会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

肉料理

2011-11-20 21:25:59 | 料理と酒

2011年11月20日(日) くもり・雨  
 疲れは2日後あたりがピークという。昨夜はそれほどでなかった、脚や腰の痛みが出てきた。今日は男の料理「味覚会」の定例会。会場は県議会議員選挙の投票日だったので、いつもの東公民館の調理室は使用できなかったので北会津公民館調理室を借用した。


講師は「創作フランス料理 厨」のシェフ。

<ちょっと豪華にお肉料理>がテーマ。 一品はサーロインステーキと和風ソース、二品目は牛肉のハンバーグとうまみソースを作った。

  <和風ソースの作り方>(10人前)

  『材料』
      ○ しょうゆ 100cc  ○ ほんだしまたはブイヨンひとつまみ
      ○ みりん  100cc  ○ 塩、コショウ適量
      ○ 酒    100cc  ○ バター摘量
      ○ 水    300cc
      ○ にんにく   1片

 ※ 和風ソースは小分けにして冷蔵庫へ。約1週間はもつ。
 ※ ゆでたパスタとあえて和風パスタ完成。
 ※ 白身の焼き魚や焼きホタルに少しかけても美味しい。


柿の始末

2011-11-19 18:15:46 | Weblog

2011年11月19日(土) くもり・雨  
 4泊5日の京都の一人旅を終えて昨夜遅く帰宅した。
 毎日約20,000歩。脚はパンパンと張ってしまった。午後5時頃には宿へ着くようにスケジュールを組んだ。夕食前にぬる目の湯に入り、脚腰をさすり、もみほほごしストレッチをした。今回はマサージを頼まなくても翌日は歩くことができた。また、バス、地下鉄、電車、ケーブル、鉄道などを利用したので交通費も安く済んだ。タクシーは最後の日、650円乗車。
 4泊5日の「京都に魅せられた男の一人旅」は写真や資料を整理しながらアップしたいと思います。

 今日はゆっくり起きてNHK朝の連ドラ「カーネーシン」を視聴して食事。京都に居る時はもう外へ出て歩いていた。ドラマの展開がよくわからなかったが、妻と会話しながらの食事はくつろぐ。
 荷物も届かないので溜まった新聞「福島民報と読売新聞」を読んだり、テレビを視聴したりした過した。

 妻は京都に行く前にもいだ身不知柿の皮剥きをし、ロープに柿を吊るしたり、さわしたりしていた。お天気が悪いので干し柿は上手くできないかもしれない。

 お天気がよくなったらまだまだ生っている柿をもぎをしよう。
 昨年剪定をしなかった身不知柿2本は枝が折れるほど生り過ぎた。摘果もしないので実は小粒。もう少し経つと落下して始末に負えない。思い切って実の成っている枝を切り、畑の片隅に積んで実を腐らせ枝だけ燃えるごみに出すしかない。
 来年の2月頃 思いきった剪定をして木を小さくしようと思った。

 甘柿の大八朔は昨年太い枝を切り、剪定をしたので50個くらい大きい実がなった。
昔は少しくらい渋くても甘柿やさわした柿をよく食べたものだが、今は子どもも孫もあまり食べない。東京の娘は食べたいと言ってくれたのでさわした柿を送ってやる。

 本当に生りすぎた柿の始末に困っている。

 

上司を囲んで

2011-11-13 16:42:19 | Weblog

2011年11月13日(日) くもり・雨  
 本当に○○心と秋の空というが 日替わりお天気で寒い日となった。
 
 昨日は「花っ子カフェ」の閉講式を終え、喜多方市の集まりに出かけた。
 元お仕えした上司を囲む会で平成しきみ会と称して同僚が集まる。
 上司が退職された年から始った会。上司は80歳になられた。一度休会しただけで続いている。19回目。上司はお元気でお話も上手である。お話を聴くのが楽しみの一つである。はじめの頃は県内各地から集まり30数名の会であったが、ここ数年は会津の人間が集まる。ほぼ20名前後となった。

 退職者10名、現職者10名。それぞれ近況を話し合ったが、いずれも元気で自分なりの活動の場をみつけて活躍している。タイムスリップしたような気分。昼間の「花っ子カフェ」とはまた違った雰囲気である。
 色々な会でいろいろな方とのお付き合いをするが、何年経っても同じ職場で夜遅くまで議論し、仕事をした仲間の絆は年齢差を感じさせない独特のものである。


 今までは代行運転で会津若松へ帰っていたが、3年前から宿泊することにした。
      ビジネスホテル(グリーンホテル)のシングル禁煙室、朝食付きで宿泊費6,090円。
代行の値段とほぼ同じくらいの安さである。早めに休んで朝風呂に入り、ゆっくりと朝食を済ませ、コーヒーを飲みながら新聞を読む。午前9時半チェックアウト。
 体調もすこぶるよい。

