会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

筋肉痛

2012-08-21 20:27:43 | Weblog
2012年8月21日(火)快晴 猛暑日35.4度
 今日も朝から暑い。室内にいても33度以上である。じわーと汗がでる。一昨日の会津鉄道主催の「ワクワク・ドキドキ深沢鉄橋&桑原トンネルハイキング」の疲れがどっと出た。持病の腰痛(すべりずれ症)が悪化して左の大腿筋やふくろはぎの筋肉がパンパン。2階へ上がるにも痛みが激しく辛い。自分なりに筋肉のもみほごしをするが痛みは取れない。
  
7月に眼の手術をしてからプールを休み、ストレッチや水中歩行などの運動もしていなかった。5kmのハイキングも軽く考えて参加したため筋肉痛になってしまった。
 情けない。いろいろなイベントに参加するにはその内容をよく検討して事前の準備が必要であることを痛感した。芦ノ牧の猫駅長バスのようにマッサージをしながら終日ゴロゴロとして過ごした。 



白菜の苗

2012-08-20 22:49:59 | Weblog
2012年8月20日(月)猛暑日 35.2度 


 朝から灼熱の太陽が全空を照らしじりじりとした一日であった。いつもの年だと8月15日前後に白菜の種を蒔く時期である。
連日のこの暑さで畑はからからで掘り起こしても土が硬くて細かくするのに苦労している。それでもこの時期に白菜の種を蒔き苗を作り植え付けないと白菜が結実しない。起耕して畝ができれば直播も可能であり、これが一番強い苗になりよい白菜ができる。
しかし、干上がったような畑では直播しても芽がでない。ポットに種を蒔き苗を作ることにした。
この作業もなかなか大変です。ポットの底穴を赤玉土(中粒)で塞ぎ、草花や野菜の培養土を入れる。そこに細かい白菜の種を4から5粒細い串先で入れる。神経を使う作業です。その後たっぷりと散水して発芽を待つ。56鉢できた。種が残ったのはお天気をみながら畑に直播してみる。

鉄橋とトンネルを歩く

2012-08-19 19:43:10 | 地域情報
2012年8月19日(日)快晴 
 会津鉄道主催の「ワクワク・ドキドキ深沢鉄橋&桑原トンネルハイキング」に妻と二人で参加した。
 
 ハイキングの特徴:普段は、絶対に入ることのできない鉄道施設(深沢鉄橋、桑原トンネル)で散策することです。
 コース=西若松駅9:20に集合受付(注意事項等の説明)10:07列車に乗車し→10:42芦ノ牧温泉南駅下車→10:45ウオークスタート→深沢鉄橋と桑原トンネル→深沢鉄橋を見下ろす橋→芦ノ牧温泉南駅 さよこの蔵見学→大川ダム公園→大川公園駅ゴール後解散13:43発→西若松駅着14:02
参加者=50名  参加費=500円(含保険料) 電車賃往復=1,200円は各自払い

西若松駅方面から乗車した人と会津田島方面から乗車した人が芦ノ牧温泉南駅で合流しヘルメットをかぶり線路脇を歩きながら深沢鉄橋の上に着いた。

鉄橋は枕木があり下の川が見えるのかと思っていたら、コンクリートの枕木と砂利が敷いてあり下は見えない。社員の説明を聞きながら桑原トンネル内を歩いた。初体験。この鉄橋とトンネルは大川ダムができる時に作られたので新幹線の線路の工法と同じ。トンネル内の線路は800mあり繋ぎ目がないそうです。どのようにしては現場まで運んだのだろか?。また、トンネルは入り口部分は鉄筋が入っているが内部は鉄筋が入らずコンクリートで固めてあるだけだそうです。




 トンネルを抜けて坂を上り一般道に出て、深沢鉄橋を見下ろす橋まで歩いた。10分くらい待っていたら快速電車がトンネルを抜けてやってきた。鉄橋の上で一時停車してくれたので写真を撮ることができた。この場所は普通閉鎖されているので写真を撮ることは難しい場所である。

