大江健三郎「取り替え子 チェンジリング」講談社 (文庫 2004/4).単行本刊行は 2000/12 講談社.
表紙・扉では「取り替え子」に「チェンジリング」のルビという表記.
大江長編は初体験.かって何かの短編で,この作家は読みづらい・つまらない という先入観を植え付けられ,それきりになっていたのだ.
今回は書店に「追悼 大江健三郎」の帯付きでいくつかの作品が平積みになっていた中から,巻末の出版当時「マスコミの一部ではセンセーショナルな『モデル小説』として受け止められた」という解説 (沼野充義) に惹かれてこれを選んだ.やっぱり読みづらかった.
文庫裏カバーによれば*****
国際的な作家古義人(こぎと)の義兄で映画監督の吾良(ごろう)が自殺した。動機に不審を抱き鬱々と暮らす古義人は悲哀から逃れるようにドイツへ発つが、そこで偶然吾良の死の手掛かりを得、徐々に真実が立ち現れる。ヤクザの襲撃、性的遍歴、半世紀前の四国での衝撃的な事件…大きな喪失を新生の希望へと繋ぐ、感動の長篇!
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古義人が大江,吾良のモデルが伊丹十三である.
「序章 田亀のルール,第1章 - 第6章 (それぞれタイトルがある),終章 モーリス・センダックの絵本」という構成.第1章 - 第6章で「ヤクザの襲撃、性的遍歴、半世紀前の四国での衝撃的な事件」がこの順で語られる.暴力場面もセックス場面もあるが,おもしろくはない.
死に際して吾良から古義人へカセットテープ 30 巻とそれを聞くためのレコーダーが送りつけられる.田亀 (たがめ) はレコーダーを聞くためのヘッドフォーンで,この愛称は水中昆虫タガメに形が似ているため.16 トンが幼児期を過ごした世田谷にはけっこう水田も残っていて,肉食性のタガメは「ギャング」とされていたが,水質汚染に弱くいつの間にか絶滅してしまったそうだ.
古義人は田亀を介してあちら側の吾良と問答する (吾良が残した録音と問答しているように妄想する).この問答の相手は,先日読んだ芥川賞作品の影響か,ぼくは古義人の意を汲んだ AI が,吾良の口調を借りているように錯覚しそうになった... この作品が AI 時代向き・2024 年向きではない と主張するつもりはないけれど.
全体の 1/3 を過ぎるあたりから,古義人は田亀を日本におきざりにしてベルリンに行き,このころからストーリーが動き始める.
第6章の最後に挿画がある.本文によれば,古義人の横顔とその横顔が鏡に写っている構図を吾良が撮った写真ということになっている.しかし 16 トンには古義人ではなく吾良 (ではなく伊丹) に似ているように思えたが,十代の古義人 (ではなく大江) もイケメンだったのだろう .
タイトルがなぜ「取り替え子」かは,終章 モーリス・センダックの絵本」で明らかにされる.ここでは突然 古義人の妻・すなわち吾良の妹が前面に出てくる.トップ画像右端の Outside Over There が,そのセンダックの絵本である.「まどのそとの そのまたむこう」のタイトルで訳されている.
この終章はかなり唐突.ミステリみたいに,この章は解決編という見方もできるかも.解説が言うように,また帯・カバーの惹句「新生の希望」が示すように,この章がハッピーエンド的読後感も与えている.
伊丹の死が現実にはどう言うものであったかは,当然のことだがこの作品からはわからない.
事実は小説より奇なり??
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