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会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

京都冬ひとり旅 41

2011-04-18 22:28:58 | 旅行
2011年4月19日(火)大風・雨  
 夜中から朝方まで大風が吹き荒れた。2階の部屋の窓が大きく音をたてる。余震かとびくっとする。午前3時に目覚めて眠れず深夜放送を聴いて朝をむかえた。
 午前10時同好会会員のご主人が亡くなられてて告別式があった。会としての慶弔規定はないが会長として焼香。
 2年前に治療して被せた歯が2本とも4月になってとれてしまった。
 とれた物を持って歯科医の診療を受けた。新しくしないでとれた物をそのまま使用。
接着剤でまたつけたただけ。治療費は380円。また取れるかもしれないがすぐ完治してよかった。○○???歯科医といいたかったが従兄弟なのでしかたがないなと帰宅した。

 午後4時 豊齢研ITサロン会津の理事7人で生涯学習センター「稽古堂」の施設見学をする。外見はあまり大きくもなく期待していなかったが、駐車場も広く、研修室もたくさんありインターネトもできるのでパソコン教室をする条件も整っていた。
見学した理事も満足。
 

 見学を終えて会場を移して理事会を開催した。23年度の運営や事業計画について真剣に話し合い懇親を深めて有意義であった。

~稽古堂 心新たに 学習す~

「京都冬の一人旅41」 
   第5日目 3月3日(木)祇園周辺 
建仁寺に歩いて行く道筋が京都らしさを感じさせる艶やかな小路のある花街・祇園。
「京町家はんらりマップ」(京都商工会議所 京町家はんらり会 発行)を見ながら祇園めぐりをした。数年前の写真や今回の写真をまとめてアップします。
多勢の観光客で賑わう「白川南通」「新橋通り」「花見小路」と南座の南西にあるひっそりとした「宮川町通り」などをご覧ください。
 犬矢来に紅殻の格子・・・。古い建物が多く残る祇園の街。
 四条通り一筋北の白川南通りや祇園新橋にはお茶屋も多い。柳や桜が植えてあり巽橋周辺は映画やテレビの撮影場所になっており、記念撮影する人が多い。




  (続く)

 

京都冬ひとり旅 40

2011-04-17 23:12:55 | 旅行
2011年4月18日(月) 晴れ  
 東日本大震災の惨状と収束の見通しも経たない時期に、歓送迎会や懇親会など諸会合、諸行事を自粛した。亡くなられた方、被災された方、避難された方のことを思うと自粛を続けるべきかもしれない。反面、経済活動は沈滞し、生気のない街になってしまう。
 あたりまえの生活をすることが活力を生み復興への支援となるとの考え方もあり、最近飲食を伴う会合も多くなった。
 総会を前にして 午前中城西コミセンの理事会。午後は保健委員会の監査などを行なった。当分このような忙しさは続きそうである。
 
 日曜日は平成23年度「男の味覚会」の第1回4月例会(昼)と総会(夜)を開いた。 4月例会では「茶碗蒸し、混ぜ御飯、蕗味噌」の三種類を作った。
 「挽き肉を入れた蕗味噌の作り方」を紹介します。
 1.鍋にサラダ油を少々入れて熱してから挽き肉を炒める
 2.炒めた挽き肉に、酒を加えてから、砂糖、味噌を加えて混ぜながら味をみる。
 3.生の微塵切りした蕗のとうを加えて混ぜたら完了。
   ※水分をよくとばすことと一旦火を止めて蕗のとうを入れるがこつ。 
    風味があり長持ちする。

 妻の昼食は持ち帰った混ぜ御飯とこの蕗味噌。喜んで食べてくれた。特に挽き肉入りの蕗味噌は好評。 皆さんも作ってみてください。

~蕗味噌は 妻も喜ぶ 春の味~

「京都冬の一人旅40」 
   第5日目 3月4日(月)  
金閣寺はあまりにも有名な観光名所。天候が悪くても観光客は多かった。今更いうまでもないが、1397(応永4)年に足利義満が建てた別荘・北山殿が、義満の死後、鹿苑寺と改められた。お釈迦様を祀った3層の舎利殿が有名。
10分後吹雪が止んだ。鏡湖池を中心とした庭園は室町時代の池泉回遊式庭園で、特別史跡・名勝に指定されている。写真を撮りに戻った。
金箔の屋根に降り積もった雪景色の金閣の写真とはならなかった。
明朝は雪が降るとの天気予報。裏山にある数奇屋造りの茶席・夕佳亭はさっと見て金閣寺を出る。すぐ近くのバス停から祇園まで乗車。時間はかかったが200円。下車して約15分歩いて建仁寺へ向かった。
 

