2011年4月22日(金) 快晴
歯の治療に行った時歯茎や歯磨き状態を調べられた。紫の薬を塗って磨き残しがあるからと手鏡で見せられた。一日3度食後に歯間ブラシと歯ブラシで磨いているのだが指摘を受けるとちょっとがっかりした。テレビを観ながらでもでもよいから小刻みにゆっくり10分以上磨くようにと指導を受けた。
前にも指導され磨いているつもりだが、10分というのは結構長い。つい5分くらいでやめてしまっているのかもしれない。
自分の健康のためにも口腔内はきれいにしておかなければならない。肺炎の原因にもなる。 なかなか磨ききれないので歯石をとってもらうことにした。1年に1回でなく半年か3ヶ月に1回歯石をとってもらうのはどうだろう。歯科医をあてにして歯磨きがおろそかになるかもしれないな。 皆さんは丁寧に根気よく歯磨きをしておられるのでしょうね。
冬毛が抜ける時期なのでラッシュは外に出しておいた。お天気がよい日だったので花壇に伸びて昼寝。みていると私まで昼寝をしたくなった。
~陽だまりに 寝そべる犬の 愛らしさ~
「京都冬の一人旅44」
第5日目 3月3日(木) 建仁寺境内
建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山。開山は栄西禅師。開基は源頼家。鎌倉時代の建仁二年(1202)の開創で、寺名は当時の年号から名づけられている。
山号は東山(とうざん)。諸堂は中国の百丈山を模して建立された。創建当時は天台・密教・禅の三宗兼学だったが、第十一蘭渓道隆の時から純粋な臨済禅の道場となり、800年の時を経て、今も禅の道場として広く人々の心のよりどころとなっている。
花見小路の北門から入ったので方丈への入り口が分からず迷ってしまった。工事をしていた方に宗務本院より拝観料を払い方丈へ。ここには有名な風神雷神図屏風(国宝)があるはずだが、写真と実物大のレプリカが展示してあった。写真撮影はOK。
風神雷神図には落款も印章もないが、俵屋宗達の真作として、しかも晩年の最高傑作とされている。二曲一双の屏風全面に金箔を押し、右双に風神、左双に雷神を描いている。
奥に進むと 金澤 翔子書「風神雷神」が展示してあった。
金澤 翔子さんは1985年6月、東京都目黒区に誕生。生まれてすぐダウン症と診断されますが、1990年5歳のときに書家である母、金澤 蘭鳳氏に師事し書道をはじめた。10歳のときに般若心経を書き、全日本学生書道連盟展に「花」を出品。以後16歳で「舎利礼」、17歳のとき「觀」で金賞を受賞。19歳のときに雅号「小蘭」を取得。個展などを開き活躍。この「風神雷神」奉納。書の構図が実物の屏風を連想させ、まさに風神と雷神が天を飛翔しているような躍動的かつ力強い作品。
歯の治療に行った時歯茎や歯磨き状態を調べられた。紫の薬を塗って磨き残しがあるからと手鏡で見せられた。一日3度食後に歯間ブラシと歯ブラシで磨いているのだが指摘を受けるとちょっとがっかりした。テレビを観ながらでもでもよいから小刻みにゆっくり10分以上磨くようにと指導を受けた。
前にも指導され磨いているつもりだが、10分というのは結構長い。つい5分くらいでやめてしまっているのかもしれない。
自分の健康のためにも口腔内はきれいにしておかなければならない。肺炎の原因にもなる。 なかなか磨ききれないので歯石をとってもらうことにした。1年に1回でなく半年か3ヶ月に1回歯石をとってもらうのはどうだろう。歯科医をあてにして歯磨きがおろそかになるかもしれないな。 皆さんは丁寧に根気よく歯磨きをしておられるのでしょうね。
冬毛が抜ける時期なのでラッシュは外に出しておいた。お天気がよい日だったので花壇に伸びて昼寝。みていると私まで昼寝をしたくなった。
~陽だまりに 寝そべる犬の 愛らしさ~
「京都冬の一人旅44」
第5日目 3月3日(木) 建仁寺境内
建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山。開山は栄西禅師。開基は源頼家。鎌倉時代の建仁二年(1202)の開創で、寺名は当時の年号から名づけられている。
山号は東山(とうざん)。諸堂は中国の百丈山を模して建立された。創建当時は天台・密教・禅の三宗兼学だったが、第十一蘭渓道隆の時から純粋な臨済禅の道場となり、800年の時を経て、今も禅の道場として広く人々の心のよりどころとなっている。
花見小路の北門から入ったので方丈への入り口が分からず迷ってしまった。工事をしていた方に宗務本院より拝観料を払い方丈へ。ここには有名な風神雷神図屏風(国宝)があるはずだが、写真と実物大のレプリカが展示してあった。写真撮影はOK。
風神雷神図には落款も印章もないが、俵屋宗達の真作として、しかも晩年の最高傑作とされている。二曲一双の屏風全面に金箔を押し、右双に風神、左双に雷神を描いている。
奥に進むと 金澤 翔子書「風神雷神」が展示してあった。
金澤 翔子さんは1985年6月、東京都目黒区に誕生。生まれてすぐダウン症と診断されますが、1990年5歳のときに書家である母、金澤 蘭鳳氏に師事し書道をはじめた。10歳のときに般若心経を書き、全日本学生書道連盟展に「花」を出品。以後16歳で「舎利礼」、17歳のとき「觀」で金賞を受賞。19歳のときに雅号「小蘭」を取得。個展などを開き活躍。この「風神雷神」奉納。書の構図が実物の屏風を連想させ、まさに風神と雷神が天を飛翔しているような躍動的かつ力強い作品。