こじろうはポカミスが少ない系で、でも難問は解けないので、簡単な問題ほど良い成績になり、
またろうはポカミスが多い系というか、存在そのものがポカミスと不可分という感じなので、難しい問題ほど良い成績になります。
このように分けて育てた覚えはないので<(^-^)>、持って生まれた性質としかいいようがないのですが、それを言うならよしぞうとまたろうはそっくり同じことになってもよさそうな気がします。
よしぞうとまたろうは、「脳みそのかたち」がよく似ているらしく、数学のセンスや空間把握能力に優れ、字が下手で、英語がめちゃくちゃできません (こじろうと私は方向音痴で、整った字が書ける)。また、日常生活で明らかなように、「不注意」が人格の本態をなしているという点はばっちり共通しています。
しかし、ペーパーテストで発揮する力となると、よしぞうとまたろうは大差です。またろうは中学受験をすることすらできなかったし、中学の間にものすごく改善はしたものの、今でも点数を取るのはかなり下手なのに対して、よしぞうは中学受験で難関校をモノにしました。この違いは何から来るのでしょうか。
よしぞうに、「そんなにうっかりしているのに、ペーパーテストでは点がとれたのはなぜ?」と尋ねましたところ、極意はとにかく
チェックルーチンを組み込むことだそうです。
要するに、全部解き終わって「見直しタイム」を取るとかそういうことではなくて、ポイントポイントで「チェック」することを「手順」として入れてしまうということのようです。この場合、「チェック」するというのはもちろん、もう一度解くという意味ではなくて、何か別の方法で確認するというところが重要です。
私はよしぞうと比べると、そんなにうっかりしやすいたちではないのでかえって、そんなに明確なチェックルーチンを持とうとしたことはありませんでした。こじろうも同じです。よく、計算ミスを減らす方法として、途中式や計算をしっかり後から追えるように書くといいますよね。こじろうはいくらいっても、問題用紙のすみっこのぐちゃぐちゃ計算が直らず、まったく確認不可能なあいまいな方法で解いていましたが(結局本番まで…)、それでもほぼ十分な精度が出ましたので、残り時間もないことですしそのままのスタイルでいってもらいました(*)。
私は、子どものダブル受験が終わったこの二月から、ボケ防止に(^^;; 公文を始めました。中二教材からのスタートです。始めは、ありえないほど間違えまくりで、数は違うわプラマイ違うわで、自分でも呆れるほどでしたが、だんだん慣れてきたら急速に間違わなくなりました。
つまり、年を取って(錆び付いて)基本精度が落ちたら、よしぞうの言うところの「チェックルーチン方式」が必須になったわけです。一元連立方程式(未知数xとyがあって二つ式があるやつ)は簡単で、加減法なり代入法なりでxとyを出したら、最後に使ったのと違うほうの式にぶちこんでみればいいわけです。途中で計算ミスしていればつじつまが合わなくて気づきますから、これは花丸(五枚ノーミスクリア)がたいへん取りやすい単元です。
また、多次関数と直線の交点なんてところだと、グラフで確認できるから間違えにくいし、今やってる積分で面積求めるところだと、面積は見た目でそんなに正確にわかるわけじゃないですが、途中でプラマイ逆にするほど激しく違えば、「え?? ここが1より大きな面積なわけないじゃん」などと気づきます。
結局のところ、自分がよくわかっている単元であれば上手な「チェックルーチン」を組み込めるし、よくわかってないとどうしましょ(^^;;となりますが、多面的に見られると理解も深まりミスも減るということでしょうか。
そう思うと、小六時点のよしぞうが、着々と「チェックルーチンの組み込み」を開発して算数で満点近くを取れたのは、算数がよくわかっていたからでもあるし、また一番重要なことは、そうやってプロセス的にミスを減らそうとする改善マインド(気合い)を持っていたということだと思います。
さっき、「脳みそのかたち」がよく似ていると書きました。ベースの能力的な部分の凹凸はよしぞうとまたろうでほんとにそっくりなのですが、性格の部分はかなり違います。よしぞうは勝負に辛くて火事場の集中力があります。またろうも「たまに」自分の好きなことに類稀な集中力を発揮することはあるけど、それはテストだからといって自在にスイッチを入れられるものではないようだし、おおむね勝負には淡白です。だから、性格だから直らないとまではいわないけど、性格だから自動ではチェックルーチンが組み込まれないとはいえる。
自ら改善する勢いを持っていない子の場合どうするかといえば、わかりやすいチェックルーチンから親がアドバイスして組み込むということが考えられます。例えば、こじろうの場合、間違えやすかった「あてはまらないものを選べ」「あてはまるものをすべて選べ」「あてはまるものを二つ選べ」のようなところに印をつけるといったことはある程度効果があったようです(でも直ったのはぎりぎり年明けくらいか)。
計算に関してチェックルーチンをアドバイスするとすれば…やっぱり計算跡がわかるようにしっかり書いてもらうしかありません。ぐちゃぐちゃ書いてる場合じゃないよ。
「うっかりミスと付き合う」…私が公文を始めたときの話
「計算ミス対策: 公文の効果は??」…公文を始めてしばらく経ったときの話
「公文の落とし穴」…計算ミス対策、注意事項
(*) こじろうの算数は私の算数(中学受験当時)よりだいぶ正確です。中学受験では困りませんでしたが、この先、高校数学まで来たときに必ず限界を感じるときが来るでしょう…またその点については別の機会に考えるとして。