 14日(月)~18日(金)まで京都へ行き、比叡山、大原・三千院周辺、高尾(神護寺)、槇尾(西明寺)、栂尾(高山寺)、東福寺などの紅葉を観て来る予定です。
この間ブログは休みます。帰ったら“京都に魅せられた男の一人旅”としてアップします。
 




絵手紙クラブ閉講式

2011-11-12 14:38:53 | Weblog

2011年11月12日(土) 晴れ  
 ○○心と秋の空というが 日替わりお天気で温かい日となった。

昨年から「花っ子カフェ」で始った絵手紙クラブも2年間の活動を終え閉講式。
私は昨年は園芸クラブに所属し、今年は絵手紙クラブに所属した。5月の開講式から、指導日と自主活動日を入れて10回。そのうち半分しか参加できなかった。
 それでも講師のすばらしい指導と「花っ子カフェ」主宰者新國ご夫妻の温かい配慮、そして会員との触れあいで絵手紙を学ぶことができて本当によかった。

最後の授業は「顔を描く」。人物でも動物でもよい。閉講式もあるので実質時間は約1時間。最初に講師の先生の描き方をみる。モデルになる人がいない。会員16名中男性は私のみ。女性はお互いに遠慮してモデルにならない。講師の指名で私がモデルになる。
モデルは描く人の額あたりをみるとよい。

 顔の描き始めは中心の鼻から目、口へと描いていく。やはり目は一番大事。スケッチはボールペンで描き5分くらいでできてしまった。
そして彩色。しわの無い10歳以上も若い人物画。うれしい限りである。

 会員は自分の描きたいものをスケッチした。
私は愛犬ラッシュを2B鉛筆で描いた。目と鼻の位置を決めてまわりに描き広げていったらなんとか描けた。犬の顎と鼻すじが難しかった。ボルーペンで毛を少し描き加えた方がよいとのご指導を受けたら馬みたいだった顔が犬らしくなってよかった。
彩色は薄い色から濃い色へと三度くらい塗る。また、白毛であっても薄い灰色で塗る。などのご指導も受けた。

 はじめて体験した絵手紙だが、講師の「へたでいい、へたがいい」のことばにはげまされて?数枚作品が描けてほんとうによかった。
 閉講式で講師が紹介された「やめることは簡単で、続けることは難しい。しかし、やめないで続けることの方が正しいことが多い。才能とは続けることができる力である。」という言葉を大切にして続けていくように努めたい。
 
 そのためには絵手紙をいつでも描き始られるような環境を作っておくことが大事。今から机上を整理して絵手紙の道具を常時出しておくようにしなくたはならないなあ・・・。

 花っ子カフェに集まる楽しみの一つが昼食。
 今回は閉講式というので赤飯と紅白の大福、手作りプリンなど豪華。
 食事をしながら会話が弾む。楽しい、楽しい、楽しい時間を過した。







接地逆転層

2011-11-11 21:59:51 | Weblog

2011年11月11日(金) 雨風  
寒い寒い朝を迎えた。
秋から冬にかけての晴れた風の弱い夜から朝方、「放射冷却」という現象で気温が極端に低下することがある。寒さのため、なかなか布団から抜け出せないし、寝冷えして風をひくのもこんな朝である。この時、地表面付近に冷たい空気、上空に温かい空気が滞留する。この層は日の出とともに霧散。空気が激しく混ざるからだ。もし、日の出前に散歩する習慣があるのなら、接地逆転が起こるような日にはマスクを着けて出かけるのが賢明であある。対流する層の内部には汚染物資が多量に含まれ、ぜんそくやアレルギー性鼻炎などを引き起こしたり悪化させたりすることがある。(福島民報 健康歳時記より)



とあったが今日は日の出もなく雨が降って一日気温が上がらない。室温で10度。
電気炬燵だけでなくファンヒーターで暖をとった。パソコンのある部屋にも石油ストーブを出して暖をとった。
本当に寒い寒い日であった。風邪など引かないように気をつけなくてはならない。
雨が降っていてもプランターのサルビアは真っ赤に咲いていた。夏よりも秋の方が色鮮やかである。
 


美女峠

2011-11-10 19:37:46 | 会津の峠テクテク会

2011年11月10日(木) 晴れ  
 今年度会津の峠テクテク会最後の例会。お天気が心配であったが小春日和の最高の日であった。4月「花見山・信夫山」(福島市)は震災と原発事故で中止。5月「銀山峠」(柳津町)晴天。6月「尾瀬沼裏遊歩道」(檜枝岐村)小雨後晴れ。7月「青松ヶ浜」(湖南町)快晴。8月「銚子ヶ滝」(郡山市)快晴。9月「裏磐梯デコ平」(北塩原村)快晴。10月「あだたら遊歩道」(二本松市)快晴。11月「美女峠」(三島町)快晴。
 毎回参加者は20数名。皆勤者が13名もおられた。12月の反省会(忘年会)で表彰をする。
 
