【小社会・12.24】:魚類学の父
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【小社会・12.24】:魚類学の父
いま旬を迎えているブリはご存じ、出世魚で知られる。サイズで呼び名が変わり、地域によっても違うため、昔は取引する時に混乱することがあったという。
混乱を防ぐには標準名がいる。それを手掛けたのが高知市出身の田中茂穂博士(1878~1974年)だ。別名「魚類分類学の父」。日本の魚研究の基礎を築いた。
その偉業から県内では牧野富太郎、寺田寅彦とともに「高知の科学者の3巨頭」として扱われることが多いが、スター2人と並ぶとやはり知名度は分が悪いか。しかし弟子によれば「土佐人でも珍しい(ほどの)いごっそう」。多数残した随筆は人間味にあふれる。
特徴的なのは、現場感覚や感情など非科学的な考察も試みることだ。例えば魚を美味に感じる66カ条を挙げたり、釣りの極意を語ったり。釣り人の多い都会は「魚が気が動転し、ひがみ根性を出す」などとユーモラスだ。
「学問」の在り方を突き詰めたことでも知られる。田中の研究は富太郎同様にパイオニアだった。研究の意義や手法で自問を重ね、62歳にして「学問は到底わからないものとわかった」との境地を記している(「魚と暮(くら)して」)。それだけ奥が深いということだろう。
翻って近年。学問を巡っては、論争中だった日本学術会議の在り方で方向が固まりつつあるようだ。だが、政府が研究者を選別しようとした事実は残る。田中なら何と言うだろう。きょう没後50年。
元稿:高知新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【小社会】 2024年12月24日 05:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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