《24色のペン・01.09》:我が子に希少難病、家族の挑戦=銭場裕司
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《24色のペン・01.09》:我が子に希少難病、家族の挑戦=銭場裕司
発達の遅れが気になっていた長男にようやく診断名が付いたのは4歳半の時だった。
判明したのは、国内で診断された人が当時10人にも満たない希少難病。現在の医療では治療方法も確立されていない。
それから約2年半、家族は新しい挑戦に乗り出し、多くの出会いに恵まれた中で人生の歩みを進めている。
◆障害のある子どもたちの事業所
障害のある子どもたちのために、児童発達支援と放課後等デイサービスを手がける事業所「ヒトノワ南大泉教室」(東京都練馬区)を訪れると南里(なんり)健太さん(43)が迎えてくれた。
ポトキ・ルプスキー症候群。長男である、たいちさん(7)が診断された病名だ。染色体の一部に重複があることで発達の遅れなどが生じるという。この難病が、南里さんが事業所を開設するきっかけになった。
◆感じられた発達の遅れ
たいちさんは2017年、大きな泣き声で元気いっぱいに生まれた。誕生を心待ちにしていた南里さんは「溺愛しました」と語る。
だが、定期的な健康診断で発達の遅れが気に掛かるようになる。1歳半になっても立つことはできず寝ている状態で、座る姿勢も苦手だった。その後も言葉を発することができない。
近所の子どもたちが公園で遊ぶ時期を迎えても、たいちさんはベビーカーの中にいた。
「もう少し様子を見ましょう」「きっと大丈夫」
医師や知り合いからはそう声をかけられたが、もやもやした思いを抱え続けたという。
療育施設で歩行などに向けた訓練を始めたものの、慣れない場所のためか、たいちさんは泣き続けた。1時間近くかけて通っても抱いてあやすだけで終わる日も続き、南里さんが車の中で一緒に泣きながら帰ることもあった。
「本人が来たくて施設に来ているわけじゃないので『たいちゃん、ごめんね』と声をかけました。この時期は本当に苦しかった」
◆「いつまで原因不明なんですか」
3歳になっても発達が遅れている原因は分からないまま「様子見」の状態が続いた。ある時、南里さんは思わず強い口調で医師に尋ねたという。
「いつまで原因不明なんですか。そんなに分からないものなんですか」。…
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