三月の発表会のために練習を始めた、フォーレのノクターン第四番は、お指ばりばり動かないと弾けないテクニック系ではないし、そんなに長くもないのだが…
譜読みはかなりてこずって、ようやくレッスン三回目の今週、最後のページまで「めくった」。この曲は、出だしがまず「フラット三個」で、真ん中の盛り上がるところでは「フラット六個」になる。臨時記号もいっぱい、和音も凝ったのがいっぱい出てきて、CDでは聞きなれた曲なのだけれども、耳で聞いた音が鍵盤上でどのキーを押せばでるのか私にはわかってないということだろう。
とりあえず最後まで辿り着いたものの、その「フラット六個」のあたりがなんだか「わかるように聞こえない」と先生が指摘し (当たり前だ。わかって弾いてないのだから)、先生は、和音でとって弾いてみるようにと言い出した。
一拍目とかの場合、譜面にある音を全部いっぺんに弾いてみればどんな和音なのかがわかる。しかし、進んでいくとどんどんややこしくなってきて、どれかの音を省かないと和音としてまとまらない。先生は弾きながらどんどん、「ここはこれとこれが余分な音でこう…こういう進行だと思う」などと進めていく。
こういう場面は前にもよくあったのだが、今回の私は「今後の方向性について考えようとしている人」なので、初めてそこでツッコミを入れてみた。
「どれが余分な音で、どうなると和音として『つじつまの合う』進行になるといえるんですか??」
…すると先生、ぐぐっとつまって…そ~れ~は…話すと長いんだけれども…
先生は、「ドミソ」「ドファラ」「シレソ」を例にとって、Ⅰ-Ⅳ-ⅠやⅠ-Ⅴ-Ⅰというシンプルな進行、あるいは「おじぎ和音」の「シからドに戻りたい強烈な力」が和音進行の最も基本の部分であるというような話を早口で始めた。
そう、かろうじてそこらへんまでは私も本で読んだことはあるし、例えば子どもの童謡に「ドミソ」「ドファラ」「シレソ」の伴奏をちゃちゃっとつけて弾くくらいのことはできるわけですよ。でも、そのことと、今現実に目の前に並んでる、ごちゃーっと「余分な音」のついたフォーレの譜面との距離がありすぎるんです。
そこで、「先生がこれまでにも、和声についていろいろおっしゃったときに、意味がわからなかったんですべてスルーしてしまい申し訳ありませんでした」とカミングアウトして、「どうするのがいいでしょうか??」と聞いてみた。
すると先生は、自分こそすまなかったというようなことを言い、和声の勉強は、当然音大に行ったりすればやらされるけれども、それはそれで何年もかかって身につけることで、あまり簡単な話ではない。そして、和音がわかったところで、それをどう表現すべきなのかというとまたさらにその先があるので、相当膨大になる。まずは、楽譜を見て自分なりに試しながら、「感じて」くれるだけでいいかな…
先生がすまながる必要はまったくないのであって、大人なんだから、わからない話をスルーしてきたのも、自分でコソ勉して追いつこうとか思わなかったのも、自分の選択である。
先生がいうには、自分はピアノ弾きの中でも相当な和声マニアであり、演奏のときも「そっち側から」いく人なのだけれども、そこまでではない人もいるとのことだった。マニアなのは知ってたけど。なにしろ修士論文が和声進行なんだからね(参考:「アバンギャルドなモーツァルトと古典的なプロコフィエフ!?」)。
一方私は、「コドモのピアノ」で書いたように、長年、ただそこにある音を並べるだけの、頭を使わないピアノを楽しんできて、正直いうと、「フラット六個」ついてるのが「○長調」なのかも暗算できないくらいなのだ。頭で音階を作ってみて「シドレミファソラシ…いやこれは違うぞ…ソラシドレミファソ…あ、これか…」とかやらないとわからない。当然、曲を弾いている最中にも、その調で何が「Ⅰ」の和音なのかすら頭に入ってなく、ただ「ファ以外はフラットつけなきゃ」と思って弾いてるのだから、先が長すぎる。
さて、これからどうするか…
今日の弁当:
