東海林さだおアンソロジー 「人間は哀れである」平松 洋子 編集,筑摩書房 (ちくま文庫,2021/12).
著者を週刊誌見開き2ページの漫画挿画入り軽エッセイストと軽んじていたことを反省.ユーモリストの衣に隠れた大ペシミストである.論理の繋げ方を,国語の大学入試に使ったらおもしろそう (じつは小方の文章が入試に使われたことがある).
でもこの著者の本をまるごと読むのは かなわないかも.ぼくの好印象はあちこちから美味しいところをつまみ食いさせてくれた,編集の手腕によるところが大きいかもしれない.
この本のカバーイラスト,左上と右下は「人間は哀れである」という本と同じタイトルを持つ 15 ページほどの挿画である.左上の絵に添えられた文章 (キャプション ?) は本文からは独立している.
本文には,2001 年の夏場所,優勝の貴乃花に当時の小泉総理が,よろけながら総理大臣杯を手渡したときのことが書かれている.著者はテレビを見ていて,「妙に安っぽい色をした靴をはいているな」と思ったのだが,よく見るとそれは茶色のスリッパだった.古式床しい土俵の上の 大男 (貴乃花) 対小男 (小泉),裸対背広という図式のもと,背広にスリッパの男がなんとも哀れに見えた...と続く.スリッパひとつでその人の尊厳が失われ,その人の哀れが露出する,んだって.
ぼく的には尊厳とは程遠い人ではあったが,銃撃されてカルトとの蜜月がばれるというのは,哀れの極みかもしれない.その人を国葬にして支持率を下げるのは,哀れを超越,東海林さんのネタにもなりそうもない.
「人間は...」の最後は,全ての生命体は種を次の世代に繋ぐための単なるヴィークルだから,すべて哀れな存在ということに落ちる.ゆえにライオンも哀れである...というわけで,カバーイラスト中段左に小さくライオンが登場している.
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