開催地になりたさの綺麗事と外国から受け取られるのは、同じです。


奪い合い、戦いから生まれるのは憎しみです。
それは、今回の東京都知事の悪意のこもった敗戦の弁からもわかるでしょう。
広島長崎が開催地争奪戦に勝てるとは絶対に思いませんが、
百万が一勝てたところで、負けた都市には広島長崎、日本への憎しみが残ります。核廃絶どころではありません。


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加藤和彦さんの死             まもる

2009年10月18日 07時55分49秒 | Weblog
★グループメールに千葉卯京さんからこんな追悼のメールが入りました。
 同感です。時代を代弁してくれた・・・良い曲をありがとう。
===========================
加藤和彦さん

なぜもっと生きてくれなかったのでしょうか?
なぜもっと生きて、『あの素晴らしい愛をもう一度」や「イムジン河」を
歌ってくれなかったのでしょうか?
加藤さんの歌に励まされ、戦争や平和を考えて、そして自分が何を
すべきか、見出された日々もありました。

加藤さん歌は、フォークルの歌は1人1人が伝えていく大切な歌で、
伝えていかなければならない歌だったと思います。

加藤さんが生き急いだこと、死に急いだこと、本当に残念です。
それと同時に何があっても死に急いではだめです。

加藤和彦さん、今は1人のファンとしてあなたの冥福を祈りますが
私はプロの歌手ではないですけれど明日からもあなたの歌を歌い
続けます。
あなたが願った朝鮮半島から、そして世界から本当に戦争がなくなる日を願いながら。


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10月18日のつぶやき     ぐ

2009年10月18日 07時49分03秒 | Weblog
「イムジン河」ソウル旅行で歌えばよかった・・・しかし、早過ぎるよ、加藤さん
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新政権の威力(6) 日米関係激変ありうる  文科系

2009年10月18日 05時04分14秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
新たな世界情勢に対応していくために、日米関係も50年に1度ぐらいの激変が起こり始めていると考えてきました。今までの延長のような見方では、日米関係においても当てが外れることになるでしょう。その方向性を見るためにも、世界情勢の上で背景となりうるものや、新政権に見え始めた方向性というものを一定まとめて、また、この二つを関連づけて見ておかなければならないのではないでしょうか。
①サブプライム爆発を震源とする「100年に1度の経済危機」から、次のことがおこりました。
護送船団方式輸出依存がもう今までのようにはできなくなりました。別の需要を探さねばなりませんが、超格差社会ではもう土建国家を追求することもできません。それを正せなかったのが、自民党の敗因だったはず。
冷戦体制の崩壊にやや遅れて、アメリカ単独主義世界も消えてしまいました。アメリカの国力もガタガタです。アメリカ経済は、物作りの衰退や、金融商品による世界金集め政策の頓挫やなどから全く先が見えず、世界への公約「金融規制」さえも全く進まない現状です。日本が土建国家を維持できなかったように、産軍複合体国家は縮小方向しかありません。
②新政権の現在の姿勢は、①への一定話し合い、まとまった対応なのだと見ておく必要があると思います。その中身は、「コンクリートから人への、内需拡大方向の転換」、「アメリカから以前よりは距離を置き、国連中心とかアジア重視とかに方向転換していくこと」。これらは、好むと好まざるとにかかわらず、世界情勢と日本の強みなどとから強いられて取る修正資本主義的な道というように見えるのですが、どうでしょうか。
③こういう対応に関わる日本の強みはこういうことでしょう。1500兆円という世界1の貯蓄があること。90年代の国内住宅バブル弾けからサブプライム爆発の今日まで、金融規制の技術、景気回復のやり方において世界で最も苦労してきた先進国だということ。

さて、こういうものを背景として見るとき、今までの判断で言えば一見策略とか口だけとかに見えるような日米両国の「不思議な新政策」「発言」も、僕はすんなりと理解、信用できるような気がするのです。最近の日米のことを挙げてみましょう。
①インド洋給油が無くなっても、アフガンには自衛隊は行きそうもないこと。アメリカでさえ、増派が可能かどうか分からないということ。
②オバマが「12年までに核半減」を表明したこと。90年には21000発あったものが、07年には9900発になり、12年には4900発になると推定されること。この方向はまだまださらに進むと予想されること。
③ルース駐日米大使が、米大使としては戦後初めて広島平和記念式典に参加する可能性が出てきたということ。このことを「真剣に検討したい」と応えたことを報じた毎日新聞記事を抜粋する。
『今月4日、両親と息子と共に広島を訪れたことについて、言葉を選ぶように「深く、心を揺さぶられ、感情的になった」と話した』
それどころか11月のオバマ訪日で、被爆地訪問が期待される情勢さえあるのではないか。
④現在は普天間基地移転が問題になっているが、16日の新聞にはこうあった。
『(平野博文官房長官は)「具体的に物事を決めることになれば、基本政策(閣僚委員会)か関係閣僚(委員会)でやることに当然なる」と述べ、政府方針決定に当たり、社民、国民新両党党首をメンバーとする基本政策閣僚委員会の開催を検討していることを明らかにした。基本政策閣僚委は連立与党間で重要政策を協議するもので、9月28日。10月9日の2回開かれた。社民党の福島瑞穂党首は14日の記者会見で「(名護市)辺野古の沖に基地が造られないよう連立政権の中で頑張る」と述べ、現行計画への反対姿勢を明確にしている』
住民要求にそう形で、別の移転先を捜すようになる気が僕はしてきたのですが、どうでしょうか。二転三転しているような、新政権のぐずぐずした姿勢は、またもこんなことを思わせます。アメリカにもなんとなく強硬姿勢が感じられないのは、影で一定の合意が行われているような気さえしないではありません。ルース駐米大使の普天間移転関連の記者質問応答はこうでした。
「オバマ政権も発足時に政策を再検討した」
「(普天間基地自身については)新しい政権だ。期限を切るのは公平ではない」
(いずれも毎日新聞)

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劇「親の顔が見たい」   深夜NHKBS2で放送のご案内

2009年10月17日 11時58分55秒 | Weblog

★京都の菊池です。

 ミッドナイトステージ館 舞台「親の顔が見たい」

チャンネル:NHKBS2
放送日:2009年10月17日(土)放送時間:午前0:45~午前2:32(107分)
が放映されます。もし、ご都合つきましたらご覧ください。