 
 しばらく歩くと桑原集落に着いた。この集落は大川ダムができるので全戸移転した新しい集落である。この小さな集落にギャラリー“そよごの蔵”があり「切り絵と絵手紙」が展示されていた。見学を終え芦ノ牧温泉南駅に着いた。集落の区長さんが茹でた新じゃがいもやトウモロコシ、冷たい麦茶、キュウリやトマトなどを提供し接待してくださた。30分ばかり休憩して昼食をとった。

 集落も駅も、線路も大川ダムの湖底に沈んでいる。現在 芦ノ牧温泉南駅だが、昔はくわばら駅といった。その名残を示す標識が集落会館前にあったので写真におさめた。


 昼食後 緩やかな坂道を40分くらい歩いて大川ダム公園に行き、大川ダムの地下を見学した。(一年中15℃のひんやりとした空間)
その後大川ダム公園駅まで歩き、快速電車に乗車して帰宅した。(普通快速は停車しない)
 赤字経営の会津鉄道だがいろいろな企画をして企業努力をしている。小さな鉄道会社だが無くなっては困る。いろいろなイベントに参加して応援しましょう。






 



八重の桜 2 八重と戊辰戦争

2012-08-18 21:26:38 | 地域情報
2012年8月18日(土)ひさしぶりの雨。晴れ 
 早朝のラジオ体操をするために早起をする。雨が降った後の涼風が開けた窓から吹きこみ清々しい。気持ちのよい一日が送れそう。トマトは雨が降らないほうが甘くなっておいしい。他の野菜は雨が降らないと水やりしなくてはならない。幸い屋敷内の畑なので水やりはなんとかつづけられた。農家の人たちは苦労されているようだ。
 昨日の雨は恵みの雨だった。もう少しほしいが雨が降ったのでキュウリやナス、オクラも生き生きとしてきた。一時 実がならなかったがまた収穫できそうである。午前10時ころまでは畑仕事をしたが、気温が上昇したので室内へ入り高校野球を視聴した。溌剌とした球児の姿にいつも感動する。中3の孫も野球部で活躍しているが、どこの高校を受験するのかで甲子園の夢が生まれる。野球の強豪校といわれるところは全国から選手が集まっている。地元の普通高校では甲子園の途は遠い。孫の進学には口出しはしない。
 
 午後から北公民館へ行く。講座「八重の桜」二回目 講師は石田明夫氏。
 暑い日であったが多くの受講生が聴講した。
 新島八重(山本八重子)の鶴ヶ城籠城を中心にした講話。その内容をいくつか箇条書きで紹介してみます。
 初めは新島八重(山本八重子)について
○京都府同志社大学創始者と知られる新島 襄婦人。 ○弘化2年(1845)11月3日生まれ。若松城下、米代二丁目。
 ○父の権パは、会津藩の砲術師範。母は、「佐久子」。6人兄弟の三女。 ○戊辰戦争前の元治2年(1865)頃藩校日新館の砲術教授但馬(兵庫県)出石藩出身川崎尚之助と結婚。慶応4年(1868)に離婚。(23歳)。その後会津美里町付近に住む。 ○明治4年(1871)兄覚馬を頼って京都へ。キリスト教に入信し、新島襄と出会う。  ○明治7年(1932)6月14日、京都で88歳にて死去。


次に戊辰戦争籠城戦(84歳時、平石弁蔵への手紙『会津戊辰戦争』大正6年刊)について
○城の籠城者数5,235人(病人570人、奥女中64人、婦女子575人)死者2,977人。
○兄覚馬は砲術の専門で、兄の影響で一通り砲術を習った。○8月23日早朝、敵が侵入し母佐久子と姉のうら子は避難。八重は決死の覚悟で、大小を挟み、鉄砲(スペンサー銃)と弾薬を身につけて廊下橋から入城。 ○入城後、昼は負傷者の看護、夜は断髪して夜襲。○その後、西出丸で狙撃したり、北出丸から大砲を撃った。 ○籠城中子どもが会津唐人凧を揚げたこと、山川大蔵一行が三本松の獅子を先頭に入城したこと、9月14日の総攻撃のすさまじさなど。 ○降参の旗は、長さ3尺、幅2尺ぐらい、小切れを多数集めて縫い合わせ降参と書き、三箇所に立てた。 ○9月22日午後城の受け渡し。
「明日の夜は 何国(いづこ)な誰か ながむらん なれし御城に 残す月かげ」の歌を三の丸東側(現プール)にあった雑物蔵の壁に笄(こうがい)で彫った。・・・・・・。などく資料ををもとに説明。
大河ドラマではどのように表現されるのか興味がある。次回が楽しみ。








