Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

現代文不要論

2015-12-28 15:05:39 | エトセト等
2-3日前の大学の理系研究室の忘年会で飲みながらワイワイ言っているうちに,現代文(現代国語)という大学受験科目が不要ということになった.この秋口には「サイン・コサイン何になる」という発言が話題になったところ.げに,高校教育とは不要・不毛なものらしい.

現代文のうち,文学という芸術に関する部分は不要と思う,というより,芸術を教育することは不可能に決まっている.芸術とはやむにやまれぬ衝動で自分から飛び込むところであって,それは文学に限らず,美術でも音楽でも同じである.
正解がある入試問題を作ればクイズ番組みたいになってしまうから,大学側も苦労しているらしい.
カットの清水義範による「国語入試問題必勝法」は1987年の吉川英治文学新人賞受賞作.Wikipedia から紹介すると,

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大、小、展、外、誤
「内容に最も近いもの」を4つないしは5つの選択肢から選ばせる問題を解くための方法。選択肢は、本文に書かれてある内容を一般論に拡大したもの(大)、本文の一部だけをとったもの(小)、本文の論理を展開したもの(展)、本文の内容と少しずれているもの(外)、単純に間違っているもの(誤)から成り、正解は「外」にある。

長短除外の法則
問題文を読まずに正解を見つけるための第一の方法。選択肢のうち、文章が一番長いもの、一番短いものは正解ではない(だから、除外してよい)。
なお,第二の方法は正論除外の法則。正論のようなものが書かれている選択肢ははずしてよい。

エトセトラ
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ただし生意気な口を聞いていた学生さんがちゃんとした日本語で文章を書けるかどうかは別問題.芸術的な文章とは,如何ようにも解釈できるもので,そこが味わいともなる.しかし世の中で実用的に必要とされるのは,一義的な文章である.高邁な芸術教育は不要だが「マニュアルの書き方」みたいな授業が必要だろう...と,卒論の山を前にしてため息をついた昔が懐かしい.

現代文以外の国語について.必要か否かは別として,古文は外国語みたいなものだから,それを読む技術は教育することはできる.また漢文よりは中国語を教育したほうが有益だろう (現代の中国人にとって,漢文を読むことはわれわれが古文を読むのと似たような状況らしい).でもそれでは「国語」にならない,か!
コメント
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