「水木しげるの娘に語るお父さんの戦記」河出文庫(1995/6).
初版は1975年なので,本当に,当時10代だった娘さんたちを対象に書いたのだろう.だから従軍慰安婦は登場しない.「戦記」と言っても,米軍から逃げ回り,上官からいじめられて,ひどい目にあって死にかけた記録である.でも,とぼけた文体で救われる.
挿画にとても力が入っている.
これはジャングルを一人で彷徨う場面の数枚連続したうちの一枚.見開き2ページに配置されると,このように中央部分が見えなくて興醒めだ.
原画展を開催してもらいたいところ.

本当に命からがら部隊に帰ると「なんで逃げて帰ってきたんだ,みんな死んだんだから,お前も死ね」と来たもんだ.その後マラリヤで寝ているところに爆弾で片腕を失う.
この後が水木さんらしいところで,土人と仲良くなり,上官に何を言われようと土人に入りびたる.敗戦で帰国となると,「軍隊を脱走してここに来い」「畑も作ってやろう」「家も建ててやろう」「踊りも見せてやろう」と言われる,
戦後,漫画家になるまでの経緯が語られ,最後の章では,あの土人を再訪する.
「自然の風土に恵まれた,土の人ののびやかな生活,これこそ我々が幸福と呼んでいる生活ではないだろうか.と思いながらお父さんは,『小さな天国』を後にした」.
土人は差別用語とされるらしいが,著者は土人を「土の人」と定義しているのだろう.
しかし1995年に書かれた「あとがき」では,土人=天国という認識を,ややほろ苦く反省しているように感じられる.
初版は1975年なので,本当に,当時10代だった娘さんたちを対象に書いたのだろう.だから従軍慰安婦は登場しない.「戦記」と言っても,米軍から逃げ回り,上官からいじめられて,ひどい目にあって死にかけた記録である.でも,とぼけた文体で救われる.
挿画にとても力が入っている.
これはジャングルを一人で彷徨う場面の数枚連続したうちの一枚.見開き2ページに配置されると,このように中央部分が見えなくて興醒めだ.
原画展を開催してもらいたいところ.

本当に命からがら部隊に帰ると「なんで逃げて帰ってきたんだ,みんな死んだんだから,お前も死ね」と来たもんだ.その後マラリヤで寝ているところに爆弾で片腕を失う.
この後が水木さんらしいところで,土人と仲良くなり,上官に何を言われようと土人に入りびたる.敗戦で帰国となると,「軍隊を脱走してここに来い」「畑も作ってやろう」「家も建ててやろう」「踊りも見せてやろう」と言われる,
戦後,漫画家になるまでの経緯が語られ,最後の章では,あの土人を再訪する.
「自然の風土に恵まれた,土の人ののびやかな生活,これこそ我々が幸福と呼んでいる生活ではないだろうか.と思いながらお父さんは,『小さな天国』を後にした」.
土人は差別用語とされるらしいが,著者は土人を「土の人」と定義しているのだろう.
しかし1995年に書かれた「あとがき」では,土人=天国という認識を,ややほろ苦く反省しているように感じられる.