親の顔が見たいの予告
http://www.theatercompany-subaru.com/3rd_2008.html

以前、この劇の戯曲本の書評を新聞で読んで、興味をいだきました。

この書評は詳しく劇の内容にふれているので、放送を見ることができる人は、
この下記の書評は放送を見終わってから読まれたほうがよいと思います。

☆今週の本棚:渡辺保・評 『親の顔が見たい』=畑澤聖悟・著 - 毎日jp ...
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2009/06/20090621ddm015070006000c.html

★現代のいじめはあとを絶たない。その原因は子供よりも親にあり、さらに親よりも社会にある。しかしその社会をどうしていくべきなのか。その答えを観客一人一人に問う劇のようです。
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「メディアの憲法報道を問う」③  飯室勝彦氏

2009年10月17日 10時09分37秒 | Weblog
「メディアの憲法報道を問う」③  飯室勝彦氏

「改憲報道を考える」

憲法調査会で憲法改正の論議が盛んになりまして、最終的に自民党の改憲草案が出てきます。2005年です。改憲草案という名前に騙されてはいけないと僕は思っています。改憲なら今の憲法の悪いところを直すんだから悪いことじゃないと思うんだけども、自民党が作ったのは新憲法草案なんです。新しい憲法作ろうという草案なんです。そのことで新聞もいろんな社説とか記事のなかで論評したり、批評したり、主張をしたりしてきてるんですが、そのことについて私が感じていることを若干お話しておきたいと思います。
まず、読売、産経の突出ということです。
産経新聞と読売新聞の意見と他の新聞の意見が食い違うということを捉えて、日本のジャーナリズムの分裂という批評をする人がいます。私は分裂とは思っていません。分裂とは対等関係、あるいは対等な力で分かれているという状態なんでしょうけども、あれは分裂ではなくて、読売と産経が突出してるという言い方が正しいのではないか。部数を全部併せますと読売と産経を併せてもおそらく日本の新聞の総発行部数の四分の一ぐらいだろうと思うんです。中日も含めた残りの新聞が四分の三です。この中に積極的な憲法改正論の新聞はない、と思います。むしろ、憲法改正には慎重であるべきだ、という新聞が中日新聞も含めてほとんどだと思うんです。

「はじめに旗印ありき」は疑問

問題は読売と産経の突出をジャーナリズムとしてどう見るか、という問題です。
ジャーナリズム、特に新聞なんかが、特定の意見を発表することは、僕は決して誤りではないと思います。ジャーナリズムとしてのメディアの主体性という意味も込めて、きちんと意見があるなら意見を言うべきだと思います。
新聞には社説と云うそういう役割のものがあります。例えば今度のアメリカの大統領選挙では、130紙ぐらいが、うちの新聞はオバマを支持するとはっきり方向を出しています。日本の新聞はめったにそんなことはやりませんけれども。
だから決して意見を明らかにすることは誤りではないと思いますが、新聞の発行部数を利用して世論をそっちに誘導するかのような報道の仕方はジャーナリズムとしてどうなのか。世の中の情勢を見ておいて、私の新聞はこっちが正しいと思いますよと言うのはいいけれども、自らが憲法草案を作って、そっちの方にいろいろ引っ張って行ったりするという、そういう運動の先頭にジャーナリズムとして立つというのは、いかがなものか、ということで僕はたいへん大きな疑問を持っています。それからもう一つ、それでもいろいろ考えた結果、そっちの方角が正しいと思うからそっちに走るんだよというのは未だ許せるとしても、会社の営業政策としてそっちに走ることによって生き伸びようというのはジャーナリズムとしては邪道ではないか、という気がしてます。産経新聞の幹部をしておられた青木さんというたいへん高名なジャーナリストで、産経新聞の役員もされてた方ですが、その回顧している文章のなかにはっきりと、これだけ新聞の競争が激しいなかで生き残るために保守主義という旗を掲げるのも面白いと思った、と書いておられます。
つまりこれは考え抜いた結果その結論を出したということじゃなくて、生き残るためにその方針を出したことを面白いと思ったと青木さんはおっしゃってるんですね。それはちょっとジャーナリズムとしては違うんではないか、という感じがしています。

「改憲問題に中立はあり得るか」

それから二番目に申し上げますのは、憲法改正問題というのに中立という立場があるんだろうかということです。さっき申し上げた旗印を掲げて突っ走るっのは問題だよと言っておきながら中立という立場があるんだろうかというのは矛盾じゃないかと感じられる方もあるかもしれませんが、僕自身のなかではそんな矛盾という気持ちは全然ないんですね。もちろんどっちの賛成も直ぐにはしないにしても、これだけ重要な国の基本の問題に関しては必ず新聞としての理念なり理想なりがあるはずなんです。だから、それを持たずにただどっちつかずに中立でいようやという姿勢はあり得ないのではないか。
例えば中日新聞で憲法の論説を書くときにみんなでよく出る、またこれは社の偉い人たちも会議でしばしば言うことなんですけども、「戦争はいかんぞ、戦争は絶対に起こしてはいかんぞ」という基本です。これに関しては、社内でいろいろな意見があっても、絶対に不一致はないんです。そういう基本がなくてただ中立という方針は僕はあり得ないのではないか、という気がしています。

「どこに軸足を置くか」

そういう点から言いますと一番疑問なのは、論憲という言い方で社の姿勢を示している新聞社です。憲法を論じよう、おおいに議論しよう。まぁ、大いに議論するのは結構です。だけど議論するにしたって、今言ったように憲法のような重要な問題ですからその軸足をどこに置くか、ということは大切だろうと思うんです。
戦争は絶対やめよう、場合によっては戦争もしょうがないか、のどっちに軸足を置くかで議論の内容が全然変わってきます。ですから、なんだかんだと議論すればいいというものではないだろうという気はしています。
それからあっちでもないこっちでもないという議論の仕方をする社説なんかもあるんです。形の上では護憲の立場がにじみ出ている社説を書いている新聞社もあるんですが、僕らの眼で見ると、これは腰が据わってないなぁ、何かどっかに遠慮してるなぁと云う感じのすることがしばしばあります。つまり絶対的な価値観を持たない中立というのは憲法問題の社説に関してはあり得ないと思ってます。
私はいまここに個人として来てますから、中日新聞社の公式発言だとは理解しないでほしいんですが、中日の姿勢に関してひと言申します。私どもが社説を書くときに、「戦争はいかんぞ」ってのはこれは誰もいいますが、その他に一番大事にしてきたことは、「これまで日本人が築いてきた戦後の秩序感覚というのは大事にしていこうじゃないか」と云うことです。つまり、戦後的価値観、戦後的な秩序は大事にしていこうじゃないか、と。
それからもう一つ確認したのは、これは別に社是とかなんかで決めたわけじゃありませんが、みんなでこういう考えでいいんだよなぁと云って話し合いの席でよく出るのは、憲法は国民を縛るものではないよなぁ、国民が公権力をしばるもんだよなぁ、これが第二点。
それから、ナショナリズムをあんまり鼓吹するのはやめようやねぇ、危ないよなぁ。それと関連して、ナショナリズムが高揚しているときに憲法を論ずるのは危ないよねぇ、と言う議論もよくしました。
つまり、憲法を考えるときにそう言う軸足がないまま論憲と言ったり、どっちつかずの、中立と言ったって公平ではないという気はしています。