 今年は本当にお天気に恵まれて活動できてよかった。「美女峠」は名前に惹かれて一度昭和村野尻から峠を目指した。実際登って見ると高姫清水までは電力会社の送電線管理のため道はあった。しかし、その先は笹ヤブで歩けない。断念して引き返した。

 3年前から地域興しとして峠を歩くイベントが行われるようになったので、私たちもさこの峠を歩くことにした。

 今回は三島町間方から峠を登り昭和村の野尻へ降りるコース。約8km。
紅葉は終わりに近づいていたミズナラやブナ、ほうの木等の広葉樹の落ち葉の絨毯を歩き、澄み切った青空を眺め、野外でお弁当を食べた。「会津の峠テクテク会」にふさわしいすばらしい一日であった。

 「美女峠」は(びじょとうげ)と呼ばず(びんじょうげ)と読む。
 この峠は、その昔、平家が寿永の乱に破れ平維盛の将目指左衛門慰知親が愛姫高姫と横深の山林にかくれ、生みとき同じ平家の落人で兎窪に住む中野丹下との悲恋の物語から美女峠と名づけられたという。
 藩政時代から昭和初期にかけて南会津から本村を経て、会津若松地方に至る由緒ある峠路で頂上からの眺望はすばらしいものがる。(案内板より)
 


美女峠

大根とサツマイモ収穫

2011-11-09 22:24:14 | 地域情報

2011年11月9日(水) 晴れ  
 11月1日年賀状が発売された。年賀状作成の時期になった。豊齢研ITサロン会津のパソコン教室でも会員の要望に応えて学習する計画を立てている。
 そのため先週2日の教室ではインターネットの学習で干支の辰のイラストなどをダウンロードした。
 9日は住所録作成の学習。担当は私。使うソフトはフリーの“はがき作家”。
1年ぶりに使うソフトなので前日下調べをして授業に臨んだ。
 新入会員もいたのでフリーソフトをパソコンに入れてやる。
 いざ授業をはじめてみると、前からいる会員も忘れていることも多く結構時間がかかった。次回もう一度資料に無いことなども含めて授業することにした。

午後は、豊齢研ITサロン会津の授業を休み、家に戻り妻を連れて市内湊町笹山原へ。
会津若松市菜の花フェステバル実行委員会のサポーターをしているので、その事業に参加。午後1時30分からさつまいもと大根の収穫作業。
会員は笹山営農改善組合の方の指導で収穫作業をした。お天気がよくみんな話しながら楽しく作業をした。
 
12日~13日の地産地消まつりに販売する分を畑に残して収穫した。
作業した会員は、青首大根・辛味大根・??大根(かぶのような)やさつまいもをもらって帰ってきた。夕食は早速新そばと大根の煮物だった。
忙しい日であったが、パソコンだけでなく身体を使って汗をかいたので心地よい疲労感。
夜は晩酌もすすみぐっすりと寝ることができた。

 

冬至の日に

2011-11-08 21:39:50 | Weblog

2011年11月8日(火) 冬至 曇り  
寒い日が続き庭の木々の紅葉が終わり、梅、栗、柿、もみじなどの木の葉が舞い降りてくる。カレンダーも残り少なくなった。暦の上ではもう冬至。霜が降り、雨が降り、一日一日冬が近づいて来る。
 
 昨年のような大雪にならないことを願いながら、オリズルラン,ベンジュラ、トラデスカンティアなどの観葉植物を小屋につるした。君子ランやシンビジューム、デンドロジューム、野ボタンなどはもうしばらく寒気にあてたほうがよいのでそのまま外に置く。
 クリスマスローズは1000倍に薄めた液肥を施し、固形肥料を数粒置いた。根元から若芽が出始めている。若芽がもう少し育ったら古い葉は切り取り日光がよく当たるようにする。そして植木類と一緒に雪囲いの中に入れる。プランター1個は観葉植物の小屋に入れヒーターで温度管理をして冬に花を咲かせるつもり。

 
 
 

若々しく暮らす

2011-11-07 19:17:45 | Weblog

2011年11月8日(月) 曇り  
 99ナインゴルフ11月コンペが会津磐梯カントリークラブで開催された。納会コンペなので参加した。今にも雨が降りそうなお天気で気温も12度くらいで寒かった。
 昨日の日曜日は寒くて炬燵に入ってだらだらとした生活だったので、若々しく暮らすためにプレーに参加した。結果は散々であったが、グリーンの芝の上を歩き、紅葉した木々を見ながらのゴルフは爽快であった。