京都冬ひとり旅 39

2011-04-16 22:37:20 | 旅行
2011年4月17日(日)晴れ 
 続けて前日の記事が多いが、昨日16日(土) 朝から忙しかった。午前7時 
4月10日の城西地区一斉清掃が延期されていたが5月8日(日)に実施することになった。
 町内で車を出したり集積場所を提供してくれる協力者の了解を得る。そして庶務に一斉清掃のチラシを作成し組ごとに回覧するよう指示した。

 午前9時30分 退職者の総会がワシントンホテルで開催された。
 東日本震災の影響を受け自粛し、歓送迎会も中止の方向であったが、アルコール無しの食事会で歓送迎会を兼ねた。

午後2時頃帰宅。ポットに種を蒔き畑に仮植しておいた絹さやエンドウを畑に移植す。

 午後5時 住吉神社の社務所で「平成23年度地区子ども会総会・歓送迎会」が開かれた。
 町内会長へ招待状が届いた。中学生までは子供会に所属。会員数は23名。
中学3年生5名が卒業すると夏祭りのお囃子もできない。
子供会を卒業した子ども達にも協力してもらう組織づくりを今年から取り組んでいかなくてはならない。保護者の方々と話しが出来たのはうれしかった。
 
 3.11以来 華やかさはないが、「あづまいちげ」や「アセビ」は早春の花として心に残るものである。今を盛りに・・・・・・。



~歓送迎 アルコール無し しんみりと~


 「京都冬の一人旅39」 
   第5日目 3月3日(木) 金閣寺へ  仁和寺を出ることにはお天気も悪くなり雪も降ってきた。予定にはなかったがそれは一人旅のよさ。「雪の金閣寺」の写真と気持ちが高鳴った。吹雪になりすごく寒かった。 (続く)

京都冬ひとり旅 38

2011-04-15 22:54:18 | 旅行
2011年4月16日(土) 晴れて  
 昨日15日は何時もの金曜日。資源回収の籠の設置は前日に息子と妻がしてくれた。
確認のため朝6時にステーションに行く。袋が3つ出ていた。その内 籠に入れず袋に入れたアルミ缶とプラが置いてあった。昨晩 籠を設置した時は無かったもの。袋から出して籠に入れるくらいはして欲しい。その後、プラの籠にアルミとプラと生ごみを一緒にした袋が入っていた。業者はそれは集めない。
 家庭で仕分けしない袋をそのまま出すのだろう。5月からは豊齢研ITサロン会津の教室が水曜日になったのでイスを持って行きみているしかないかな。

 午前10時~午後1時30分頃まで豊齢研ITサロン会津の理事会があった。先週も話し合ったが震災後の会の運営について。そして、古いソフトを削除し新しいソフトをインストールする研修をした。
 
 帰宅後は畑のアサズキを採取し、夕食に酢味噌あいをして食べた。晩酌によくあった。新鮮なのが一番の贅沢。


~誰れかしら ごみ出し知らぬ 不心得~

「京都冬の一人旅38」 
   第5日目 3月3日(木) 仁和寺 世界遺産 
仁和寺の創建は平安時代、第58代光浩天皇が西山御願寺として着工されたのが始り。仁和4年(888)、宇多天皇は先帝のご意志を継がれ仁和寺を完成させた。宇多天皇は、退位後、出家して仁和寺の住坊をされ、30余年もの間真言密教の修行に励まれた。以来、明治維新まで皇子皇孫が仁和寺の門跡となり、仁和寺は御室御所と呼ばれ親しまれてきた。
 広大な境内は御室御所跡として史跡にしていされ、国宝、重文の伽藍が配されている。
また、御室流華道の家元として、いけばなを通じて文化の向上に貢献している。
 現在、仁和寺は真言宗御室派の総本山であり、平成6年に国連の世界遺産に登録された。

 御室御所跡を代表する建物で、その姿は中世の建築をほうふつさせる。白川砂と杉松に淡彩の世界が開けている。簡素な美を表現した南庭。

池を配した晴れやかな北庭。

 

京都冬ひとり旅 37

2011-04-15 19:37:06 | 旅行
2011年4月15日(金) 晴れて 汗ばむ 
 昨日のブログは区長会総会・歓送迎会を終えた後だったので京都冬一人旅は写真だけになってしまいました。今日は続きをきちんと書きますので読んで下さい。