「わけ知り顔で愚直になれない報道姿勢」

あと感じていることをもう一点付け加えますと、これは別に憲法問題に限りません。社説を含めた政治報道一般に考えられることですが、わけ知り顔になってしまうということです。こんなこと言ったって無駄だよなぁ、将来これ実現しないよなぁと内心思ってしまうものですから、書く記事もつい迫力がなくなってしまう。
よく云われることですが、政治を政局に絡めて論じてしまう人がいます。政治の問題として真っ正面からその問題に斬り込んで論評したり分析したり批判すべきなのに、これをこう言っている自民党の思惑はとか、民主党の思惑はとかですね、わけ識り顔に解説してしまって核心に斬り込まないということがしばしばあります。そんな記事に限って、原理原則に照らした批判みたいなものは弱いんです。
例えば自民党の思惑はこうこうこういうことなんだよというところまでは行く、だけどもそうゆう思惑を抱いて行動することは間違っているんだと云うところまではなかなか行かない。ですから、心ある読者、或いは心ある視聴者の方はなんかもどかしくて、イライラしてしまうというような場面があるんだろうと思うんです。
「そんなこと言ったってなぁ」って典型が核問題です。日本の新聞の社説はこれはどの新聞も同じです。反核非核は論じます。つまり、核に反対、核を使うことはいけないことだ、ということまでは論じます。でも、究極の反核、非核は反戦のはずなんですね。ところがなかなか反戦までは行かない。
行かないのはもちろん僕は判っているんです。38年もそういう立場にいたんですから。それを現場の記者たちのためのことも含めて若干の反省も込めて自己批判を説明させていただきます。
なぜそうなっちゃうのか。まず、今の新聞記者のほとんどの人で、戦争賛成、憲法改正賛成と積極的に思っている人はいないと思います。ただ、世論調査をすると、憲法を改正するのはいいことじゃないの、という数字が60、70%出てきちゃうんですね。そうすると、報道する記者の側もなかなか自信が持てないんです。読者の意見と俺の意見は遊離しちゃってるかなぁ、という懐疑心が湧いてくる。憲法に関するここ数年の状況は明らかにジャーナリズムの側にいる人たちが国民のあの反応を見て、自信を失って、戸惑ってるというのが現状だろうと思います。
もう一つは、戦後世代がいまや三分の二を過ぎているということです。改憲の問題をジャーナリストとして担ってるのも戦後世代です。そうすると、今の憲法に対する思い入れ、或いは戦争に対する感覚は、ここにいらっしゃる大先輩の方々とは違うんですね。つまり、皮膚感覚としての憲法感覚とか、戦争認識はないんです。理論の上では理解してるが、皮膚感覚としてはなかなか直ぐ反応できない、という部分がたいへん多いですね。
おそらく、こういう集会にお見えになる方々は、憲法改正って言ったら最初にちょっと待てよ、という感覚が先に立って、それから次ぎに理屈とかいろいろなことが出てくるだろうと思うんですが、戦後世代の、生まれたときから平和があって、生まれた時から今の憲法があった人たちにとってみれば憲法改正って言われたときに、ちょっと待てって感覚になるのはなかなか難しいかもしれません。

「客観報道」を乗り越える

もうひとつみなさん方に物足りなく受け止められている原因だろうというのに、客観報道主義という問題があります。
ジャーナリズムは客観的でなければいけません、って言われています。つまり、あったままに報道しなければいけない。何事も省かず、何事も付け加えずに、つまり偏らずに報道しなければいけません。事実を伝えることと、意見を伝えるところは分けなければいけません、という言い方をしています。そうしますと、なかなか自分はこう思う、ああ思うと思っても、そのままストレートに記事に反映するということは難しくなってきます。
自分の意見を書こう、感想を書こうと思ったら、別に解説とか論評とかいう欄をつくらなければならない。田母神さんの論文が発表されましたということを書くのに、「政府見解と違う論文が発表された」までは書けます。客観的な事実ですから。「とんでもない論文が発表された」と書くと、これはもう、論評になっちゃうんですね。分けなきゃいけないんです。ですから、そこを現実に使い分けなければいけないというしがらみが記者の側にはあるんです。ですが、これは、もう一歩そこを突き抜けると客観報道の制約というのは逃れられると僕は思っています。
例えば写真をひとつ例にとりましょう。
写真だから嘘はありませんよねぇ、そのまま写っているんですから。でも、これ、カメラマンがカメラのフレームで捉えた真実です。このフレームの外側に何があるかによって、このフレームの内側の意味が全然変わってきます。
有名な話があるんですね。ずいぶん前ですけど、アフリカでケビン・カーターってカメラマンが、やせ衰えた少女をハゲワシが狙ってる写真を撮って、「ハゲワシと少女」でピュリッツァー賞という凄い賞を貰ったんです。ところがその時彼に「なぜ少女を助けなかったんだ、写真を撮ってる暇があったら、なぜ助けなかったんだ」という非難が殺到しました。で、そのことが原因かどうかは判りませんが、彼は自殺しちゃうんですね。で、後で同僚のカメラマンが明らかにしたことは、とんでもない、助けるなんて、そんなこと全然必要ないよ、俺の写真を見ろ、って。その同僚のカメラマンが撮った写真になるとですね、上の方に母親が写ってんですよ。母親が国連の援助物資を受け取ってんですよ。だから、ハゲワシが確かに少女の近くにいるんだけども、ハゲワシが少女に襲いかかる雰囲気の場面じゃないんですね。でも、お母さんが写っていたんじゃピュリッツァー賞になるような迫力が全然ないわけです。
どこをつかみ取ってくるかということによって、事実というものが変わって来ますから、わざわざ「とんでもない」という言葉を使わなくても、そのフレームの外側にある事実をいろいろつかんできて、組み合わせて報道することによって、僕は論評の役割は充分出来るのではないか、と思っています。ただそれをやるためには、記者はものすごく勉強しなければなりません。ですから、記者にはたいへんな努力が要求されると思います。しかし若い人たちは後で紹介しますが、たいへんな努力をしていることも事実ですから、そこはあとでちょっと説明したいと思います。