 朝食を作って食べて午前7時半に家を出るのは結構忙しい。それでも昨夜のうちにゴルフ道具や着替えは準備した。また食事も冷蔵庫の中をみながら準備した。朝食はまいたけを醤油で煮たのがあったので、スーパーからきのこご飯の素を買って炊き込みご飯にした。朝鮮漬け(キュウリなど)とお汁とワカメとシラスで簡単にすませた。

 テレビ番組をみていると高齢者が生き生とダンスを踊り、カラオケで歌い、ウオーキングで体力を・・・と色々なことに挑戦し実践し継続して若々しく暮らしている。
 「(若くいたいという)持続する志」とか「せっかく生きるのなら健康に老いたい」との目的意識などが明確にあることだろう。それが生活の一部になっている。
 若返りを狙うために、そういう“何か”と出合いたいと思う人は多いだろう。
 私は○○をしないと気持ちが悪い、寝付きが悪いというレベルまでには達していないが若々しく暮らすために、NHK午前6時半のラジオ体操は毎日。ブログは毎日とはいかないが続けている。
 そしてラッシュの散歩。もう一つ20年以上日記(今は3年連続日記)を書いていること。あと付け加えれば“すこしばかり好奇心がある”ことかな?

中野不動尊

2011-11-06 23:43:00 | 旅行

2011年11月6日(日)くもり後雨  
日曜日は朝から雨で寒い日であった。ゆっくり起きて朝食。ラッシュも来ないので散歩もしない。炬燵に入ってだらだらとテレビを見て無為に過した。身体を動かさないでいると腰痛が再発したみたいでなんとなくだるい。
 雨が降っていたが近所のスパーへ傘をさして夕食の買い物の出かけた。往復約3,000歩。2階でバランスボールや自転車でストレッチ。すこしすっきりした。

 脳と手先を動かすために中野不動尊のことをアップします。
 

11月3日(木)きらく会旅行 浄土平で昼食をすませ福島市へ入ると澄み切った秋空。快晴。中野不動尊は、福島県福島市にある寺。寺としての名前は曹洞宗中野山大正寺。日本三大不動尊のひとつに数えられている。
 “中野のお不動様”で知られる中野山は開かれてから820年になる。本殿には「勅願仏」が祀られていてる。治承3年の春に恵明道人が一匹のカモシカに導かれて中野の山に入った。当時は人跡未踏の秘境。長い間人々によって洞窟が掘られ、講堂などの施設が建立され寺院として整備されていった。境内には厄除・眼守・三ヶ月の三大不動明王が祀られて、願うことはどんなことでも叶えられるといわれ、特に厄難よけ、病気平癒の霊験はあらたかで、六三除けの祈祷は、ここから全国に広まったといわれている。

 駐車場から歩いてすぐ石段があり、あがっていくと朱塗りの大日堂が岩肌に建っている。お参りして下ると洞窟。ここを巡るコースと巡らないコースがあったが、洞窟を巡るコースを選んだ。

中野不動尊も開かれてから数百年の間は建物が一つも無かった。命がけで山道を登って奥の院に詣でた人々は、そこに二日も三日も泊まることがあった。こうした人々や修験者建ちによって雨露をしのぐために掘られたのが奥の院「七つの洞窟」。今は七つの洞窟がつながって、巡れるようになっている。
 洞窟の内部は、いくつかの横穴が枝のように分かれ、それぞれの行き止まりがやや広くなっていて、ここを単座と呼んでいる。むかし、そこでおこもりをしたり修行をした。いまこの三十六箇所の単座には、三十六童子が一つずつ祀られている。洞窟めぐりは三十六童子を拝む参道でもある。

 洞窟を抜けると急に明るくなり木立の間に朱塗りの大日堂と岩山から流れ落ちる滝が見えます。道なりに歩くと「あんど釜」(復元)が展示されていた。由来は、鎌倉時代の弘安6年(1283)頃、この地方に疫病が流行し凄惨を窮めた。住持道慶が洞窟に籠もって病魔退散の加持祈祷を続けていたある日、不動明王の化身が現われ、数種の薬草の名を告げた。道慶はその薬草を山野から採取し、大釜で煎じ、牛車に積んで歩いて病人達に飲ませたところたちまち平癒した。施薬はしばらく続けられたので人々は安堵し、「あんど釜」とよんだ。
 出口近くには、洞窟から流れででる清水があり、岩窟の清水、こと清水、とげぬき地蔵などがあった。
 団体旅行だったので慌しく見てまわった。今度は個人で来てゆっくり見て廻りたいとおもった。
中野不動尊