 14日(木)のこと。午前11時30分山鹿クリニック整形外科予約日だったので診察を受けに午前11時に病院へ出かけた。待つこと40分。12時過ぎに診察を受ける。
 3月初旬に京都旅行をした後、無理がたたったのか腰痛と両足のしびれがひどくなった。歩き過ぎたから筋肉痛だろうと数日ごろ寝した。しかし回復しない。
 
 どうにも我慢できず3月9日(水)山鹿クリニック整形外科で受診。
 医師は市内のT開業医。水曜日の午後だけ山鹿クリニック整形外科へお出でになっている。忙しいのか問診と診察含めて3分。「すべり症 痛み止めと湿布薬」を出しておきますだけ。
 
 次ぎは3月31日(木)の予約。Y医師が診察。年配の方だったがいろいろと問診をし、レントゲン撮影などをして説明もよくしてくださった。2週間後4月14日(木)の予約をしてくれた。
 
 そして昨日である。医師は舘田先生。若いがよく過去のデーターをみながら丁寧な問診そして触診を含め診察。その上今まで撮影しなかった腰の曲げ伸ばし、左肩のレントゲン写真を撮った。私が午前の最後の患者だったので、写真を見せながら現在の私のすべり症を「すべり症 ずれ」と診断し模型も使い具体的に説明してくださった。
 左背骨5関節がつぶれ、ずれているため神経も圧迫されている。そのための病状であるとのこと。
 そしてこれからどうすべきかとの話しになった。手術も選択肢の一つ。すべて成功するかどうかもわからない。実兄が5回も手術し車イスの生活をしているので手術はしたくない。とりあえずブロック注射をしてみることにした。
 初めてのことでどのようになるのかわからなかった。4Fの別室に行き体温、血圧などを測り、尾骶骨近くに麻酔注射をした。1時間ベットに寝ることになってしまった。

 予定外の展開で戸惑いながらも午後3時には帰宅。遅い昼食をとった。

 それから少し休んで城西地区区長会の総会などの資料を持って総会会場「大民屋」へ。
そして庶務としての役務をした。その時のことが昨日のブログの記事です。
 今日は私事をながながと書いてしまいました。腰の痛みは多少残っているがブロック注射をしてしびれがうすらいだのはうれしい。
注射の効果は何日持つか分からないが・・・

~完治せぬ 腰痛と長い お付き合い~

「京都冬の一人旅37」 
   第5日目 3月3日(木) 仁和寺 金堂・中門・参道  
 
 仁和寺が寛永年間に再興された時、京都御所の紫宸殿を移築し本殿とした。本尊は阿弥陀三尊。

重厚な仁王門を抜け、参道を真っ直ぐ行くと、朱も鮮やかな中門をが目に入ります。とパンフレットには書いてありましたが実際は年月が経ち写真のような門でした。
中門をくぐると右に五重の塔、左に名勝御室桜があります。(まだ花は咲いていませんでした)さらに進むと目の前に国宝の気品ある姿がみえました。
その左手には鐘楼、観音堂、、御影堂、右手には経蔵、九所明神などの重要文化財の建造物が立ち並んでいます。
  (続く)

京都冬ひとり旅 36

2011-04-13 22:40:02 | 旅行
2011年4月14日(木) 晴れて暖かい 
 私のブログは前日のことだったり当日だたったりとアバウトでアップしています
今晩のブログも城西地区区長会の総会・歓送会を少しアップします。それぞれが地区の区長。町内の総会を終えた方々。何もかも分かっているに意見をいう。だったら貴方が地区の役員をして活動してくださいと言いたかった。
 大人の世界は疲れる。このブログを書いていたら妻から明日資源回収の日と言われて籠を出しに行きます。午後10時ころ。京都シリーズも続けますが1枚の写真です。

~ものは言う 役は受けない 根無し草~

「京都冬の一人旅36」 
   第5日目 3月3日(木) 仁和寺 金堂  
 (続く)

京都冬ひとり旅 35

2011-04-12 22:44:46 | 旅行
2011年4月12日(火) 晴後くもり 強風 
 まだまだ地震は続く。2日連続震度6弱。12日午後2時7分ごろ、福島県いわき市と茨城県北茨城市で震度6弱。震源地は浜通りで、震源の深さは約10km。地震の規模はM6.3と推定される。気象庁では「大震災後、内陸部のいくつかの場所で地震活動が活発化する」東日本大震災の余震とみている。
 3,11の地震があまりにも大きかったので、その歪みは当分続くのだろうと理解した。応接間に入る。「あれ・・変だ」 ピアノの上に飾っておいたこけしが倒れたり床に落ちていた。人形ケースは無事。中の博多人形の扇子を持った両手が落ちていた。
 こんなことでブログにアップするのも恥ずかしいですが、大きな被害ではないが地震への小さな警鐘と受け止め本棚、戸棚、箪笥などの上の物を片付けた。
 