「70%が改憲容認」の嘘

いまのことをもう一回言いますと、写真の話の他に、憲法の問題がいい例ですよね。
先ほど改憲賛成が70%って言いました。しかしそれはみなさま方ご存じのように、よく内訳を調べてみると、環境権の新設がいいからとか、人格権をはっきり盛り込めばいいんだと言ってるんであって、憲法九条改正に賛成が70%なんてことはあり得ませんよね。ここだって、ひとつ勉強して突っ込めばいくらでも事実を書くだけで批判が出来ます。
では、環境権やプライバシー権を書き込もうと云って、そのために憲法改正しようと言っている自民党の人たちが、どれだけ環境権を実現するためにこれまで頑張ってきたか。環境権訴訟なり、環境権を実現しようと頑張ってきた人たちは、むしろ憲法九条を守ろうとしてやってきた人たちではなかったでしょうか。
そういう事実を組み合わせて報道するだけで、何も「けしからん」と書かなくても批判的な力は充分果たせるのではないかと思ってるんです。
その意味で憲法の報道の仕方が若干変わったのかなぁと思ったのは朝日新聞の今年の5月3日の記事でした。九条に絞って世論調査を実施したんです。「九条変えない世論戻る」って見出しでですね、「変える」という意見が23%で、「変えない」が66%。
かつては、23%とか66%というのは主見出しにはならなかったと思います。全体の憲法を変えることに賛成か反対かという意見がメインの見出しになったと思うんです。どこをメインな見出しに書くかだけでも、メッセージは変わってくるんですね。ですから、客観報道というのは基本原則としては大事なんですけども、むしろそれを多面的に、多角的にいろんな情報を集めて組み合わせることによって客観報道を守りながら、きちんと批判力を発揮していけるのではないか、と思ってます。
                            つづく

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ワクチンの力    落石

2009年10月17日 09時31分25秒 | Weblog
朝鮮日報の記事です。

季節性インフルエンザの予防接種を受けた後に
死亡した人が十日間で5人に上ったことから、
同接種に対する不安が広がっている。
そのほか15日には、77歳と91歳の女性が脳卒中で
入院していたことが分かった。

   

韓国では一足早くワクチンの接種が始まっていたようですね。
日本は遅すぎですね。
(自民党政治のせい?)
期待されるワクチンですが、全能ではないようです。
日本のワクチンはどうかな?



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10月17日のつぶやき

2009年10月17日 09時12分23秒 | Weblog
男の涙にも、こんな力があるんだ!(野村監督の涙)らくせき

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天皇即位 20 周年記念式典 DVDを全国の学校配布?

2009年10月16日 21時28分59秒 | Weblog
★メール仲間から表題のようなメールをもらいました。
 内閣府大臣官房総務課が当日上映予定のDVD「天皇陛下 御即位から20年」を作成し、全国の各学校へ一枚ずつ配布するらしいのですが、どういう趣旨で配るのか不明ですし、その予算はどこから出て、どのくらいなのか?政府が血眼で無駄な予算を削ろうというときほとんど見られることもなく図書・視聴覚資料室の片隅に眠ってしまうDVDをなぜ配るのか?私は税の無駄遣いという点からも、まったく理解できません。(まもる)
----------------------------
今年11月12日の「天皇即位20周年記念式典」を前に、内閣府大臣官房総務課は当日上映予定のDVD「天皇陛下 御即位から20年」を作成し、文部科学省を経由して各都道府県教育委員会などに送付しました。マスコミ各社に配布した件についての報道がないですが、文部科学省は都道府県教育委員会・市町村教育委員会を通じ、このDVDを各学校へ一枚ずつ配布するとしていることが、内部情報で明らかになっています。
 私の住む北海道について・・・北海道教育委員会では各教育局に対し、9月11日付の事務連絡「『天皇陛下 御即位から20年』の送付について」で、北海道内の公立学校への配布を連絡しました。

 現在のところ、文部科学省・北海道教育委員会の事務連絡において、各学校への配布については依頼しているだけで、特別に配慮して取り組むことについての依頼はありません。

 天皇即位20年に対して祝意を表すかどうかについてはご承知のように、憲法19条「思想および良心の自由」、21条「集会・結社・表現の自由」および23条「学問の自由」が定められ、国民一人ひとりの内心に関わることであり、学校が配布されたDVDを児童生徒に対し、「強制して」行事や授業で使用することはあってはならいことです。

 記念式典まで一ヵ月を切り、ますます過度になっていくことも予想されます。一国民として児童生徒への「押し付け」とならないよう、今後の動向に注意深く見ていくことが迫られると思います。

              海川 史博(フリージャーナリスト)
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アメリカ側が強気に出るなら「日米安保条約を破棄する」と言えばよい    

2009年10月16日 13時14分17秒 | Weblog
★政権が交代したとはどういうことか。国の方向が変わることを国民が支持したことです。
 何を誰に遠慮しているのだろう。きちんと外交カードを切って交渉すべきだと思います。そういう意味で「あつこばブログhttp://atsukoba.seesaa.net/article/129938420.htmlの小林アツシ氏の下記の意見に賛成です。       (一寸の虫)              
==========================                       
鳩山首相は辺野古(へのこ)での基地建設(いわゆる「普天間移設」)を「容認」したとも受け止められる発言をした次の日、記者団から真意を問われて「そういうことは一言も申し上げてないでしょう」と否定しました。(10月9日、沖縄タイムス)
そして、「時間により変化する」と言ったのは「未来永劫、この国の土地に他国の軍隊が存在することが必要かどうか。そういうファクター(要素)もあるということ」と説明したそうです。(同)
http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-10-09-M_1-001-1_001.html

10月9日の東京新聞の社説では、「県外・国外移設を十分に検討することなく、検証作業も終わらない中での首相の容認示唆発言は、唐突で国民を惑わす。」と厳しく指摘しています。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2009100902000091.html

ところで、鳩山首相の発言の2日前にアメリカで行なわれた日米局長級会談で、アメリカ側は「日本側の話には耳を傾けるが、日米合意の実現が基本だ。再交渉するつもりはない」と語り、「民主党の一部に代案として浮上する普天間基地と嘉手納基地の統合案も「非常に困難」」としました。(共同通信の9日の記事)
http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100901000673.html

