会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

京都冬ひとり旅 45

2011-04-24 11:59:02 | 旅行
2011年4月24日(日)小雨・薄くもり 
 土曜日は3月11日の震災後に病死した従兄弟の納骨。告別式にはなかなか集まれなかった親族も集まり菩提寺「威徳院」で読経をしてもらい、大塚山の墓地に埋葬した。
 私より10歳も若い独身の従兄弟の死に複雑な気持ちになった。
地震や津波で亡くなられた方や行方不明の方々でご遺体も見つからない方がおられる。火葬もされず土葬で埋葬された方もおられる。
 そういう状況の中で会津若松市ではきちんと告別式・火葬・納骨とできたことはありがたいことである。親族一同感謝している。
 人の命は本当にはかない。独身だった従兄弟は5人兄弟妹の次男。兄弟妹が供養していくことになるだろうが会津にはいない。先祖の供養も考えると墓地はどこにあったらいいのだろうか。私も喜多方市の共同墓地を所有しているが会津若松市からは遠い。
喜多方市に返還して会津若松市内に墓地を求めようかな?などと考える。
  
~ちょとはやい 安住の墓地 見つからず~

「京都冬の一人旅45」 
   第5日目 3月3日(木) 建仁寺 東陽坊  
 金澤翔子書「風神雷神」を観て行くと別室に「○△□」を書いた額があった。変な額だなと思いながら写真を撮った。後でパンフレットをよく見たら「単純な三つの図形は宇宙の根源的な形態を示し、禅宗の四大思想(地水火風)を、地(□)水(○)火(△)で象徴したものといわれる。
 このような思想のもとで作られた庭を「○△□乃庭」という。建仁寺ではどこにあるのか分からなかった。 続いて茶席「東陽坊」(とうようぼう)を外から見た。
 利休高弟の一人、真如堂長盛(ちょうせい)の好みといわれ、秀吉の北野大茶会にて紙屋川の土手に建てられた副席と伝える。手軽屋根の構成が魅力ある草庵茶室の外観を形づくっている。内部は二帖台目の茶席、一帖の合の間、二帖台目席の最も優れた規範的な形といわれる。茶室南側には豊太閤遺愛の鳥帽子石が据えられている。茶室の西側には当寺名物「建仁寺垣」が設けられている。