【社説・01.03】:年のはじめに考える 手話で笑顔を広げたい
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・01.03】:年のはじめに考える 手話で笑顔を広げたい
寒さにも負けず、元気に学ぶ姿があります。私立の聾(ろう)学校「明晴学園」(東京都品川区)の子どもたち。幼稚部、小学部、中学部に計65人が在籍しています。
子どもたちは、耳が聞こえなかったり難聴だったり。会話は手話で行い、読み書きは日本語で、という教育を受けています。
小学3・4年の授業を見学させてもらいました=写真。児童らは先生の手話を理解し、発言も手話で活発に行います。
挙手した少女が先生に促され、クラスメートの前へ歩み出ました。手を自在に動かし、顔の動きと組み合わせて意見を伝えます。なんと堂々として、自発性に満ちあふれているのだろう。
手話は言語である-。その事実が、すとんと腹に落ちました。
◆学校が「母語」を奪うな
日本の聾学校ではかつて、手話は禁止されていました。課されていたのは音声を出して話したり、相手の話す内容を口の形から読み取ったりする訓練です。
言葉を懸命に発しても通じなかったり、心ない人にばかにされたり…。健常者の「話し言葉」に合わせて、無理を強いたことは否めません。
これに対し、20世紀半ばに米国の言語学者から「手話も言語の一つ」との主張が生まれました。手話が見直され、2010年の国際会議で教育現場への導入にお墨付きが与えられたのです。
日本でも近年、手話を尊重する「手話言語条例」の制定が自治体に広がっています。ただ、大きく分けて2種類の手話が存在することも知っておきたいのです。
一つは「日本語対応手話」。日本語の単語を、手の動きに置き換えたものです。日本語の文法や語順に従って表現でき、成人後に聴覚を失った人や健常者も習得しやすい。聴覚障害児の教育現場で広く用いられています。
もう一つは「日本手話」。手の動きと、目や口など顔の動きを組み合わせます。日本語と文法が異なり健常者には複雑ですが、聴覚障害児が日本語を学ぶ前に自然に習得できます。明晴学園はこちらを採用しています。
この2種類は語彙(ごい)が一部共通しますが、容易には通じません。
昨年、憂慮すべき裁判の判決がありました。日本語対応手話で授業が行われ学ぶ権利を侵害されたとして、日本手話を使う小学生ら2人が札幌聾学校(札幌市)を運営する北海道に損害賠償を求めた訴訟。札幌地裁は「日本手話で授業を受ける権利は、憲法で保障されているとは言えない」と請求を棄却しました。
同校では日本手話に堪能な教師の退職などで日本語対応手話への移行が進み、児童らは教師とのコミュニケーションが困難となって不登校に至りました。
幼いころから慣れ親しんだ「母語」を奪われ、学びが進むはずがありません。教育の機会均等がないがしろにされています。
◆少数派の文化守らねば
問題の背景には日本手話を使いこなす人材の不足があります。教師や通訳の養成が急務です。
同時に、日本手話に対する社会の無理解や軽視も指摘せざるを得ません。札幌をはじめ多くの聾学校が日本語対応手話を重視するのは、健常者にもなじみやすく通訳も多いからでしょう。
多数派の言語を押し付け、負の歴史を繰り返すことがあってはなりません。
日本手話は数万人とされる使用者の生活や文化、歴史の基盤です。少数派の言語として尊重し、守る発想も必要です。
立教大学(東京都豊島区)の試みに注目します。必修科目であるドイツ語や中国語などの第2外国語とは別に、自由科目としてポルトガル語やタイ語などと並んで日本手話があるのです。
ある学生は卒業後に日本手話を学び直して、手話通訳者になりました。別の卒業生は勤務先の郵便局で聴覚障害者に日本手話で対応して「今後もこの局に通いたい」と喜ばれたそうです。
今年11月には、聴覚障害者の国際スポーツ大会「デフリンピック」が東京を中心に開かれます。参加選手は70~80カ国・地域の約3千人。東京体育館(渋谷区)などを舞台に、21競技で熱戦が繰り広げられます。
大会エンブレムは手をモチーフとして、指の先から花が開くデザインです。
日本語対応手話でも、日本手話でも、コミュニケーションが交わされ、笑顔の花がたくさん咲きますように…。新年の願いです。
元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2025年01月03日 07:14:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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