こうしたアメリカ側の強硬姿勢が伝わって鳩山首相の発言に微妙な変化が現われたのかもしれません。

その日米局長級会談にも参加していたキャンベル国務次官補が来日し、12日に行なわれたインタビューでは、今後日本側と十分に協議していく意向を示しながらも「すべての代案の中でも(辺野古への移設が)最良の方法だ。(オバマ大統領の訪日前に)十分に進展させてほしい。結論は、オバマ大統領の訪日後になると思う」と発言しました。(日本テレビ)
http://www.news24.jp/articles/2009/10/12/10145631.html#

このように、アメリカ側は強硬姿勢を示していますが、これは「今は強気に出たほうが交渉が有利になる」という判断もあるのではないでしょうか? それであれば日本ももっと強気に「辺野古での基地建設はできない」と示すべきです。

アメリカ側が強行姿勢を崩さないのであれば、日米安保条約を破棄してもいいのです。日米安保条約の第10条には、
--------------------
いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する。
--------------------
と書かれています。つまり日本が「やめる」と通告すれば1年後には安保条約は無くなるのです。

これは別にアメリカとの関係を破壊するわけではありません。軍事同盟である安保条約の変わりに「日米平和友好条約」を結んでもいいのですから。

現実問題としては、「日米同盟は基軸」としている鳩山首相がアメリカに対する交渉材料として日米安保条約の破棄を示すのは、そう簡単ではないかもしれません。

アメリカ側と交渉する政治家や官僚は、こう言えばいいのです。
「日本には安保条約を破棄しようと主張している人達がいます。このままアメリカ側が強硬姿勢を示し続けると、安保条約を破棄しようという声が高まり、米軍は日本にいづらくなります。」

軍事アナリスト 小川和久さんの『日本の防衛力』によると、日本列島は「アメリカが世界のリーダーであり続けるために必要不可欠な戦略的根拠地」だそうです。つまり日米安保条約は、アメリカが世界を支配し続けるために必要としているものなのです。
「万一、日本が「日米安保解消」という最悪の方向に向かい、日本から出ていかざるをえなくなったら、アメリカは世界のリーダーの地位から滑り落ちるかもしれない。」 とのことですから、アメリカ側との交渉のうえでは非常に有効なカードになります。

辺野古での基地建設を許さないためには、「安保条約破棄」という声を広めていくのも有効です。
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つぶやきコメントを。  らくせき  

2009年10月16日 09時53分40秒 | Weblog
NHKのニュースを見ていたら、
つぶやき投稿、というサイトがあって、人気だそうです。
アメリカ発で、オバマさんも政策をつぶやいているそうです。

そこで、しばらく、このブログでも
つぶやきコメントという試みをしてみませんか?

○月○日のつぶやき。
前後の関連一切なし。
今日のつぶやきを一言。


まず、私から「金木犀が良い香り」








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「メディアの憲法報道を問う」②  飯室勝彦氏

2009年10月16日 09時28分18秒 | Weblog
「メディアの憲法報道を問う」②  飯室勝彦氏

「長沼ナイキ基地訴訟の衝撃と脱力感」

38年間新聞記者をやって、なおかつ個人的な関心の面もあるせいですか、裁判を長いこと眺めていることが多かったですね。そうしますと、憲法に関わる問題、或いは憲法が関係してくる場面というのに遭遇することはもう頻繁にありました。そういうなかで、最も印象に深いのが「長沼ナイキ基地訴訟」という裁判です。
1973年1月27日に札幌地方裁判所で「自衛隊は憲法違反である」と明白に言った判決が出ています。福島重雄さんという裁判長が言い渡したんですが、どういう訴訟かということを知らない人のためにちょっと説明しますと、北海道の長沼町というところに自衛隊のナイキJというミサイルの基地を造ったんですね。山の上にミサイルの基地を造りますから山の上を開発します。ただその辺は保安林として大事に保護されている地域です。基地を造るためにはその保安林の指定を解除しなければいけない。当然その保安林の指定を解除しました。
長沼という町は北海道を開拓する人たちが一所懸命切り開いた町なんです。農民運動なんかもかつては盛んだった町なんですが、そこで、山の上に基地をつくるというんで、住民が反対して、保安林解除を取り消せという訴訟を起こしたんですね。論理は要するに、自衛隊の基地を建設するために保安林の指定を解除するんだが、自衛隊というのは憲法違反だから、そのために保安林指定を解除するのは憲法違反だという理屈で訴訟を起こしました。
紆余曲折がありまして、73年の1月、僕はちょうど新聞記者になって未だ10年たっていません。元気盛りのころですね。東京本社にいましたし、この裁判は札幌本社ですから日常的にいつもウオッチしているというわけにはいかないんですけれども、大事な場面にはしょっちゅう取材に行って、判決の日ももちろん法廷で判決を聞いておりました。福島さんという人は明確に言ったんですね。「自衛隊は憲法違反である。だからそのために保安林の指定を解除するのは憲法違反だから取り消す」と。はっきり言ったんです。
いろいろな曲折がありましたから、出ることは予想していました。判決はまぁこんな判決だろうと。しかし、実際に出てみるとですね、これはやっぱり凄い衝撃なんですね。目の前で自衛隊は憲法違反って判決を裁判官が読んだというのは凄い衝撃で、出るべき判決がやっと出たなぁという気持ちが一つです。ところが同時にその反対の気持ちがしましてね、出てしまったなぁ、後は坂を下るだけだなぁというある種の虚脱感ですね。
なぜかと言うと、このまま高等裁判所、最高裁判所に行って、最高裁判所が支持するわけがない。それまでの幾つかの判決を見ていますと、最高裁判所は、例えば在日米軍は憲法違反であるという判決が東京地裁で出たときも、「こういう高度な政治問題に司法は立ち入ってはいけないんだ」と言って逃げました。
統治行為論と言うんですけれども、裁判官は選挙で選ばれてない。政治家は選挙で選ばれてる。選挙で選ばれた人たちが決めた行動は国民の意思を反映した行動だから、選挙で選ばれていない裁判官が迂闊に別の判決を出しちゃいけないんだという、こういう思想なんですね。高度な政治的な問題は司法は立ち入らないんだ、という理屈なんです。
最高裁がそういう姿勢をとってきていますから、こりゃあ頂上に登ったけど後は落ちるだけだなぁと思いました。現にそうでしたね。その後いくつか憲法違反だという判決、もちろん自衛隊違憲判決というのはそうたくさんはないんですけれども、憲法のいろいろの条文に反してるよという判決は結構出てるんです。その後、憲法違反という判決に遭ってもあまり感動しなくなっちゃったんですね。一番大きな問題で憲法違反って判決を僕は目の前でもう聞いちゃってるわけですから。その意味では非常に残念でしたけども、この判決のことでご披露したいのは、私個人の感慨みたいなものでなくて、もっとショッキングなことです。