 

暑い日が続く

2012-08-17 19:09:29 | Weblog
2012年8月17日(金)晴れ 
 非常に蒸し暑い日であった。朝から燃えた。全国高等学校野球大会。第二回戦の第一試合で福島県の聖光学院は埼玉県の浦和学園と対戦。後攻の聖光は1回表を0で切り抜け裏でホームランを打ち3点先取した。よい流れができたと思ったが、2回表に4点を入れられ逆転された。
一挙に流れが変わり11対4で敗れた。悔しい涙を流した選手達に〝よく戦った”と拍手を贈りたい。

 室内にいても34度前後。湿度も高い。じわーと汗が吹き出てくる。戸や窓を閉めてクーラーをかけようかと思ったが、パラパラとお湿りの雨が降ったのでクーラーはかけなかった。暑さ退避場所にしている応接間は27度に設定し冷房をかけている。お客さんを通したり、熱中症対策で家族が憩う場所だから・・・。

 いつまで続くのだろうかこの暑さ。夏は暑いほうがよいと強がっていたがさすがに参った。
 夕方の一時的な雨の後、昨日に引き続き草刈をした。一応きれいになったのでほっとした。




 

草刈りと墓

2012-08-16 21:31:55 | Weblog
2012年8月16日(木)晴れ 
 昼間は35度以上になるとテレビで天気予報を報じた。少しばかりの雨だったが草刈りをするには草が濡れていたほうがよいので早起きした。いつもの午前6時半からのラジオ体操を終えて身支度を整え外に出た。

 昨日刈った続きを刈る。自宅から離れた場所だが夏草茫々のままにして置くわかけにもいかないので草を刈る。枝豆やトウモロコシが順調に生育している。もう少し経ったらハクビシンやカラス対策にネットをかぶせなければならない。家庭菜園もなかなか大変です。朝仕事を終え入浴して食事。すっかりお百姓さんです。

 盆の16日。妻の実家の墓参り。喜多方市上山墓地公園へ行く。熊が出没した目撃情報があったので、市の広報車が墓地公園に来て食べ物などは置かないようにとアナウンスしていた。この墓地公園には喜多方に住んでいた若い時購入した規格墓地がある。自分を埋葬する墓地は確保してあるが現在住んでいる会津若松よりは遠い。この墓地を喜多方市に返納して新たに会津若松に墓地を求めようかと思案している。

 墓参りを終えて帰宅。裏庭の夏草が気になる。暑い日中を避け、午後4時から草刈りをした。妻は石畳のあるところや花壇の草を手で取っている。私は草刈り機で除草した。刈り取った草の始末も大変だが、数日そのままにしておいて乾燥させてから始末する。
 少しハードな生活をしたので無理しないように気をつけなくてはならないと自戒した。

 
 

 






元気の源 ウナギ

2012-08-15 15:28:59 | Weblog
2012年8月15日(水)晴れ 終戦記念日
 外からの爽やかな風が吹き込み室内では過ごしやすかった。一旦外出すると蒸し暑くじわーと汗がにじみ出てくる。
そろそろ秋・冬野菜の準備をしなくてはならない時期になってきた。例年白菜は15日前後にポットに種を蒔き、苗が育ってから畑に植え付ける。今年は雨が降らないので畑の土が硬くて土づくりに苦労している。夕方ぱらぱらと雨が降り、その機会をとらえて駐車場と周辺を雨に濡れながら草刈りをした。わずか数十分で雨は止んだ。明日残りの草刈りをする。


