江藤淳「妻と私・幼年時代」文藝春秋 (文春学芸ライブラリー 2024/2).
「妻と私」の初出は 1999 年の文春5月号.2000 年に単行本.2002 年に「幼年時代」と合本で文庫化.この文春学芸ライブラリー版は文庫と同じ内容,同じ版形だが, レジで初めて 1400 円と認識してギョッとした.「学芸」というにふさわしい内容とも思わない.
出版社による本の紹介*****
40 年以上連れ添った妻に下った末期癌の診断。告知しないと決め、夫・江藤淳は渾身の看護を続ける。視力の衰え、呼吸困難など病状は進み、診断から約9ヶ月後に臨終を迎えた。自身も重篤な病に冒されるが、気力を振り絞って夫婦最期の日々を記した手記「妻と私」は翌春雑誌に発表され、大きな話題を呼んだ。が、同年夏の雷雨の日、あまりにも有名な遺書をのこし自裁。絶筆となった「幼年時代」、石原慎太郎ら同時代人の追悼文も採録。解説・與那覇潤*****
追悼文は福田和也,吉本隆明,石原慎太郎.江藤淳年譜 (武藤康史編) も.「有名な遺書」は吉本隆明の追悼文で引用されている.この吉本の「妻と私」についての「感動したが,それはたくさんの人にすすめて読者として分け合いたいというものではなく,自分の胸中だけで納得して,秘めておくような性質のもの」と言う言に共感した.
ぼく (16 トン) も感動したが,それは著者が江藤淳だからではない.どなたの看取り記だろうと,これだけ詳しく聞かされたら,感動せざるを得ないだろう.
吉本のはバランスが取れた良い文章だが,石原の追悼文には保守の宣伝・個人との交友関係のひけらかしなどが満載で,反発を感じた.
夫人の死後 江藤は疲労が高じて前立腺炎を発症するが,通夜・告別式のためにすぐに入院することをせず,そのために重篤な状態に陥る.このあたりは 16 トンには理解できないところ.葬式というセレモニーなど,どうでもいいではないか !
絶筆となった「幼年時代」は,軍人やら大学教授やらに囲まれた戦前の上流家庭の記録.小説としてなら良いが,本人の回顧録として発表するのは (初出は文学界 2000) なんだかなぁという感じ.
「脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず,自ら処決して形骸を断ずる所以なり」は彼の遺書の一部だが,こちとら (16 トン) は産まれてこのかた ずっと形骸として生きてきたようなものである.何をいまさら自殺なんて,と思ってしまう.
著者に同情する (この言葉は好まれないと思う) のは,うちと同様に子どもがいないこと,配偶者に先立たれて老境で入院したことなど.もともと著者に良い先入観を持っていなかったので,読後感もそこそこでしかなかった.ごめんなさい.
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます