「男の子は本気になるのが遅くて、(天王山といわれる)六年夏が終わってからだったりする」とかよく聞きませんか?? でも我が家の場合、そのつもりで待ち続けていたら、夏が終わるどころか結局こんなに寒くなっちゃったよ!! と思ってました。去年の今頃。
なるべく楽をしようとするこじろうと粘り強く話し合いを重ね(親子バトルとも言う)、毎日の課題を設定し、その日の分が終わったらゲームをしていいよとニンジンをぶら下げ、課題がすめばそれの確認をし…と、勉強を親の力で回していくのは疲れます。いったい、いつになったら本気になるのだろうかと。
この場合、親の立場で期待している本気というのは、ごちゃごちゃいわれなくても自分から時間を惜しんで勉強に真剣に取り組み、メシ・フロ・ネル・学校以外の時間は勉強第一と思ってくれるような「やる気」のことでしょうか。
その意味でいうと、結局最後の最後まで、またろうもこじろうも「本気」を見せてはくれませんでした。一月後半も着々とゲームが進んでましたしね。
もっとも、私自身の中学受験だって、そんな「本気」を出したことはありませんでした。さらに言えば、大学受験のときですら、勉強以外のことにずいぶん時間を取っていて、自分の気力体力時間を限界まで使って高みを目指そうなんてことはしていませんでした。でもあれはある種の「本気」だったとは思います。
つまり、目標大学を定め、彼我の距離感を掴み、最終的にそこに合格できるには何をしたらよいのかブレークダウンして、日々の課題を組み立てて、それをこなす。それを自力でできる状態を「本気」と呼んでもいいんじゃないでしょうか。というか、こじろうがそんなことできたらすごくうれしかったんですけどね。
それは、私が中学受験のときにできていなくて、大学受験のときはできていたというように、なにより本人の成長が必要ですし、目標にもなんらかの強い必然みたいなものが必要ですね。小学六年生の、特に幼いタイプの場合、今日明日に期待できるものではないでしょう。
それでも、こじろうの中にも「本気の芽」みたいなものがあり、それをつなぎあわせることでなんとかなったのだと、今にして思います。
(1) ○○中に合格したい、という「本気」
こじろうは、六年最初ぐらいだとまだこのあたりが希薄でしたが、第一志望校をはっきり決めて、後期日特(志望校別)が始まってからは、だんだん気持ちが高まってきたようです。ただ、それが日々の努力に結びつかないんだけど…
(2) 得点するぞ、というテスト中の「本気」
またろうは最後までこのあたりが弱くてつかみどころが難しかったのですが、こじろうの場合はわりと早い時期からここははっきりしていました。競争とか点数とか、そういうわかりやすいのは好きらしいです。
もっとも、それが上滑りして結果は悪い、ということもあったので難しいところですが、2/1までにかなりこの部分は成熟してきたと感じました。例えば、得意の算数も、満点を目指して全部手をつけたあげくコケるのではなく、ぐっと押さえて捨て問を作り、浮いた時間を確認にあてて確実に八割取る、というような「現実的な欲の出し方」ができたようです。
(3) 勉強時間の中での「本気」
こじろうは、当日に獲得できるゲーム時間のような、短期的な「にんじん」にはよく反応して、親子で合意に達した課題についてはなるだけ短時間に済ませて母のOKをもらえるようがんばることができました。というか、秋くらいからできるようになりました。勉強時間が短くても、その中では速さ・正確さ・深い理解を求めて頭に汗をかいているということがとても重要です。こじろうの場合、ちょっと短すぎましたけどね…
このような、
やる気のカケラがあれば、なんとかあとは親の腕力で回すこともできる
と思います。
当時の様子については過去の記事をご参照ください。
「自律的勉強への遠き道のり」
「こじろうのストライキ」
「こじろうのストライキ、その後」
次に気になるのは、親が子どもの尻を押して、無理やり中学に入ったとして、そこから深海魚にならない?? ということかと思うのですが、それについては明日書いてみます。
なるべく楽をしようとするこじろうと粘り強く話し合いを重ね(親子バトルとも言う)、毎日の課題を設定し、その日の分が終わったらゲームをしていいよとニンジンをぶら下げ、課題がすめばそれの確認をし…と、勉強を親の力で回していくのは疲れます。いったい、いつになったら本気になるのだろうかと。
この場合、親の立場で期待している本気というのは、ごちゃごちゃいわれなくても自分から時間を惜しんで勉強に真剣に取り組み、メシ・フロ・ネル・学校以外の時間は勉強第一と思ってくれるような「やる気」のことでしょうか。
その意味でいうと、結局最後の最後まで、またろうもこじろうも「本気」を見せてはくれませんでした。一月後半も着々とゲームが進んでましたしね。
もっとも、私自身の中学受験だって、そんな「本気」を出したことはありませんでした。さらに言えば、大学受験のときですら、勉強以外のことにずいぶん時間を取っていて、自分の気力体力時間を限界まで使って高みを目指そうなんてことはしていませんでした。でもあれはある種の「本気」だったとは思います。
つまり、目標大学を定め、彼我の距離感を掴み、最終的にそこに合格できるには何をしたらよいのかブレークダウンして、日々の課題を組み立てて、それをこなす。それを自力でできる状態を「本気」と呼んでもいいんじゃないでしょうか。というか、こじろうがそんなことできたらすごくうれしかったんですけどね。
それは、私が中学受験のときにできていなくて、大学受験のときはできていたというように、なにより本人の成長が必要ですし、目標にもなんらかの強い必然みたいなものが必要ですね。小学六年生の、特に幼いタイプの場合、今日明日に期待できるものではないでしょう。
それでも、こじろうの中にも「本気の芽」みたいなものがあり、それをつなぎあわせることでなんとかなったのだと、今にして思います。
(1) ○○中に合格したい、という「本気」
こじろうは、六年最初ぐらいだとまだこのあたりが希薄でしたが、第一志望校をはっきり決めて、後期日特(志望校別)が始まってからは、だんだん気持ちが高まってきたようです。ただ、それが日々の努力に結びつかないんだけど…
(2) 得点するぞ、というテスト中の「本気」
またろうは最後までこのあたりが弱くてつかみどころが難しかったのですが、こじろうの場合はわりと早い時期からここははっきりしていました。競争とか点数とか、そういうわかりやすいのは好きらしいです。
もっとも、それが上滑りして結果は悪い、ということもあったので難しいところですが、2/1までにかなりこの部分は成熟してきたと感じました。例えば、得意の算数も、満点を目指して全部手をつけたあげくコケるのではなく、ぐっと押さえて捨て問を作り、浮いた時間を確認にあてて確実に八割取る、というような「現実的な欲の出し方」ができたようです。
(3) 勉強時間の中での「本気」
こじろうは、当日に獲得できるゲーム時間のような、短期的な「にんじん」にはよく反応して、親子で合意に達した課題についてはなるだけ短時間に済ませて母のOKをもらえるようがんばることができました。というか、秋くらいからできるようになりました。勉強時間が短くても、その中では速さ・正確さ・深い理解を求めて頭に汗をかいているということがとても重要です。こじろうの場合、ちょっと短すぎましたけどね…
このような、
やる気のカケラがあれば、なんとかあとは親の腕力で回すこともできる
と思います。
当時の様子については過去の記事をご参照ください。
「自律的勉強への遠き道のり」
「こじろうのストライキ」
「こじろうのストライキ、その後」
次に気になるのは、親が子どもの尻を押して、無理やり中学に入ったとして、そこから深海魚にならない?? ということかと思うのですが、それについては明日書いてみます。