 今日は盆の15日地獄の釜も開き休みとか? 盆休みの時である。無理して草刈りをする必要もない。明日残りの草刈りをすることにしてやめた。向かいの息子家族は嫁の実家に行っていない。いつも留守番で我が家に来る愛犬ラッシュも同行してこない。
 昼時に妻が「夕食はウナギでも食べたいね」という。さっそく〝えびや”に電話して夕方の予約をした。

 草刈りをして汗をかき、シャワーを浴びる。坊主頭に近いのですぐシャンプーで頭を洗う。眼の手術で短く刈り込んだ頭髪が今は気にいっている。長髪にはしないかもしれない。


 一風呂浴びて〝えびや”へ。お盆で店は混んでいたのだが、昔からのお付き合いと早めの予約がよかったので畳の席に座れた。
 土用丑の日に元気の源ウナギを食べなかったので今夜食べれてよかった。午後7時過ぎ帰宅して雨が降り出した。明日の朝まで降って止んでくれればよい。雨上がりの草刈りは能率があがる。今夜はゆっくり寝て、明日のお天気次第の生活をしよう。



新盆 友を偲ぶ

2012-08-14 21:57:11 | Weblog
2012年8月14日(火)雨・くもり・晴れ 
 何日ぶりの降雨だろう。一晩降った雨のおかげでからからに乾いた土地はしっとりと濡れ、草花、樹木、野菜は生気を漲らせた。同時に雑草といわれる草が元気を取り戻して繁茂し始めた。会津では恵みの雨であるが、京都宇治市や大阪などでは局所的な豪雨があり洪水の被害がでている。同じ降雨でも悲喜交々である。
昨日は盆の入り。実家に線香上げに行く。向かいのS氏の新盆なので線香上げにいった。

 今日は、先月亡くなった親友の新盆なので仙台まででかけた。珍しい方にお会いした。50数年前の大学生の時親友の家に泊まりにいったことがあった。その時お会いした親友の実姉と再会。ずーとずーと昔のことで親友の実姉はよく覚えておられなかったが、下宿生活をしていた私にとっては親友のお母さんや家族の接待がとっても嬉しかったことなどをお話しできてよかった。
 
 親友とは大学入学してすぐに学級委員になったことがきっかけであった。その後、山想会を立ち上げて山歩きを楽しんだ。宮城県の泉ヶ岳や二岐渓谷、蔵王連山、朝日連峰、飯豊連峰、栗駒山、早池峰山、安達太良連峰、吾妻連峰縦走など思い出はつきない。大学3年生の時(昭和38年の夏)テントを担いで約1ケ月 北海道を歩いた。特に大雪連峰を縦走した時のことが懐かしく思い出されてならない。このような活動の記録を〝青春紀行”として退職した平成11年にまとめてくれた。几帳面な男であった。



 5年前胃癌全摘出を受け余命3ケ月といわれたが、手術後順調な回復を見せて山歩きなどもしていた。、昨年秋に私の胃癌の手術には親身になって相談にのってくれワインを開けて飲み交わした。お土産は彼が元気でスイスでスキーを楽しんでいる時の写真を合成し酒のラベルに貼ってプレゼントした。とっても喜んでくれた。それが、急変し帰らぬ人となってしまった。残念でならない。
 亡くなる2週間前には会津に来て私の手術の快気祝いを届けるといっていたと奥様からお聞きした。そののし袋には「故 明 小生の分 長生きしてください」のメモ。親友の気持ちが分かり涙が溢れ、墓前に長生きすることを誓っておいとました。

夕方東北高速道は上りが松川ICから郡山までが20km以上の渋滞だったので、松川まで行かず飯坂ICで高速を下りた。土湯峠を越え一般道を走行し、猪苗代から高速磐越道にもどり会津若松市へ帰った。
 

 