~続余震 慣れ恐ろしい 初心で~

「京都冬の一人旅35」 
   第5日目 3月3日(木) 仁和寺  

洛中にある西本願寺の飛雲閣と書院の見学ははじめてだったので印象深く感動し思い出の一つとなった。次ぎは洛西北にある仁和寺へ。距離があるのでタクシーを利用した。1,770円。 仁王門を道路を隔てて写す。江戸時代に建てられた左右に金剛力士を安置することから仁王門と呼ばれている。

京都冬ひとり旅 34

2011-04-11 19:46:43 | 旅行
2011年4月11日(月)  くもり 雨 地震M5、M7 
いつまで続くのだろう。大地震の後の余震。朝方よりも夕方5時頃の余震は短時間ではあったが、広範囲にわたった。福島県沖、茨城県沖、千葉県へと南に広がっている。また、内陸部の長野県にも地震が起きている。
 県内では土砂崩れで亡くなられた方もあった。
 我が家のラッシュは怖がって炬燵の中にもぐりこみ震えている。
 地震国日本というが会津は新潟地震以来、あまり被害もなく遠くの出来事のように感じていた。しかし今回は違う。「備えあれば憂い無し」随分前に用意した非常持出袋(リック)を探し出した。中身は乾パン、水の缶詰、救急薬品、ドロップ、手袋、懐中電灯、ラジオなど。もう一度点検して必要な物を用意したい。 
 
  
~大丈夫 思いながらも 準備する~

「京都冬の一人旅29」 
   第5日目 3月3日(木) 西本願寺 白書院  
対面所の西に続く菊の間(国宝)は、襖に濃彩で種々の垣根と秋花や菊を描いて、清楚で華麗な趣が漂っていた。次ぎは雁の間(国宝)襖と貼付には飛翔する雁の群れや水辺に遊ぶ雁を描いて、秋の風趣を表している。また、隣接する菊の間との欄間には雁を透かし彫りにし、隣室の月が眺められるようにしてある。本当に計算尽くされた造りであった。隣室の月とは欄間を丸くくりぬいただけ。それが雁を透かして雁の間から月を眺めているように見えるから不思議。配置、目線などすべて計算されている。ここでも匠のすばらしい技に驚嘆した。続いて白書院(国宝)

 対面所の北裏にある賓客を迎える正式の書院。一の間、二の間、三の間からなっている。一の間は紫明の間ともいわれ最重要の間で、上下段に分かれ、壁面や襖等には中国の古代の帝王尭舜に関する故事が描かれている。また、三の間は華麗な孔雀を描き、孔雀のの間といわれている。畳を取り除くと能が演ぜられるように工夫されている。

 
 次ぎは歴代門主が寺務をとられた私的な室。黒書院(国宝)幾何学紋様 の欄間や、狩野探幽筆の襖・貼付の墨絵等は清楚な趣を漂わせ、一の間の床・連棚の配置、釘隠の意匠にも特殊な考慮がなされている。
 黒書院の前庭には 北能舞台(国宝)があった。
 造営年月日の判明する能舞台では最古のもの。
 西本願寺の飛雲寺と書院は京都の隠れた観光名所です。拝観料は無料。案内人付き。そして国宝の数々をみる事ができる。お奨めの場所です。
  (続く)

 

京都冬ひとり旅 33

2011-04-10 19:36:44 | 旅行
2011年4月10日(日)  快晴 
お天気がよいと気分も晴れ晴れする。雪囲いは一部しか取り外していなかったのですべて片付けた。ついでに畑の草を取り除いたり、くきたち、エンドウマメ、玉ねぎ、にんにく、ニラなどに追肥をした。農作業もしばらくぶりだと気分よくできる。帰若した妻も一緒に農作業したり落ち葉はきをした。一人よりは二人ですると能率もあがる。
 小屋にしまっておいたクンシランは今が見頃。大鉢なので息子に玄関前に運んでもらい飾った。遅まきながらやっと我が家も春らしくなった。作業を終えて食事会へ出かけた。

 昼には創作フランス料理店「厨」で「お取り寄せ食事会」(偶数月)があった。この会は昨年まで開催していた月1回の「厨倶楽部」はしばらく休み。その代わりに開催するようになった。今年2月が初回「牡蠣」、4月2回目「餃子」。会費4000円。食事代と生ビールは飲み放題。おつまみ、ビール以外の飲み物持ち込み自由。
 客と経営者も一緒に飲んだり食べたりする交流の場である。
 