「私もそう学んだ、しかし判決を書くとなると」

札幌地裁の法廷で自衛隊は憲法違反って判決を聞いて廊下に飛び出しました。社に一報を入れなければいけませんから。その時に知り合いの裁判官にバタッと会ったんです。その裁判官はどういう人かというと、最高裁判所の事務総局というところにいて、課長をしていた裁判官で、旧知の関係にある人なんですね。その時は関西地方のある裁判所の裁判長をしていて、出張尋問と言って、札幌にいる証人を調べるために出張してきていたんです。その人もきっと関心があったんでしょう、廊下で僕にばったり会った時に、「おい、飯室君、どういう判決だ」って言うから、僕がもう、息せき切って興奮して内容を話したんですね。彼が何と言ったと思います。「そうだろう、俺もそう教わったんだよ」ってここまではいいんですよ。「でも俺、今判決書けって言われたら、そう書かねえぞ」って。
正直な男でしてね、これはビックリしましたね。そういう書かないぞって言う人だからかどうかは知りませんけれども、その人はその後、裁判所のなかでは順調に地位が上がっていって、さる高等裁判所の長官になりました。
「自衛隊は憲法違反」と言った福島重雄さんという裁判長はこの判決を言い渡した後、東京地裁に転勤になりました。一見栄転のように見えます。札幌から東京ですから。ところが裁判所にはルールがありまして、地方の裁判所をやったら大きな都会の裁判所に戻すというルールがあるんです。ですからこのルールに従っただけで、栄転でもなんでもありません。まわされたところが手形部で、まさに政治的な判断とか思想的な判断だとか全然入る余地のないところへ異動になったんです。つまりもうこの人には政治的な判断に関わる事件はさせないぞという人事担当者の意思表示ですね。で、その後もこの人は田舎の地方裁判所に転勤しまして、今は公証人をやっていらっしゃるのかな。高裁長官にはなりませんでした。
ただ、やっぱり僕はね、いくら親しい仲だから正直に言ったとしても「教わったけれどもそういう判決は書かないぞ」ということを言ったこともビックリしましたし、その人が出世していったというのは当然だろうなとは思いましたけれども、ものすごく残念だなぁという気がありましたね。

「沖縄で見えてくるもの」

そういうわけで、自衛隊は憲法違反という判決を聞いて感激もしたけどある種の脱力感も持っていた。その脱力感を持っていた自分が打ちのめされたのはそれから約28年ぐらい経ちました2002年のことです。
何があったかと言いますと、憲法改正すべきかどうかが国会で議論になり、衆参両院に調査会が出来ました。衆議院の憲法調査会は中山太郎さんというお医者さんが委員長で、両論併記みたいな意見にまとめたんですが、その意見の議論で、各地で公聴会をやりました。その一環として沖縄にも行って、沖縄の人たちの意見も聴いたんですね。
ここで沖縄と憲法の関係を少し説明しておきます。沖縄の県民は日本国憲法の制定に関わってないんです。憲法が出来たときには本土返還されてませんから、国会に議員を送ってないんです。1946年に日本国憲法が出来た時に沖縄は米軍の統治下ですから代表が来てないんです。沖縄の県民が日本国憲法について公式の場で意見を述べるのは、この2002年の公聴会が初めてなんです。
それで、その沖縄でどういう意見が出たかといいますと、本土の国会での憲法変えろという議論に対する激しい反撃でしたね。政府は平和憲法を活かす努力をしたのか。この憲法じゃ何にも出来ないと言ってるが、本当に平和憲法を活かすという努力を日本政府はしてきたのか。俺たち沖縄では日本国憲法が完全に適用されてねぇじゃねぇか。米軍がいて、米軍が沖縄の県民を轢き殺しても逃げれば裁判も出来ないじゃないか。なのに憲法が古くなったから捨てるって言うの、って迫り方をする人もいました。別の言い方で、今本土は有事法制が必要だなんて言ってるけど、沖縄はもうとっくに有事体制に入ってるんだ。ベトナム戦争のころから有事体制なんだ、という意見が出て、最後は司会をしてた中山太郎さんがえらく怒っちゃうような事態にもなりました。

「目の前にある軍事、戦争」

そういう声を聴いているうちに、何だ虚脱感なんか持ってはいられないなぁと云う感じになりました。そのころ既に論説委員でした。憲法に関する論説を書くことも多かったんですが、沖縄での経験は中日新聞の憲法に関する論説に大きく響いていると思います。
それでは沖縄の人たちが何故そんなに平和憲法を大事にしてるんだろうということをもう少し深く掘り下げて見たいと思います。
今日お出での方の中には戦争を体験された方々もいらっしゃるんでしょうけども、敢えて失礼な言い方をさしてもらいますと、年配の方でも戦争の体験ってのはある種想い出の部類に入っているんじゃないか、と思うんですね。ところが沖縄の人たちにとっては戦争というのは現実体験なんです。
嘉手納基地に行ってみると、基地の脇に安保の丘というちょっと高いところがあるんですね。そこに行くと嘉手納基地が一望に出来るんです。でっかい爆撃機がグゥアーンってしょっちゅう飛び立つんです。僕も嘉手納基地とか普天間基地をのぞき込もうと思ってフェンスの外側を歩いていたら米兵に追っかけられたことがありました。追っかけられると本能的に逃げるんですよね。しばらく逃げたあとに、おい、待てよ、ここは何も米兵に追っかけられる理屈がねぇなぁと思って、あわてて止まるんですけども。つまり沖縄ではそれが現実なんです。話で聞く話ではないんですね。
米軍用地は、数字のことはいろいろ言っても仕方がないかもしれませんが、70%、80%を基地に取られてるって町もあります。返還という方針は決まったが移転が難航している普天間基地は話の上では何パーセントという基地用地の数字が話題になってますが、数字よりも普天間基地のある町の地図を眺めてもらうほうがよっぽどよく判ります。楕円形の市があの市です。基地はその真ん中に玉子の黄身のように占めてるんです。玉子全体があの町で、その真ん中の黄身が基地だと思って下さい。ここからあそこに行くのに基地が真ん中にあるから行けないんですね。ぐるっとまわって行く。下水管引こうと思ったって、真っ直ぐ引けないんですよ。行ってみるとものすごく生で判るんです。