冬瓜

2012-08-13 15:29:16 | 料理と酒
2012年8月13日(月)晴れ・くもり・雨 
 じゃがいも畑のとなりに草が生えないように植えておいた冬瓜が四方に蔓を伸ばして大きな実をつけていた。収穫した冬瓜をジャガイモ堀りに参加した方々にお持ち帰りを呼び掛けたのだが、大きな冬瓜をみて申し出がない。そこでいくつかに分割して持ち帰ってもらった。


 私の家庭でも冬瓜が食材として使ったことがない。畑に野ざらしはもったいない。いくらか小ぶりのものを持ち帰った。
 さて調理をどうしようかとなった。向かいに住んでおられる年輩の方に尋ねた。子どものころから食べているといっていくつかの調理方法を教えてもらった。インターネットで調べたらそれぞれの郷土で食べ方はいろいろである。100以上のレシピが載っていた。


 イタリアン料理の前菜でも食べたし、京料理でも食べたことがある。くせがない冬瓜。どんな食材とも相性がよい。茄子炒めのようにして食べてもよい、冷汁にしてもよい。 妻は冬瓜を茹でてあくを抜き茄子を入れ、鮭缶をあけて鮭肉を入れあんかけをした。レシビなどがないアバウトな料理だったが薄味で、まろやかでとってもおいしかた。”おいしいよ”と妻に感謝のことばをかけた。
Yahooの百科事典によると
冬瓜は
[学名:Benincasa hispida Cogn.]

ウリ科の一年生つる草。トウガ、カモウリ、カモリともいう。熱帯アジア原産で、ジャワ島では全土の平地に自生している。栽培はアジアの熱帯から温帯に及ぶ。日本では平安時代に栽培されており、『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に記載されている。茎は地上をはって伸び、白い短毛を帯びる。普通は三つに分岐した巻きひげがある。葉身は掌状に5~7裂する。夏季、葉腋(ようえき)に黄色の単性花を1個ずつつける。果実は長さ30~50センチメートルで、日本では臼(うす)形の果実をつける系統と、円筒形の果実の系統とが栽培されている。若い果実には毛があるが、秋に熟すにつれて脱落し、灰白色ろう質の粉を吹いたようになる。内部は熟すと中心部にすきまを生ずる。種子は白色で、すきまの周りに多数ある。貯蔵性があり、冬に至るまで品質を保つのでトウガンの名がある。栽培には高温を好む。直播(じかま)きするが、小苗を育てて移植してもよい。草勢が強く、栽培は容易で、畑に放置し、つるが伸びるに任せる。

じゃがいも掘りとバーベキュー

2012-08-12 18:39:58 | 地域情報
2012年8月12日(日)晴れ 
 昨晩雨が降ったので今日は涼しい日になるのかなと思ったが、日差しが強く暑い日となった。
 
 今日は会津若松市湊町笹山原でじゃがいも収穫祭。菜の花フェステバル実行委員会の主催。春先に菜の花フェステバルサポーターが植え付けたじがいもが収穫期を迎えた。市政だよりで市民に参加を呼び掛けたところ、サポーター以外にも多くの親子連れが集まった。
 じゃがいもは「男爵と北あかり」。収穫したじゃがいもは各自ビニール袋に入れて持ち帰った。私は、北あかりだけ一袋もらった。
 
 じゃがいも収穫の後、畑から10分ほど離れた猪苗代湖小石ケ浜に歩いて移動。
 環境生活課の職員から、猪苗代湖に関する話を聞き、湖岸清掃をおこなった。昼食は職員やボランティアが準備してくれた焼きそば、じゃがバター、バーベキュー(肉とトウモロコシ)、味噌きゅうり。初対面の方々ともシートや椅子に座ってお話ししながら会食。
 夏休みの日曜日。我々団体以外にも、家族連れ、グルーップ、他団体が思い思いに湖岸に場所をとり湖水浴を楽しんでいた。
 食事後は、ゲームやスイカ割などのレクリエーションを楽しんで解散した。参加した子供たちは夏休みのよい思い出ができたことだろう。