Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

ドビュッシー

2008-04-11 12:21:48 | 読書
青柳いずみこ「ドビュッシー―想念のエクトプラズム」中公文庫 (2008/3)

10年前にハードカバーで出たときは3600円だった.文庫で1200円は高いと思ったが,買うことにした.

著者は有名なピアニストだが,ぼくはその演奏を聴いたことがない.本書のもとになったのは学位論文とのことだが,それにしては読みやすい.ただし帯には
「神秘思想・同性愛・二重人格・近親相姦・オカルティズム….印象主義という仮面の下に覗くデカダンスの黒い影.従来のドビュッシー観を覆し、その悪魔的な素顔に斬り込んだ、一線のピアニストによる画期的評伝―没後90年.頽廃の作曲家の光と闇. 」
とあって,ある種の期待を抱かせる.ちょっと誇大にすぎる.

著者はドビュッシーのLP・CDのカバーには印象派の絵がしばしば使われ,それがドビュッシーの音楽は甘くおしゃれなものだという,固定観念を助長しているとするらしい.たしかにドビュッシーの音楽と印象派絵画とは関係ないというのが正しいのだろう.しかし,印象派絵画は甘くおしゃれではない.また,ぼくはここ数年で,ドビュッシーは初めて平均律を使って平均律でなければできない音楽を作った最初のひとと思うようになった.ドビュッシーはバッハやベートーベンに負けない大作曲家ではないだろうか.

しかしこの本の焦点はそこにはない.ドビュッシーというとぼくが思い浮かべるのはピアノ曲や管弦楽曲だが,じつは本人は文学青年で,歌曲やオペラにエネルギーをそそぎ,しかも途中で放り出したものが多い.その代表がオペラ「アッシャー家の崩壊」である.著者は,このオペラが未完に終わったのは文学と音楽の矛盾からくる必然であるという.人間というものは音楽するときはジキルとなり,文学するときはハイドとなるという喩えはおもしろい.だからドビュッシーのピアノ曲や管弦楽曲には世紀末の退廃の影が感じられないということになる.

ヴァレリー,ヴェルレーヌ,ジード,ボードレール,マラルメ,メーテルリンク,ランボーなど登場人物は多彩.フランス文学が好きならドビュッシーの音楽なんて知らなくても楽しめるという側面も持った本だ.
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