肉団子、にんじんとこんにゃくの白和え、れんこんきんぴら、ピーマン玉子炒め
譜読みはかなりてこずって、ようやくレッスン三回目の今週、最後のページまで「めくった」。この曲は、出だしがまず「フラット三個」で、真ん中の盛り上がるところでは「フラット六個」になる。臨時記号もいっぱい、和音も凝ったのがいっぱい出てきて、CDでは聞きなれた曲なのだけれども、耳で聞いた音が鍵盤上でどのキーを押せばでるのか私にはわかってないということだろう。
とりあえず最後まで辿り着いたものの、その「フラット六個」のあたりがなんだか「わかるように聞こえない」と先生が指摘し (当たり前だ。わかって弾いてないのだから)、先生は、和音でとって弾いてみるようにと言い出した。
一拍目とかの場合、譜面にある音を全部いっぺんに弾いてみればどんな和音なのかがわかる。しかし、進んでいくとどんどんややこしくなってきて、どれかの音を省かないと和音としてまとまらない。先生は弾きながらどんどん、「ここはこれとこれが余分な音でこう…こういう進行だと思う」などと進めていく。
こういう場面は前にもよくあったのだが、今回の私は「今後の方向性について考えようとしている人」なので、初めてそこでツッコミを入れてみた。
「どれが余分な音で、どうなると和音として『つじつまの合う』進行になるといえるんですか??」
…すると先生、ぐぐっとつまって…そ~れ~は…話すと長いんだけれども…
先生は、「ドミソ」「ドファラ」「シレソ」を例にとって、Ⅰ-Ⅳ-ⅠやⅠ-Ⅴ-Ⅰというシンプルな進行、あるいは「おじぎ和音」の「シからドに戻りたい強烈な力」が和音進行の最も基本の部分であるというような話を早口で始めた。
そう、かろうじてそこらへんまでは私も本で読んだことはあるし、例えば子どもの童謡に「ドミソ」「ドファラ」「シレソ」の伴奏をちゃちゃっとつけて弾くくらいのことはできるわけですよ。でも、そのことと、今現実に目の前に並んでる、ごちゃーっと「余分な音」のついたフォーレの譜面との距離がありすぎるんです。
そこで、「先生がこれまでにも、和声についていろいろおっしゃったときに、意味がわからなかったんですべてスルーしてしまい申し訳ありませんでした」とカミングアウトして、「どうするのがいいでしょうか??」と聞いてみた。
すると先生は、自分こそすまなかったというようなことを言い、和声の勉強は、当然音大に行ったりすればやらされるけれども、それはそれで何年もかかって身につけることで、あまり簡単な話ではない。そして、和音がわかったところで、それをどう表現すべきなのかというとまたさらにその先があるので、相当膨大になる。まずは、楽譜を見て自分なりに試しながら、「感じて」くれるだけでいいかな…
先生がすまながる必要はまったくないのであって、大人なんだから、わからない話をスルーしてきたのも、自分でコソ勉して追いつこうとか思わなかったのも、自分の選択である。
先生がいうには、自分はピアノ弾きの中でも相当な和声マニアであり、演奏のときも「そっち側から」いく人なのだけれども、そこまでではない人もいるとのことだった。マニアなのは知ってたけど。なにしろ修士論文が和声進行なんだからね(参考:「アバンギャルドなモーツァルトと古典的なプロコフィエフ!?」)。
一方私は、「コドモのピアノ」で書いたように、長年、ただそこにある音を並べるだけの、頭を使わないピアノを楽しんできて、正直いうと、「フラット六個」ついてるのが「○長調」なのかも暗算できないくらいなのだ。頭で音階を作ってみて「シドレミファソラシ…いやこれは違うぞ…ソラシドレミファソ…あ、これか…」とかやらないとわからない。当然、曲を弾いている最中にも、その調で何が「Ⅰ」の和音なのかすら頭に入ってなく、ただ「ファ以外はフラットつけなきゃ」と思って弾いてるのだから、先が長すぎる。
さて、これからどうするか…
今日の弁当:
肉団子、にんじんとこんにゃくの白和え、れんこんきんぴら、ピーマン玉子炒め