 一時はお取り寄せの品物が入荷できないかもしれないし、大震災や原発の状況下では自粛しようかという話しもあった。しかし市長の要請もあり、こういう時だからこそ経済活動を活性化することも大事であるということで食事会は実施した。
 外の作業もまだ残っていたので約1時間店に居てタクシーで帰宅。
 運転手さんの話し夜の宴会等が自粛ムードで閑古鳥が。
 従業員を休ませている飲食店もあるとか・・・。

 大騒ぎをする必要はないが、歓送迎会や花見を普通どおりやりましょう。

  
~被災地も 否被災地も 出来ることを~

「京都冬の一人旅33」 
   第5日目 3月3日(木) 西本願寺 書院 

飛雲閣の見学を終えると「龍虎殿」に戻り廊下伝いに書院に入る。暖房の無い部屋。虎の襖絵を復元した板戸があった。復元にあたっては真っ黒になってしまった古い板戸に赤外線を当て輪郭を模写し彩色したそうである。その制作過程がパネルで説明してあった。
 よく磨かれた黒光りのする廊下を進むと左に南能舞台、右に国宝対面所(鴻の間)がある。写真を撮る事ができないので西本願寺のホームページの写真を数枚借用して載せました。
 対面所は203疊敷きの大広間。上下段の欄間に雲中飛鴻の彫刻があるので鴻の間といわれている。上段の床には張良が四賢人を率いて恵帝に謁する図が逆遠近法で描かれている。この障壁画は狩野派の渡辺了慶筆。華麗で重厚な趣のある間。

 下段左右の襖絵と上段床の絵の絵の具にはすべて鉱物質が使われているため(金、銀、白は水晶、赤は珊瑚、緑は銅のサビ)、400年の年月を経てた現在でも美しい色を残している。

 また、この対面所の前庭には 重要文化財の南能舞台がある。現存する能舞台としては、日本最大のもの。毎年5月21日の宗祖降誕会には観世流による祝賀能が演じられる。 舞台背景となる松の絵は隠し絵というか近間で見ると真っ黒な板。しかし、対面所の中にはいってみると鮮やかな松が浮かび上がって見える。距離がはなれるほどよく見える。すばらしい表現のしかたと感心した。



京都冬ひとり旅 32

2011-04-09 20:08:59 | 旅行
2011年4月9日(土)  雨
 朝から雨。どんよりとした灰色の雲に何か不気味なものさえ感じる。原発より95kmも離れている地に住んでいるのに風評に惑わされてしまうのは人間の自己防衛のメカニズムだろうか。慌てて買占めなどはしないが、近所のスーパーへ出かけた。
 一つは県内に拠点を置くスーパーヨークベニマル西若松店がある。ここはいつも利用する所だが、納豆、ヨーグルトはお一人様2個までの表示。そして酒類の棚は日本酒も缶ビールも品薄。缶ビールもお一人様2個(6×2)までの表示。
 東日本大震災で仙台のキリンビール、サッポロビール、本宮のアサヒビールが被害にあったため出荷できない。ビールの需要が多くなる時、東京でもビール不足が起きるのではないかとの風評で買占めがあったのだろうか。

 ところが100mばかり離れた大型商業施設アピタでは、駐車場は100台以上停まっていて大混雑していたが店内には品物が溢れていた。納豆は数に制限はありませんの表示。ヨーグルトも同じ。
 同じような大型スーパーでも流通過程が違うと品揃えも違ってくる。当分はアピタを利用しよう。  
~スーパーも ネットワークで 浮き沈み~

「京都冬の一人旅32」 
   第5日目 3月3日(木) 飛雲閣(国宝) 
 
龍虎殿に集まったのは10名。修行僧の案内で飛雲閣へ。小さな裏木戸から入る。
飛雲閣は金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つ。秀吉が建てた聚楽第の一部で、三層からなる楼閣建築ですが、第一層が入母屋と唐破風を配しているように左右非対象になっており、不規則ながら巧みに調和している。
 飛雲閣の脇には黄鶴台があり、寄棟造り・こけら葦の建物で、内部は床の高さが異なっている。一番高い部屋が脱衣所で、階段を降りると控えの間があり、その奥が浴室。10疊ほどの板張りで、隅に唐破風付きの蒸し風呂があり、床板のすき間から蒸気がでるしくみになっていると説明を受けた。
 すごい仕組みでびっくり。蒸気をどのようにしてすき間から出していたのかは説明がなかった。この後鐘楼をみて飛雲閣を出た。  (続く)