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会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

京都冬ひとり旅 49

2011-04-28 22:57:15 | 旅行
2011年4月28日(木)  雨・くもり・雨  
 朝方まで雨が降っていた。昨日と一変して寒い。昼間は雨も止んでよかった。
   午前11時~町内の住吉神社春季大祭があった。氏子総代、崇敬者、来賓、区長、一般が本殿でお祓いを受けお参りをした。特に今年は宮司が祝詞の中で東日本震災で亡くなられた方、被災された方へのお見舞いと復興を祈願した。区長代表として玉串を捧げた。 その後社務所で直会。毎年来ていた神官がいないので宮司に聞いてみたら野沢の大山祇神社へアルバイトで行っているとのこと。神社は兼職しないとなかなか大変らしい。  住吉神社の宮司も塩川町の駒形神社から来ている。何時もは会津若松市には住んでいない。神社が私の町内にあるので氏子とともに見回りをしている。  昔は常駐している宮司が居て参拝者も多かったのだが・・・・・・。
 今年は大雪や異常気象のせいか境内の桜が満開。昔は遊び場といえば神社の境内だった。今は公園も設置されているが休日でも遊び回る子どもの歓声は聞こえない。寂しい限りである。  
~子ども達 姿も見せぬ 神社内~

「京都冬の一人旅49」 
   第6日目 3月4日(金)晴れ 酢屋   

金閣寺から四条河原町へバスで移動。歩いて坂本龍馬の寓居跡。これで3度目であった。現在は京都ホテルオークラの敷地になっている場所はかって長州藩邸があったところ。幕末には尊皇攘夷を唱える志士たちが出入りをし、藩邸は政局の中心地となっていた。
 幕末の志士達が奔走した木屋町・高瀬川界隈には寓居跡や命を落とした志士達の石碑が多く残っている。
 木屋町通りに沿って流れる高瀬川は大阪に通じる水運の要路であったことから繁華街として栄え、高瀬舟によって運ばれた木や炭などを扱う木材商が軒をならべていた。
 親しかった坂本龍馬が近江屋で暗殺されるまで身を寄せていた酢屋はこの付近を代表する有力な材木商であった。
 日本のために奔走する坂本に共感し、自宅一室を海援隊の京都本部としていた。
 坂本は2階表西側の部屋に住み、当時酢屋の南側に広がっていた高瀬川の舟入に向けて愛用のピストルの試し撃ちをしたというエピソードも残っている。

 実際に2階に上がってみると部屋は10疊あるかどうかだった。ここに潜伏し志士たちと連絡をとりながら活動していたのだろうか。どうして数日後に暗殺される近江屋へ移ったのだろうか。いろいろな疑問をもちながら説明を聞いた。

 坂本と中岡が暗殺された近江屋は現在コンビニになっていて説明の石碑があるだけだった。
  (続く)