「憲法は憧れの対象」

それから数字で言えばイラクの戦争が始まってから明らかに沖縄では米兵の犯罪か増えてるそうですね。酔っぱらったトラブルも増えてるそうです。アメリカの兵隊さんにしてみればイラクに行ってきて酷い思いをしてきて神経が苛立っているから酒を飲んで、それで、暴走しちゃうという場面、ベトナム戦争のころもそうでしたよね。
もっと酷いのはあそこには県道越え訓練というのがあります。米軍基地と米軍基地の間に県道がはしっているんですね。公道が。で、大砲を撃つ訓練をやるときに県道越しに大砲の弾を撃つんです。ドーン、ドーン。その近くに住んでいる人たちはそのドーン、ドーンを聞いてるんです。戦争が記憶にある戦争じゃないんです。現実にある戦争っていうイメージなんです、あそこでは。
だから僕はよく沖縄旅行にいく学生に、沖縄に行ったら南部戦跡をまわってこないと単位やらんぞなんて冗談を言うんですがね。そのくらいあすこに行くと見えなかったものが見えてくる。別の言い方をすると、平和とか戦争というのが理屈で判るんじゃなくて皮膚感覚で判る、ということだろうと思うんですね。ですから、沖縄の人たちにとっては平和憲法というのは憧れの対象なんです。未だ憧れの対象なんです。私どもは平和憲法を空気のように感じちゃってるかもしれませんが、沖縄の人たちにとっては未だ憧れの対象なんです。そうすると、それを何か履き古した草履のように捨てるのかって公聴会で意見が出るのは、僕は、それは当然だと思いました。
                    つづく

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「メディアの憲法報道を問う」  飯室勝彦氏 東海放送人九条の会の記念講演会から

2009年10月15日 22時09分38秒 | Weblog
★東海放送人九条の会の2周年記念(昨年の十一月)に、中京大学教授で、中日新聞論説委員でもある飯室勝彦氏を迎え、「メディアの憲法報道を問う」という記念講演がありました。会のHPでそれを拝見し大変に興味深く読ませてもらいました。読者の皆様にぜひ紹介したいと連載掲載したいと思います。 (まもる)
        
======================
 「メディアの憲法報道を問う」①  飯室勝彦氏

自己紹介を簡単に申し上げます。私は中日新聞に入社しまして38年間中日新聞の記者をやっておりました。記者として取材対象にしたのは裁判が比較的長かったんですが、最後は論説委員として12年ぐらい社説を書いておりました。今本業の方は中京大学で、こそばゆいんですが、一応教授として学生の相手をしております。
メディアの方の仕事は従でございまして、時に、私が書くべきだと社の論説の責任者が思ったテーマを書かしてもらうということでございます。ですから皆様方のなかにも中日新聞の社説をお読みになって、時に腹をお立てになったり、或いは共感を得られた方の文章の中に私が担当したものがあるかもしれません。
どっちの反応にしましても、新聞社およびライターにとっては非常に励みになるものでして、今後もどんどん手紙、メールなどで新聞社に感想をお寄せいただきたいと思います。
新聞社の中にいると見えないものが外にいると見えてくるという部分もあるんですね。自己批判を込めて今の報道に少し私の考えをご披露させていただきたいと思います。

「改憲熱は下がったのか」

導入部として新聞記事の話から入ります。今年の5月2日、朝日新聞の二面の時時刻刻という欄に「政界、改憲熱 今は昔」という記事が載りました。時時刻刻というのはその時々の一番大きな話題を解説を交えて掘り下げる欄なんですが、「政界、改憲熱 今は昔」というメインタイトルで「首相抑制、民主も乗らず」という見出しがついています。
首相というのはこのころは福田さんでした。要旨を簡単に言いますと、憲法改正の国民投票法案は成立したが、憲法審査会は未だ国会に出来ていない。当時の福田康夫首相は安倍さんと違って改憲ということを全然口にしなくなった。民主党もいまや政権を取ることに必死で憲法には全然関心がなさそうだ、という記事です。
福田さんは改憲のことを何も言わないまま政権を放り出し、いま麻生さんですね。麻生さんも経済問題の対応に追われて憲法改正ということは何も言いません。本来なら麻生さんも安倍さんと同じぐらい改憲意見のはずなんですが何にも言いません。
民主党の方も政権が取れるかもしれないと言うことで憲法にあまり関心を示さない。
とすると5月の朝日新聞の「政界、改憲熱 今は昔」という記事は正しかったのかなぁと思われるかもしれませんが、僕の見方はまったく違います。この記事を読んだときから、そんなことはないぞ、いま熱が下がったように見えるだけで、政界の改憲熱は相変わらず高いよというのが僕の意識でした。
この見方は甘いんじゃないのと思っていた矢先に、田母神論文問題なんですね。航空自衛隊のトップが侵略戦争を美化して、憲法改正すべきだということまで言い出した。
これは僕にしてみれば「やっぱりなぁ、それ見ろ」という感じだったんです。だって、その前後の選挙を見てますと、とても政界の、或いは国民一般の雰囲気が変わったとも思われないんですね。確かに参議院選では自民党を大敗させました。ですから今やとても三分の二なんて取れませんから憲法改正なんてことは言い出せない雰囲気になっていますが、その前の衆議院選では自民党を大勝させています。
そうしてみると、憲法を守る運動が拡がっているのは事実なんだが、その運動とは関係のないところでは、もっと風のようなもの、吹いてくる風のようなものが動かしているんではないか。ですから僕はいつも別の風が吹いてくると怖いなぁと思ってたんです。そういう時に、あの論文が出て来たわけです。ですからあれは、今新聞で扱われている以上にタイヘンな問題だと思っています。ゾッとしています。あれは形を変えた二二・六事件ではないか、という気がしています。
二二・六事件は言ってみれば政治のやり方が気に入らないと言って、軍の指導者たちがクーデターを起こそうとした事件ですね。
あの論文そのものは、あれで3百万円くれれば美味しいなぁという論文です。インターネットでアパグループというページを呼出しますとそこに論文の発表というウェブがありますから、そこで全文引き出せます。

