路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

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《24色のペン・01.09》:我が子に希少難病、家族の挑戦=銭場裕司

2025-01-09 06:00:10 | 【障害者を取り巻く諸問題・差別・虐待・雇用・バリアフリー・支援の輪】

《24色のペン・01.09》:我が子に希少難病、家族の挑戦=銭場裕司

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《24色のペン・01.09》:我が子に希少難病、家族の挑戦=銭場裕司 

 発達の遅れが気になっていた長男にようやく診断名が付いたのは4歳半の時だった。

 判明したのは、国内で診断された人が当時10人にも満たない希少難病。現在の医療では治療方法も確立されていない。

 それから約2年半、家族は新しい挑戦に乗り出し、多くの出会いに恵まれた中で人生の歩みを進めている。

<picture><source srcset="https://cdn.mainichi.jp/vol1/2025/01/08/20250108k0000m040076000p/8.webp?1" type="image/webp" />南里たいちさんは3歳半ごろから歩き始めるようになったという。父親の健太さんは確実な成長を感じている=家族提供</picture>
南里たいちさんは3歳半ごろから歩き始めるようになったという。父親の健太さんは確実な成長を感じている=家族提供

 ◆障害のある子どもたちの事業所

 障害のある子どもたちのために、児童発達支援と放課後等デイサービスを手がける事業所「ヒトノワ南大泉教室」(東京都練馬区)を訪れると南里(なんり)健太さん(43)が迎えてくれた。

 ポトキ・ルプスキー症候群。長男である、たいちさん(7)が診断された病名だ。染色体の一部に重複があることで発達の遅れなどが生じるという。この難病が、南里さんが事業所を開設するきっかけになった。

 ◆感じられた発達の遅れ

 たいちさんは2017年、大きな泣き声で元気いっぱいに生まれた。誕生を心待ちにしていた南里さんは「溺愛しました」と語る。

 だが、定期的な健康診断で発達の遅れが気に掛かるようになる。1歳半になっても立つことはできず寝ている状態で、座る姿勢も苦手だった。その後も言葉を発することができない。

 近所の子どもたちが公園で遊ぶ時期を迎えても、たいちさんはベビーカーの中にいた。

 「もう少し様子を見ましょう」「きっと大丈夫」

 医師や知り合いからはそう声をかけられたが、もやもやした思いを抱え続けたという。

 療育施設で歩行などに向けた訓練を始めたものの、慣れない場所のためか、たいちさんは泣き続けた。1時間近くかけて通っても抱いてあやすだけで終わる日も続き、南里さんが車の中で一緒に泣きながら帰ることもあった。

 「本人が来たくて施設に来ているわけじゃないので『たいちゃん、ごめんね』と声をかけました。この時期は本当に苦しかった」

 ◆「いつまで原因不明なんですか」

 3歳になっても発達が遅れている原因は分からないまま「様子見」の状態が続いた。ある時、南里さんは思わず強い口調で医師に尋ねたという。

 「いつまで原因不明なんですか。そんなに分からないものなんですか」。…

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