またろうはポカミスが多い系というか、存在そのものがポカミスと不可分という感じなので、難しい問題ほど良い成績になります。
このように分けて育てた覚えはないので<(^-^)>、持って生まれた性質としかいいようがないのですが、それを言うならよしぞうとまたろうはそっくり同じことになってもよさそうな気がします。
よしぞうとまたろうは、「脳みそのかたち」がよく似ているらしく、数学のセンスや空間把握能力に優れ、字が下手で、英語がめちゃくちゃできません (こじろうと私は方向音痴で、整った字が書ける)。また、日常生活で明らかなように、「不注意」が人格の本態をなしているという点はばっちり共通しています。
しかし、ペーパーテストで発揮する力となると、よしぞうとまたろうは大差です。またろうは中学受験をすることすらできなかったし、中学の間にものすごく改善はしたものの、今でも点数を取るのはかなり下手なのに対して、よしぞうは中学受験で難関校をモノにしました。この違いは何から来るのでしょうか。
よしぞうに、「そんなにうっかりしているのに、ペーパーテストでは点がとれたのはなぜ?」と尋ねましたところ、極意はとにかく
チェックルーチンを組み込むことだそうです。
要するに、全部解き終わって「見直しタイム」を取るとかそういうことではなくて、ポイントポイントで「チェック」することを「手順」として入れてしまうということのようです。この場合、「チェック」するというのはもちろん、もう一度解くという意味ではなくて、何か別の方法で確認するというところが重要です。
私はよしぞうと比べると、そんなにうっかりしやすいたちではないのでかえって、そんなに明確なチェックルーチンを持とうとしたことはありませんでした。こじろうも同じです。よく、計算ミスを減らす方法として、途中式や計算をしっかり後から追えるように書くといいますよね。こじろうはいくらいっても、問題用紙のすみっこのぐちゃぐちゃ計算が直らず、まったく確認不可能なあいまいな方法で解いていましたが(結局本番まで…)、それでもほぼ十分な精度が出ましたので、残り時間もないことですしそのままのスタイルでいってもらいました(*)。
私は、子どものダブル受験が終わったこの二月から、ボケ防止に(^^;; 公文を始めました。中二教材からのスタートです。始めは、ありえないほど間違えまくりで、数は違うわプラマイ違うわで、自分でも呆れるほどでしたが、だんだん慣れてきたら急速に間違わなくなりました。
つまり、年を取って(錆び付いて)基本精度が落ちたら、よしぞうの言うところの「チェックルーチン方式」が必須になったわけです。一元連立方程式(未知数xとyがあって二つ式があるやつ)は簡単で、加減法なり代入法なりでxとyを出したら、最後に使ったのと違うほうの式にぶちこんでみればいいわけです。途中で計算ミスしていればつじつまが合わなくて気づきますから、これは花丸(五枚ノーミスクリア)がたいへん取りやすい単元です。
また、多次関数と直線の交点なんてところだと、グラフで確認できるから間違えにくいし、今やってる積分で面積求めるところだと、面積は見た目でそんなに正確にわかるわけじゃないですが、途中でプラマイ逆にするほど激しく違えば、「え?? ここが1より大きな面積なわけないじゃん」などと気づきます。
結局のところ、自分がよくわかっている単元であれば上手な「チェックルーチン」を組み込めるし、よくわかってないとどうしましょ(^^;;となりますが、多面的に見られると理解も深まりミスも減るということでしょうか。
そう思うと、小六時点のよしぞうが、着々と「チェックルーチンの組み込み」を開発して算数で満点近くを取れたのは、算数がよくわかっていたからでもあるし、また一番重要なことは、そうやってプロセス的にミスを減らそうとする改善マインド(気合い)を持っていたということだと思います。
さっき、「脳みそのかたち」がよく似ていると書きました。ベースの能力的な部分の凹凸はよしぞうとまたろうでほんとにそっくりなのですが、性格の部分はかなり違います。よしぞうは勝負に辛くて火事場の集中力があります。またろうも「たまに」自分の好きなことに類稀な集中力を発揮することはあるけど、それはテストだからといって自在にスイッチを入れられるものではないようだし、おおむね勝負には淡白です。だから、性格だから直らないとまではいわないけど、性格だから自動ではチェックルーチンが組み込まれないとはいえる。
自ら改善する勢いを持っていない子の場合どうするかといえば、わかりやすいチェックルーチンから親がアドバイスして組み込むということが考えられます。例えば、こじろうの場合、間違えやすかった「あてはまらないものを選べ」「あてはまるものをすべて選べ」「あてはまるものを二つ選べ」のようなところに印をつけるといったことはある程度効果があったようです(でも直ったのはぎりぎり年明けくらいか)。
計算に関してチェックルーチンをアドバイスするとすれば…やっぱり計算跡がわかるようにしっかり書いてもらうしかありません。ぐちゃぐちゃ書いてる場合じゃないよ。
「うっかりミスと付き合う」…私が公文を始めたときの話
「計算ミス対策: 公文の効果は??」…公文を始めてしばらく経ったときの話
「公文の落とし穴」…計算ミス対策、注意事項
(*) こじろうの算数は私の算数(中学受験当時)よりだいぶ正確です。中学受験では困りませんでしたが、この先、高校数学まで来たときに必ず限界を感じるときが来るでしょう…またその点については別の機会に考えるとして。