「田母神論文の背景に眼を」

報道で一般的に言われていることは、あの論文は「政府見解と異なることを書いた」ということですが、もっと判りやすく言えばあの侵略戦争を美化し、正当化して、ねじ曲げた歴史の事実の上に日本の立場を組み立てている論文です。
ですから、表面的には「政府見解と異なることを自衛隊のトップが言っている」ということです。これ自体も問題です。政府にきちんと従って、政府の統制に従わなければならない人間が、統制に従わなかったんですからそれ自体問題ですけれども、しかし背景にはもっと重大な問題があるのではないか。第一にあのような人物をトップにした政治の責任という問題があります。任命したのは安倍内閣です。
あの人は隊内の雑誌などにあのようなことを書いてきていますし、発言もしているんですね。それを承知のうえで政府はトップにした。彼があの論文を発表出来たというのは、発表出来る雰囲気が自衛隊内にあったんじゃないでしょうか。これ発表したら「俺えらい目に遭うなぁ」ということを意識してたら、あんな論文を発表しないと思います。だから発表出来ると少なくとも彼が受け止める雰囲気があったんではないか。
三番目は自衛隊の航空幕僚幹部の教育部長とか教育課長という人が論文の募集に応募するよう隊員に働き掛けたという事実ですね。それに応じた人も、或いは自分で独自に出した人もいるんでしょうが、とにかく百人近い人が論文の募集に応募した。これは自衛隊の人事教育部が、隊員の教養を高めるためだ、教養教育のためだと言っているんですが、もっと別のテーマの論文募集だったら、それに応募するように勧めたでしょうか。そこは僕は疑問だと思っています。更に言えばそれに応じて百人もの人が応募する雰囲気があった。もっと問題なのは新聞の伝えるところによると、田母神さんの行動を擁護する声が自衛隊員のなかにも、自民党の国会議員にもあるということですね。自民党の外交国防部会では田母神さん擁護の声がしきりで、辞めさせたことに対する怒りがたくさん出たというくらいですから。
自衛隊の中に政府の見解や方針に不満を抱くグループが存在してきているのかなぁ――そういう「ゾッ」という感じなんですね。だとしたらこれはもう、単なる田母神さんの暴走では済まない問題なんだろうと、政府のコントロールがまったく効いていないおそれがあるということを考えましてゾッとしたんです。ですから結論を言ってしまうと、あれは田母神さんという特異なキャラクターの人が暴走したということで片づけるんではなくて、文民統制という憲法原理が揺らいでいるという捉え方をしないと正しくないのではないか、というのが僕の見方です。

「憲法の文民統制に違反した行為」

じつは、今回の報道では僕自身もちょっと物足りなさを感じます。新聞もテレビもあの報道の初動はよかったと思います。立ち上がりは鋭かったと思います。きっかけは、アパグループが問題になることには気づかないでニュースリリースを自慢げに防衛省の記者クラブに持ってきたというところにあるんですね。防衛省にいた記者たちはそれを見て、これは問題だと言って動き出して当日のあの記事になった。その初動を僕は、非常に立ち上がりは良かったと思って、さすがだなぁと思ってます。
ただ、ちょっとまだ踏み込みが浅いんじゃないかと言ったのは、先ほど私が申し上げた「政府見解と異なることを書いた」ということに眼を奪われすぎて、その言葉が盛んにニュースのなかに出てくるんですが、それは文民統制に反しているんだという集約の仕方が非常に弱かったんです。
文民統制という言葉が頻繁に出てきたのは参議院の外交防衛委員会が田母神さんを参考人に呼ぶということが決まった日からです。「今日、田母神さんが国会に出てくる」という記事あたりから、文民統制という見地の記事になっています。田母神さんを呼ばなくたって、あの論文を書いたこと自体が文民統制の問題だ、という鋭さは未だなかった。
参考人喚問が終わったら途端に報道が止まっちゃいました。今朝はもう田母神問題なんてほとんど新聞記事に載っていません。でもやることは未だいっぱいあったと思うんですね。田母神さんというヘンな人が突然現れたのか、という見地の検証が必要だろうと思うんです。つまり、自衛隊員の中にも自民党の国会議員のなかにも、あの幕僚長を擁護する声があるというのは、田母神さんがあの論文を書いても大丈夫だと思う雰囲気があるんだろうということなんです。
もっと遡って考えましょう。小泉内閣は中谷元という元職業軍人を防衛庁長官にしたんです。防衛大学校を卒業して職業軍人として防衛庁の高級幹部にいた人がたまたま今国会議員だからといって防衛庁長官にしたんです。
それからあのヒゲの隊長、イラクに行って水を配って有名になった佐藤さんと云う人は、国民に人気がありそうだというので自民党が国会議員にしたんですね。その人は現に今度の騒動のなかで田母神さんを擁護しています。新聞記事のなかに談話が載ってます。

「制服組が平気で首相官邸に出入り」

細かく新聞記事を読んでいる人は既にお気づきだと思いますが、そのころから制服の自衛隊員が公然と政治家に接触出来るようになっています。それまでは文民コントロールということを非常に重視して、政治家に説明するのは、同じ防衛庁の職員でも内局という、軍人じゃない人たちがやるという職掌になっていた。それを、判りにくいからと直接制服組に説明させた。
これは石破茂さんが最初の防衛庁長官のころにやった政策の変更ですよね。
新聞記事を読んでみますと、制服組が平気で首相官邸に出入りしている。今申し上げたことは僕固有の知識でもなんでもありません。みんな新聞に載ってます。田母神問題が起きた時その辺を掘り下げて歴史的に振り返って欲しかった。それによって、あの問題に対する理解はもっと深まったんじゃないか、という気はしてるんです。
ただ、そんなまとまった形にしない気持ちというのは僕は38年新聞記者をやってますから判るんです。さっき、今話したことはみんな新聞で知ったことだと云いました。で、記者にしてみれば、もう書いてあるという意識があるんですね。書いてあるから読者もみんな知ってるという気になっちゃうんです。
だけども立場を変えてみると新聞記者は自分は書く側だから書いたことを憶えているんですけれども、読者の側は新聞で読んだって三日も経てば忘れちゃうと思うんですね。大事な問題はこういう時には繰り返し繰り返しまとめて総括していかなければいけないんじゃないかなぁという物足りなさを感じました。
田母神問題は突発的な事態ではなくて、深い根のある問題だと考えた方がいいんではないか、とまとめて別の話題に入りたいと思います。

                          つづく
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